第三王子殿下の恐怖の婚約者
王城の西にある中庭にある東屋で俺は婚約者を待っていた。
「ハロルド様」
背後から声が掛かり、俺の肩がビクンと跳ねる。
柔らかい笑顔を浮かべて現れたのは金糸の様な髪と美しい青い瞳の小柄な美少女だった。
この俺、ミナント王国の第三王子、ハロルド・フォン・ミナントの婚約者、メルヘル公爵令嬢のフローラ・フォン・メルヘルだ。
「や、やぁ、フローラ」
「ごきげんよう、ハロルド様。
ずっとお会いしたかったですわ」
「い、いや、昨日も会ったじゃないか?」
「いいえ、殿下とは9時間36分前に2時間42分間お会いしたのが最後です」
「そ、そうか」
フローラが分単位で言った事に俺は慄いた。
そんな俺を気にする事なくフローラが身を寄せてくる。
石鹸の香りがフワリと薫り、俺の心臓が早鐘の様に鳴り響く。
「あら?」
何かに気付いたフローラが俺の肩に手を伸ばす。
俺はみじろぎ一つ出来ない。
フローラは俺の肩から銀色の長い髪をするりと抜き出した。
ちなみに俺の髪は黒い。
フローラの周囲の空気の温度が急に下がり、声は一段低くなる。
「ハロルド様……この髪はどなたのものでしょうか?」
何だあの髪は?そ、そうか!
グランツの髪だ!彼は長髪だし、さっき廊下で会った時に着いたに違いない。
「そ、そ、そ、それは……そう、グランツの髪だ!さっき廊下で余所見をしていて彼にぶつかってしまったのだ。
その時に着いたのだろう」
「………………そうでしたか!良かった、ハロルド様の事は信じておりますが、身の程知らずの小娘がお優しいハロルド様のお心を乱したのかと思いました」
そう言ってフローラは手にしていた短剣を胸に抱く様に安堵の息を吐いた。
何処に持っていたんだその短剣は⁉︎
「お、俺がフローラ以外の女性に目移りする筈がないじゃないか」
「まぁ!」
頬を赤く染め、感極まったフローラが俺の腕をギュッと抱きしめる。
小柄な割に大きめな胸が俺の腕に押し当てられ、握りしめたままだった短剣の刃も俺の首に押し付けられた。
あ、当たってる。色々と!主に刃が!
わざとか?わざとなのか?
怖い、怖い、怖い!
もう嫌だ!婚約破棄したい!
どうして、どうしてこうなったんだ⁉︎
俺は正直言ってお世辞にも出来の良い王子では無かった。
長兄は政治に才能があり、父上の補佐として経験を積んでいる。
次兄は武人として長兄を支えるべく、剣の道に邁進していた。
三男である俺はと言うと、勉強も武術も嫌いで教育係から逃げ出しては遊び歩く日々を過ごしていた。
そんなダメ王子でも王族である。
ある日、婚約者としてメルヘル公爵家の令嬢であるフローラと引き合わされた。
フワフワとして可愛い娘だと思った。
パッチリとした大きな瞳に輝く様な金糸の髪を持つ天使の様な少女だった。
当時の俺は傲慢にも王族である俺に相応しい女だと思った。
聞けばフローラは何処かのお茶会で俺に一目惚れしたらしい。
一緒に居た筈の兄達ではなく、俺に惚れたと言う話にも俺は自尊心をくすぐられた。
その後、父上にフローラに中庭を案内してやれと言われ、2人で中庭を散策する事になった。
花を愛でるフローラは美しく、彼女が俺の妻になると考えるだけで兄達への優越感を感じた。
それから婚約者としてフローラと頻繁に会う様になった。
時折その言動に、ん?と思う事も有ったが、フローラの可憐さに目を逸らされていた。
確信したのは出会って一月ほど経った頃だ。
その日は午後からのフローラとのお茶の前にいつも通り勉強から逃げ出し、追ってくる教育係から逃げて洗濯場に積まれたメイド服の山に隠れていた。
その後、フローラとの待ち合わせ場所の城の中庭に向かうと、いつもの様にフローラが嬉しそうに抱きついてくる。
俺はニヤケそうになりながら抱きしめてやるのだが、フローラはピクリと身じろぎすると、勢いよく俺の顔を見上げて視線を合わせた。いや、視線は合っているのだが、フローラの大きな瞳の焦点はズレている様な気がした。
「ハロルド様……他の女の匂いがします。
どう言う事なのでしょうか?」
「え?」
「4、5……6人分の女の匂いがします」
「え?」
「一体何処のどなたなのでしょうか?
