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とある英雄の献身

 騎士の来訪の後、この男が香煙(こうえん)の魔女の家を再び訪れることはなかった。

 新たな戦場で命を散らしたのか、はたまた騎士から貴族にでも取り立てられたのか。

 他に魔女の(もと)を訪れる者は居ないので、彼のその後を知る(すべ)は持っていない。

 彼女は人々から魔女などと恐れられてはいるが、その身を(からす)に変えることも、水晶で遠方(えんぽう)(のぞ)き見ることもできないのだ。


 香煙の魔女ができるのは、太陽の光も満足に届かぬ森の小屋で、ただ香煙を作り続けることだけ。

 だから今日も今日とて、ひとり黙々と作業を続けているのだ。


「……もう、煙草(たばこ)を作る必要はないかもしれないわね」


 元々あれは、あの男の為だけに作っていた代物(しろもの)なのだ。

 もはや手慣れてしまった煙草作りも――今後はもう不要なのだろうか。

 そう考えると、無意識にため息が出る。

 そういえば居なくなるのも突然だけど、初めて出会った時もそうだった。


 それは数年前のある晴れた日の事。

 森にある秘密の場所で薬草を採取していた魔女の前に、(しげ)みの中から全身ボロボロになった彼がよろよろと現れたのだ。

 ノーフェイス(顔無し男)はそのまま放っておけば死んでしまいそうな、見るからに深い傷を負っていた。


 だがしかし、この男は痛がるそぶりも見せない。

 まるで心が凍てついてしまったかのような無表情。

 ただ荒い息を吐くだけで、こちらに助けも求めてこない。


 魔女は彼をそのまま見捨てても良かったが、大事な薬草の群生地を誰とも知らぬ者の血で(けが)されてしまっては、それはそれで困る。

 薬の調合を師より学んでいた彼女は、彼を手当てすることに決めた。

 そして男が起き上がれるようになるまで、森の小屋で甲斐甲斐(かいがい)しく世話を続けたのであった。



 ――しかしながら、騎士は完全に回復するまでには至らなかった。

 これまでに負った傷による後遺症(こういしょう)の影響なのか、既に身体は限界に近かった。 


 騎士は魔女に懇願(こんがん)した。私を戦場に戻してくれ、と。

 彼女には、いったい何がそこまで彼を戦争に駆り立てているのか分からなかったが――魔女は魔女に相応(ふさわ)しい深みのある笑みを浮かべると――騎士の(たましい)からの叫びに首肯(しゅこう)(こた)えたのであった。



