別れた彼の車の、知らない誰かの香水
家紋武範様主催『知略企画』参加作品です。
彼と別れてどれぐらい経った頃だろう。
『久しぶりに会えないか?』
だって。
馬鹿じゃないの?
なんて思いつつも、少しだけ嬉しい自分がいる。
別に未練があるわけじゃない。
そもそもフったのは私なわけで。
そりゃ、少しは後悔もしたけどさ。
でも、別にヨリを戻したいとかは思わない。
別れた彼女にそんなことを送ってきたことで、余計にそう思った。
だからこそ、なんで少しだけ、ほんの少しだけ嬉しいなんて思っちゃったんだろうって思った。
『いいよ』
って返したのは、きっとそれを知りたかったから。
うん、きっとそうだ。
私は自分にそう言い訳して、携帯をしまった。
彼と付き合っている時はそれなりに楽しかった。
嘘だ。
ホントはすごく楽しかった。
一緒にフェスで飛び上がって。
カラオケで彼の音痴な歌声に笑って。
テレビゲームで手加減をしない彼を殴って。
私の手料理を微妙だと言いながら、口いっぱいに頬張って完食するほっぺをつねって。
たまには静かに漫画でもを読みたいって言う私に付き合ってマンガ喫茶に行ったけど、すぐに飽きて爆睡した彼の頭をこっそり撫でてみたりして。
そして、彼の自慢の愛車の助手席に座ってドライブして、
「そこはおまえの指定席だから」
なんて馬鹿みたいなことに喜んで。
そのあと、また彼の車に乗った時に、私のつけた香水の匂いが残ってることも嬉しくて。
「久しぶり」
「うん。
久しぶり」
再会はそんなあっさりとした挨拶で終わった。
久しぶりに会った彼は少しだけちゃんとしてた。
私といた時よりも、ファッションも身だしなみも整っていた。
それに比べて、私は何も変わってなかった。
服もあの時から着ていたもの。
いや、新しい洋服も買ったりした。
でも、私はなぜか、昔着ていた服を引っ張り出してた。
「おまえは変わらないな」
彼の言葉が突き刺さる。
きっと彼のことだから、悪い意味ではないんだと思う。
でも、時の流れに自分だけ置いてかれたような。
いつまで過去にしがみついてんだよと言われたような気がして、1人でこっそり傷付いてみた。
そのあと、二言三言交わしたと思うんだけど、あんまり記憶にない。
そして、ずいぶん久しぶりなのに、妙に懐かしい感じがする彼の車に乗り込む。
『そこはおまえの指定席だから』
そんな薄っぺらい言葉を思い出して、薄く笑ったりしてみる。
そして、座席に座った瞬間に気付いた。
ここはもう、私の指定席じゃない。
彼の車に染み付いた、他の誰かの香水の匂い。
あの時のこの場所に、今は私じゃない誰かがいる。
そんなこと、分かってた。
分かってたはずなのに。
とっくに未練なんてなくて、ただ何となく会ってみただけ。
でも、なんだか少しだけ悲しかった。
なんだか少しだけ、寂しかった。
別に悲しいからって泣いたりはしない。
そこまで人の迷惑を顧みない女じゃない。
それに、それほど悲しいわけじゃない。
ただ、ほんの少し、ほんの少しだけ期待してみた女心を返してほしいなって思っただけ。
「実は、相談したいことがあって……」
ああ、うんうん。
「イマカノがどうしたの?」
「よ、よく分かったな」
分かるに決まってるじゃん。
何年一緒にいたと思ってるの。
「んー、なんとなくね」
「その、実は、プ、プロポーズしようと思っててさ」
あー、そうきますか。
「へー!いいじゃん!
どんな子なの?」
聞きたくないけど聞いてほしいんでしょ?
「え?
えっと、俺にはもったいないぐらい良い子かな。
美人だし。
箱入り娘だったみたいで、おとなしいんだけど、こう、守ってやんなきゃって感じで」
なるほど。
私と正反対ね。
「へー!
良さそうな子じゃん!」
「それで、どういうプロポーズしたら喜んでもらえるかなって思って」
知らんがな。
「そーだねー」
一応はちゃんと考えてみる。
別に失敗してほしいわけじゃない。
うまくいってほしいと思ってる。
ホントに。
だから、ちゃんと考えてあげる。
「こんなの相談できるの、おまえしかいなかったからさ」
ふーん。
「元カノに相談とか、どんだけよ」
「そうだよな、ごめんな」
ホントだよ。
「教えてあげてもいいけど、私に相談したことはその子に言っちゃダメだよ。
元カノに相談して決めたとか、絶対気分良くないから」
これはホントにそう。
「そうだな。
わかった」
……。
「そうだなー。
あくまで私の意見ね」
「ああ」
「私はあんまり気取ってるのは疲れるから、ドライブでも行って、いつも通りに過ごして、で、人のいなそうな丘にでも車を止めて、夕日に照らされながら指輪を出されるのがいいかな」
うん。
「あー、おまえっぽい!」
そうでしょ?
そうしてほしかったんだもん。
「でも、その子の感じからすると、もっとロマンチックなのがいいかも。
ドライブとか夕焼けってシチュエーションだけ残して、最終的には夜景の見えるレストランとか、観覧車とかですればいいんじゃないかな」
そういうの、喜びそう。
「あ、それいい!」
うん、好きそうだよね、あなたも。
「間違っても、フラッシュモブはしないように」
これは女子の総意だと思ってる。
「お、おう」
「ま、そんなとこかな」
あとは自分で何とかなさい。
「おう!
ありがと!」
……嬉しそうにして。
「じゃ、私は帰るわよ。
これでも忙しいんだから」
忙しいなか、わざわざ来たんだから……。
「そうだな。
今や引っ張りだこだもんな!」
誰かさんがもらってくれなかったおかげでね。
「ホントに今日はありがとな!
助かったよ!
またな!」
「……じゃあね」
またな、じゃないわよ。
もう会わないから安心しなさい。
走り去る彼の車が見えなくなるまで見送ってから、私は歩を進める。
彼の車の助手席はもう、私じゃない誰かの指定席。
彼の車には、もう私のじゃない誰かの香水の匂い。
そんなあいつに、ちょっとだけいじわる。
彼女はきっと気付くんだろうな。
いつもより、ちょっと強めにつけた私の香水。
彼が好きだと言ったから、大量に買った香水。
彼と別れてからは押し入れの奥にしまい込んでた、私も好きだった香水。
彼の指定席にちょっとだけ割り込んでみた、私の香水の匂い。
彼女に、少しだけ怒られればいい。
どうせ、それも2人が幸せになるためのエッセンス。
どうぞお幸せに。
「あ~あ。
帰りにチューハイでも買ってくか」
お酒の匂いで、こんな香水の匂いは消してしまおう。