教えて下さいハロルド様。私のハロルド様を……純粋でお優しく心が清く高潔で誇り高く勤勉でユーモアが有って頼りがいが有る素敵な素敵な素敵な素敵な素敵な素敵な素敵な素敵なハロルド様を誑かしたのは何処のどなたなのでしょうか?」
「フ、フローラ?」
「教えて下さいハロルド様。大丈夫です。
ハロルド様にちょっかいを掛けた女には身の程と言う物を教えて差し上げなければなりません。
大丈夫です。全て私にお任せください。必ずハロルド様をお守り致します。
大丈夫です。ハロルド様に手を出そうとした女には生まれて来た事を後悔するくらいの責苦を与え、二度とハロルド様の目を汚す事ない様に排除致しますわ。大丈夫です」
「フロ……」
「大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です大丈夫です私にお任せください」
こぅえぇぇえ!!!!
「お、落ち着いてくれ、コレは先程誤って洗濯場で転んでしまったのだ!その時に洗濯物の匂いが着いたのだろう。心配は要らない」
「…………………………」
フローラが瞳孔が開いたまま俺の目を見つめて来る。
め、目を逸らしたら殺られる!
「………………」
「………………」
「…………フローラ?」
「…………なんだ、私の勘違いだったのですね。申し訳ありません、ハロルド様」
フローラは花が咲いた様にニパッと笑った。
「やばい、やばい、やばい!」
フローラと別れた後、俺は城の廊下を足早に歩いていた。
なんださっきのは⁉︎
アレはやばい!なんだか分からないが本能がやばいと叫んでいる!
早く!早く婚約を解消しないと!
丁度向かい側から歩いて来た教育係を呼び止めた。
午前中に勉強をサボった事に小言を言おうとする教育係の言葉を遮る。
「どうすれば婚約は破棄されるのだ⁉︎」
「は?殿下、それはどう言う……」
「良いから教えろ!」
「王族の婚約は破棄できませんよ」
「なん……だと?」
「王国法で勉強した筈ですよ。
かつて王家が身勝手に婚約破棄を行った所為で国が傾き掛けた事から定められた法です。
歴史でも習いましたよ」
咎める様な教育係の言葉など耳に入らない。
婚約破棄出来ない。
では俺はこの先ずっとあの恐ろしいフローラと一緒に……。
いや、まだだ!
何処かに法の抜け穴が有るかも知れない!
あと歴史だ!過去の婚約破棄を調べれば何か手掛かりが有るに違いない!
「ですから殿下も勉強から逃げていてばかりでは……」
「おい!法律と歴史の講師を呼べ!」
「え?」
それから俺はフローラの機嫌を損ねない様に細心の注意を払いながら必死で勉強した。
法律と歴史だけ勉強しても理解出来ない事が多かった為、地政学や帝王学、算術や自然科学など幅広く学ぶ必要が有ったが、その結果俺はとうとう法の穴を突いて婚約を破棄する方法を発見した。
そして先日成人し、法務部の仕事をしている長兄リオンを訪ねた。
「ハロルド、話とは何だ?」
「これをご覧くださいリオン兄上」
俺は我が国の法の問題点を纏めたレポートをリオン兄上に手渡した。
婚約破棄に関して味方になって貰う為、他の法の問題点も指摘し点数を稼ぐのも忘れていない完璧なレポートだ。
「ふむ」
レポートを読み終わったリオン兄上は俺に視線を戻した。
「なるほどな、お前の目的は理解した」
「本当ですか、兄上!」
やった!流石リオン兄上だ!
「お前は法の穴を突いて不心者が勝手にフローラ嬢との婚約を破棄する可能性を潰したかったのだな?」
「え?」
「安心しろ。お前のレポートを参考に直ぐに法の整備をしよう」
「い、いえ、兄上、俺は……」
「はっはっは、分かっている。照れるな。
今まで不真面目だったお前がフローラ嬢と婚約してからと言う物、真面目に勉学に励んでいるそうじゃないか。
やはり婚約者が出来た事で王族としての自覚が芽生えたのだな。
大丈夫だ。フローラ嬢との婚約を破棄なんてさせないよ」
「あ、兄上、俺は……」
「おっと、済まない。会議の時間だ。お前のレポートに関しては私が責任を持って会議の議題に上げよう」
「あ、兄上!兄上ぇええ!!」
ダメだ。
法律はリオン兄上によって抜け穴を塞がれてしまった。
別の方法を……そうだ!他国に逃げるのはどうだ?
直ぐにでは無くても他国に繋がりを作り、いざと言う時に逃げられる様にしておけば良いのではないだろうか?
よし、ならば直ぐに行動だ!
俺は王国に駐留している他国の大使との交流を深め、外国から来た商人や旅人から話を聞き、次々とコネクションを作って行った。
その過程で周辺各国の言葉やマナーを習得したので逃げた先でも何とかやって行けるに違いない。
そろそろ何かしらの理由をつけて国外に出て姿を眩ませるか、と準備を進めていると父であるアルフォンス国王陛下から呼び出された。
「お呼びでしょうか、父上」
「うむ、忙しくしている所に済まないな」
俺を執務室の応接セットに座る様に促した父上は自分も正面に腰を下ろした。
「最近は外交に力を入れているらしいな」
「は、はい……その……た、他国の優れた部分を取り入れる事で我が国の発展に繋がるかと……」
勿論、口から出まかせだ。
フローラから逃げる為の下準備など言える筈もない。
「そうか、素晴らしい心掛けだ。
リオンから聞いてはいたが、勉学から逃げ回っていたお前が王族として国の為に自発的に動くとは、父としてお前の成長を嬉しくて思うぞ」
「あ、ありがとうございます」
「うむ、そうだな。褒美として今後、外交に向かう際、フローラを伴うのを許そう」
「え?」
父上は珍しくニコニコと笑みを浮かべている。
「あ、あの、フ、フローラは王子妃教育で時間が取れないのでは?」
だからこそ俺は王都から長く離れる必要がある国を中心に外交を行なっていたのだ。
「実はな、お前が外交を行なっていた国と新たな友好条約の締結に成功したのだ。
コレはお前の手柄と言えるだろう。
フローラの教育も既に殆ど終わっているし、本人も少しでもお前の側に居たいと言っておる。
なので褒美としてフローラの同行を許してやろうと思ったのだ」
「そ、そうですか……」
「うむ、これからもフローラと手を取り合って国の為に頑張るのだぞ」
「はい……父上……」
ダメだ。
外交を通じて逃げる作戦は使えない。
フローラが外交に付いて来るとなると逃げる隙はないだろう。
こうなってはもう覚悟を決めるしかない。
つまり、フローラに害されない様になれば良いのだ。
よし、そうと決まれば直ぐに行動だ!
俺は騎士団の訓練所に行くと王家の剣術指南役を呼び出した。
「これはハロルド殿下、如何されましたか?」
「俺に剣を教えてくれ!」
剣術指南役は驚いて俺の顔を見返した。
「これはどう言った風の吹き回しでしょうか?あれ程剣の修行を嫌がっていた殿下が?」
「……なに、大切な物を守る為には力が必要だと気付いただけさ」
「おお!その通りですぞ殿下!
大切な物(婚約者のフローラ様の事だろう)をお守りするには時に力が必要となるでしょう!」
「そうだろう!最後に大切な物(俺の命)を守るの純粋な力だ!」
「お任せ下さい!この私が殿下を一流の剣士にして見せましょう」
その日から俺は勉学と外交の合間にひたすら剣を振るった。
全ては自分の身を守る為に。
偶にフローラが差し入れを持って来るのにビクビクしながら剣の教えを受けていた俺は、ある日次兄のクリス兄上に声を掛けられた。
「ハロルド、最近は武術の鍛錬に励んでいる様だな」
「はい、クリス兄上」
「剣術指南役から聞いているぞ、なかなか筋が良い様だな。
正直言って俺はお前の事を軽蔑していた。
済まなかったな。
当時のお前は王族としての義務を果たさず遊び回っていた。だが今のお前は実に立派になった」
「あ、兄上……」
いつも厳しい目で俺を睨みつけていたクリス兄上は優しげな瞳でそう言った。
「これも全てフローラ嬢のおかげだな」
「ん?」
「聞いているぞ。お前が変わったのはフローラ嬢と出会ったからだとな」
「え、ま、まぁ、そう言えなくもないかと……」
「はっはっは、照れる事は無い。
男は女で変わる物さ。
特にフローラ嬢の様な素晴らしい婚約者が居れば負けられないと奮起する気持ちも分かる。
フローラ嬢も鍛錬を頑張っている様だからな」
ん?
何だか今のクリス兄上の言葉に違和感があった。
何故フローラが鍛錬を頑張っているとか言う話がでるのだ?
尋ねると、知らないのか?と不思議そうにしながら教えてくれた。
「フローラ嬢もまたハロルドには負けていられないと王子妃教育の後、追加で武術の指南を受けているそうだ。
随分と才能が有ったらしく、メキメキと腕を上げているそうだぞ」
「そ、そうですか……」
俺は強くなった。
でもフローラも強くなっていた。
俺は虚無感を誤魔化しながら今度手合わせをしようと約束して爽やかに去ってゆくクリス兄上を見送った。
ダメだ。
もうおしまいだ。
俺はあの恐ろしいフローラに殺されるのだ。
俺は自室で膝を抱えながら短刀で木材を削って人形を作っていた。
ボロボロになった俺の心を癒すのはこの木を掘り人形を作る時間だけだ。
昔の様に外を遊び歩く事は怖くて出来ない。
不用意に女性と触れ合うだけでフローラは焦点の合わない瞳で短剣片手にブツブツと何かを呟きながら迫って来るのだ。
無心で木を削る時間だけが全てを忘れられる癒しの時間なのだ。
今の俺の数少ない趣味だ。
そんなある日、フローラが俺の部屋に来た時の事だ。
正直、2人きりになるのは怖いので嫌なのだけれど、断るのも怖いのでフローラを拒めない。
「あの……殿下、これを受け取って下さい」
「これは?」
「聖夜祭の贈り物です」
「あ、ああ……」
しまったぁぁあ!!!
今日は聖夜祭だった!
不味い、何も用意していない!
聖夜祭とは建国の聖人の誕生を祝う祝日で、一般的に恋人や家族がお互いのプレゼントを送り合う風習がある。
俺もフローラの機嫌を損ねない様に毎年無難なプレゼントを送っていた。
「今年は私達が婚約してから丁度10年目の聖夜祭ですから私、頑張りました」
不味い、今年で俺たちは成人年齢の15歳。
王族は成人して1年後に結婚する決まりなので、このままでは来年フローラと結婚する事になる。
いや、それよりも今の問題は聖夜祭のプレゼントだ。
フローラのプレゼントを開封しながら自室の中を素早く視線を巡らせ何かないかと考える。
「こ、これは……」
フローラのプレゼントは手編みのマフラーと手袋だった。
意外と普通で安心していると、フローラは恥ずかしそうに言う。
「マフラーには毛糸と一緒に私の髪を編み込んでいます。ずっと一緒に居られるおまじないですわ」
「え?」
「それと手袋の方の手首の辺りの赤いラインをご覧下さい」
黒い手袋には手首の辺りに赤いラインが入っている。
「私の血で染めております」
「ひっ!」
投げ出さなかった俺を褒めてやりたい。
よく見ればフローラの手首には真新しい包帯が巻かれている。
「東の国の女難避けのおまじないです」
それは呪いでは?
「あ、あ、あり、ありがとう、た、大切にするよ」
「はい!」
フローラは天使の様に可憐に笑った。
そして何処か落ち着きなくソワソワし始めれる。
これはアレだ。
俺からのプレゼントを待っている。
考えろ!考えるんだ!
その時俺の目に飛び込んで来たのは机の引き出しだった。
俺は引き出しを開けると、木彫りのフクロウを取り出してフローラに差し出した。
「これ……」
「済まないな、完成がギリギリになってラッピングする事が出来なかったんだ」
「ハロルド様がお作りになられたのですか?」
「ああ、も、もし気に入らなかったのなら後日改めて別の物を……」
「いいえ!これが良いです!大切に、大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切に大切にします」
「あ、はい」
木彫り人形を抱きしめて恍惚とした顔でぶつぶつと呟くフローラの姿に、俺は危うく失禁する所だった。
翌日、昨日のフローラが夢に出て嫌な汗をかいた俺は、剣術の鍛錬の後、井戸で水を被って汗を流した。
その後、廊下を歩いているところを呼び止められて。
振り返ると、そこに居たのは王妃ルーテシア殿下、つまり俺の母上だった。
「ハロルド、昨日フローラに手作りの木彫り人形を送ったそうね」
「は、はい」
「フローラはとても喜んでいたわ。婚約から10年の節目に手作りのプレゼントとは素敵ね。まさか貴方がこれ程女心を理解しているとは思わなかったわ。
これからもフローラと仲良くするのよ」
「…………………………はい」
「はぁ……誰も、誰も俺の事を理解してくれない」
俺は学院の裏庭でベンチに座って頭を抱えていた。
フローラとは別のクラスなので、時折こうしては1人になれる時間を得ることが出来る。
「あの……大丈夫ですか?」
「え?」
俺に話しかけて来たのはピンクの髪の可愛らしい少女だった。
ミランダと名乗った少女は、まるで全てを知っているかの様にスルスルと俺の心の中に入って来て、気付けば俺はフローラが怖い事やそれを家族が理解してくれない事を話してしまっていた。
「酷いです!ハロルド殿下はこんなに苦しんでいるのに!」
ミランダのその言葉は、誰も理解してくれなかった俺の恐怖も苦悩をも溶かしてくれる物だった。
その日から俺は、フローラから隠れてミランダとの交流を重ねる事になる。
そんな日々が続いたある日、俺は今日こそミランダとの一線を超えるべく、密かに王城にミランダを呼び、厳重に人払いをした部屋に連れ込もうとしていた。
ミランダも満更では無さそうで、俺に甘えた様な視線を向けて来た。
フローラとは違う一切の狂気を含まない可愛い笑顔だ。
「ミランダ、俺は君と出会って真実の愛を知ったんだ」
「殿下……」
「ミランダ……」
「ハロルド様」
「「っ⁉︎」」
聞こえる筈のない声に驚いて振り向くと、触れ合いそうな距離にフローラが立っていた。
「フ、フローラ、こ、コレは、その……」
「ハロルド様……そちらの方は?」
「ハロルド殿下!私、怖いです」
ミランダは俺の後ろに隠れる様にピタリとくっついて来る。
俺も怖いです。
「ふ、ふふ、ハロルド様を……私の私の私の私の私の私の私の私の私の私の私のハロルド様、わた、私、私の私のハロルド様ハロルド様ハロルド様を……」
「フ、フ、フ、フローラ、お、落ち着いて……」
「大丈夫ですよハロルド様、私が、ハロルド様は私がお守りします。ハロルド様の御心を乱すその女は私が責任を持って処分致します。私が、私のハロルド様を誘惑する魔女、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す私が殺す殺す殺す」
短剣を片手にぶら下げてゆらゆらと体を揺らすフローラに、俺は歯をガタガタと振るわせて腰が抜けそうになる。
このままではミランダが殺されてしまう。
浮気をしようとした俺のせいで……。
俺は勇気を振り絞ってミランダを背に庇いフローラと向あう。
「フローラ、話を……」
「退いて!ハロルド様、そいつ殺せない!」
「フロ……」
「ハロルド様、その女は魔女なんです」
何を言っているのか、もう会話が通じない。
俺はミランダを連れて逃げようと振り返ると、舌打ちしたミランダに突き飛ばされフローラの前に転がされた。
「ミランダ⁉︎」
背を向けて逃げ出すミランダにフローラが急接近して短剣を突き出す。
殺されたと思ったが、ミランダはフローラの短剣を隠し持っていたナイフで受け止めていた。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
「くっ、このイカれ女!」
フローラの短剣は鋭く、狂気の瞳で振われるのに彼女が修めた武術のおかげか、非常に巧みだ。
しかし、ミランダもまた負けておらず、ナイフを自在に操りフローラの短剣を防いでいた。
「何の騒ぎだ!!」
2人の剣戟を聞きつけたのか、騎士達が駆けつけて来た。
「こ、コレは一体……」
終わった。
こんな騒ぎを起こしたのだから俺はそれなりの罰を受けるだろう。
しかし、上手く国外追放や幽閉となればフローラから逃げられるかも知れないな。
現実逃避する俺の横で騎士達はフローラとミランダの戦いに割って入り、ミランダを拘束していた。
ミランダは騎士に囲まれた瞬間、自らの喉をナイフで突き自害しようとしたが、騎士に組み伏せらてナイフを取り上げられた。
「ご無事ですか、ハロルド殿下」
「ああ……その女性だが……」
「はい、心得ております。この女が使っていたナイフは帝国製、体捌きも帝国の暗部のものと酷似しております。
最後に自害しようとした事から考えて、おそらく帝国のスパイでしょうな」
「え?」
「ハロルド殿下はこの女がスパイと見抜き、騙されたフリをして人気の無い場所に誘い出して捕らえようとされていたのでしょう?」
「え?」
騎士の言葉に首を傾げていると、ミランダを連行しに行く騎士と入れ替わりに、フローラが感動したとばかりに目を輝かせて近づいて来た。
「まぁ、そうだったのですね。私ったらてっきり殿下が彼女に誑かされてしまったのだと勘違いしてしまいました」
「は、はは……」
「もし、そうだったら私はあの女を殺した後、ハロルド様のお命を頂かなければならない所でした」
「は?」
「あ、ご安心下さい、直ぐに私も同じ短剣でこの胸を貫き後を追うつもりです。
そうすれば私達は死後の世界でずっと一緒に居られます」
俺はもう立っている事も出来ず、腰を抜かして倒れ込んだのだが、目の前のフローラの胸に飛び込む形になってしまい、遠目に見ていた騎士達やメイド達によって俺とフローラがラブラブだと言う噂が流れる結果となった。
その後、帝国のスパイを捕らえたとして俺とフローラは父上からお褒めの言葉を頂いた。
調べによるとミランダは俺を誘惑して王家の中に不和を招く為に送り込まれたと判明した。
その誘惑に屈せず、スパイを捕らえた俺の活躍(勿論、俺にそんなつもりは無かった)は多くの人々に讃えられ、家族達は俺の成長に対して、口を揃えてこう言った。
「「「「全てはフローラ嬢のおかげだな」」」」
ミナント王国の全盛期と呼ばれる時代、善政を敷き民に慕われた国王には3人の息子が居た。
優秀で才気溢れる第一王子、武勇に優れる第二王子。そして第三王子。
第三王子は兄王子達程の才能は無かった。
幼い頃は優秀な兄に比べられるその境遇から逃げ出そうとした事もあったそうだ。
しかし、のちに第三王子妃となるフローラ公爵令嬢と出会い、努力に努力を重ねた結果、第三王子は兄達に認められ、国民に慕われる王子となった。
フローラ公爵令嬢とは非常に仲睦まじく、常に寄り添って歩くその姿は、理想の夫婦の形としてミナント王国に長く語り継がれるのだった。
評価、ご感想を頂けると大きなモチベーションとなりますのでよろしくお願いします。