 それからまたしばらくして、騎士は再び戦場へと(かえ)っていった。

 果たしてそれは母国の為なのか、それとも――。

 魔女の香薬(こうやく)と呼ばれる煙草で痛みを誤魔化しながら、彼はその代名詞とも言えるノーフェイスを絶やすことなく、まるで操り人形のように戦い続けた。


 幾度(いくど)とない戦争による傷は、彼の身体を着実に深く(むしば)んでいった。

 それでも騎士は英雄であり続けるために、新たな戦場で獅子奮迅(ししふんじん)の働きを重ねていく。


 本人も自覚していたことだが、その活躍に比例して使用する香薬の量は増えていた。

 それは常人なら煙を吸い込むだけで狂人(きょうじん)と化すか、恍惚(こうこつ)の表情を浮かべながら絶命するほどまでに達していた。


 当然、魔女は自分が渡した香薬の所為(せい)で変わっていく友人を見て、心を深く痛めていた。

 だが彼を止めようと口を開く度、胸の内に()く得体のしれない感情が邪魔をする。

 精々(せいぜい)が一言二言、何かあったらすぐに私の所へ来なさいと忠告する程度だった。


 そもそも、騎士の男は死ぬことを恐れてはいなかった。

 というより戦争と香薬を繰り返していくにつれて、心の底に(わず)かに残っていた感情も消え失せてしまうほどに、彼は身も心も擦り切れ、そして壊れ始めていたのだ。


 悲しいことに、そんな騎士の状態を知るものは殆ど存在しなかった。

 涼しい顔で戦争に向かっていく、その姿だけを見ていた民たちは、彼こそが英雄だと持て(はや)し、彼の国の王は英雄を利用することで更に国を大きくしていった。


 そして(つい)に、彼の国は魔女の森がある国へと戦争を仕掛けてしまった。

 森に独りで()んでいる魔女は、自分の国に危機が(せま)っていることなど知る(よし)もない。

 とはいえ(さと)い彼女は、ノーフェイスが自分の小屋を訪れる間隔が段々と短くなっていくことで、この国に戦が近づいている予感がしていた。


「――の献身(けんしん)は無駄だったのかしら」


 今日は朝から何となく胸騒ぎがしたので、魔女は小屋の中の安楽椅子で大人しく過ごしていた。

 同盟を結ぶ為に遠い国へ嫁に行った可愛い妹の記憶を、あの子が好きだった花のキャンドルの香りがふわりと運んでくる。

 その花は元々、魔女が住んでいた城内の庭園にある、そこでしか取れない貴重な薬草のものだった。

 まだ姉妹が幼かったあの頃。甘い香りが(ただよ)う白く美しい花を、姉妹で仲良く集めて作った、かけがえのない思い出のキャンドルだ。

 そしてその薬草は現在、ノーフェイスの香薬にも使われている。


 幸せそうな笑顔で妹が旅立った日の夜。

 王であり、父でもある男が、戦争を繰り返す大国の愚王(ぐおう)に妹を人質として嫁がせたと告白した。

 自分たち娘姉妹を(だま)したショックで口論になり、泣きながら城を飛び出した。

 その途中でこれだけはと思い、庭園から拝借(はいしゃく)した妹との思い出の花。

 この国で戦争が始まれば恐らく、この森でしか見ることが出来なくなるだろう。


 そして妹との思い出の品はもう一つ。

 遠く離れていても身近に感じられるように。そう願いを込めて渡したのは、あの花をモチーフにした(そろ)いの装飾品(アクセサリー)

 一人森に()む魔女は胸元で光るそれを優しく撫でると、茜色(あかねいろ)に染まる窓の外を、揺れる赤い瞳でいつまでも見つめていた。



 ――そして太陽が完全に沈んだころ、彼らは森の中へとやってきた。


「あら、夜分遅くに随分と物騒(ぶっそう)なお客様ですのね」


 乱暴に開けられた扉から見えたのは、小さな家を包囲するにはあまりに豪華すぎるほどの装備と数の軍勢。

 闇夜(やみよ)に溶けていきそうな漆黒の鎧を着こんだ大群は、か弱い魔女一人を捕らえるには過剰な戦力だろう。


「香煙の魔女。いや……元第一王女殿下。もしくは蠱惑姫(こわくひめ)と呼んだ方が正しいですかな。王国が誇る、大変聡明(そうめい)な姫だったそうで。……我々の要件は分かっておりますな?」


 魔女の前に立つ屈強な男たちは慇懃(いんぎん)な言葉とは裏腹に、騎士とは思えぬ下卑(げひ)た笑いを浮かべながら、何食わぬ顔で椅子に座り続けている淑女(しゅくじょ)にそう問うた。

 男たちの目は獲物を前にした(おおかみ)のようにギラギラとしており、今にも魔女に飛びかかりそうだ。


「そうね。私のところへ来たということは、我が国の城はもう落ちたということですね」


 黒い見た目の獣達は、魔女の質問に(あざけ)るような笑い声と、剣と盾を打ち鳴らす音で答えた。

 それが示す意味とはもちろん……。


「そう……父と母は()きましたか。では私はさながら、この(いくさ)の戦利品というわけですね。しかし、私の妹は既に貴国の姫となっていたはずでは?」


 これは何となく尋ねただけ。

 魔女には妹がどうなったのか――その結末はある程度、想像できてしまっていた。

 おそらく、この世に自分以外の家族はもう……既に生きてはいないのだろう。

 そして己自身も間もなく、そちらに向かうことになるだろうということも。


 戦う(すべ)のない女を絶望させ、その(さま)(いや)らしい目で楽しんでいる獣共を、魔女は冷ややかな瞳で見つめ返す。

 そこでふと、ここに居ても良いはずの人物が居ないことに気が付いた。


 ……まぁ、ひ弱な魔女を一匹捕まえるために、大国の英雄様がわざわざこんな辺鄙(へんぴ)なところへ(おもむ)く必要はないのでしょう。

 ただ、あの面白味の欠片(かけら)もない不愛想な顔を、死ぬ前に一目見たかった。


 ――さて、覚悟を決めましょうか。

 大きく深呼吸をして、眼前の敵兵を(にら)む。

 すると先ほど声を掛けてきた指揮官のような男の小指に、見慣れた装飾品が()められているのが目に入った。


「そ、それは……!?」


 驚きの声を上げながら、震えた手でそれを指さす魔女。

 それを見た男はニヤリとすると、数刻前の出来事を思い出しながらその答えを告げる。


「これかぁ? これは我が国の英雄様が大事にしていた宝物よ。ただ残念なことに、その英雄様は雑魚(ざこ)に囲まれて相打ちになっちまってなぁ。勿体ねぇし、形見として俺様が頂いたのよ」


 数多(あまた)の戦を生き抜いた、大国の英雄ともあろう彼がまさか。

 しかしなぜ……ノーフェイスが妹の指輪を?

 思わず自身が身に着けているネックレスを持ち、花の装飾がされた指輪を確認する。

 他では見れぬこの特徴的なデザインは――やはり、目の前の男がしているものと同じだ。


「しっかしこの国も悲惨だよなぁ。姫を一匹差し出したっていうのに、あのくそったれな王に玩具(おもちゃ)にされてよぉ。その挙句、クズみてぇな臣下(しんか)に下げ渡されて、あっけなく死んじまったらしいぜ。差し出した方の国も、結局ウチの国に潰されちまうなんてよ。ハハハ、笑いすぎて涙が出そうだぜ!」


 そ、そんな。あぁ、妹よ。貴女の献身はいったい……。


 いよいよ絶望の(ふち)に立たされた孤独の魔女は、瞳を閉じて一筋の涙を流した。


 ――と、その時。

 全てを諦め、自身も家族の(もと)へ旅立とうと机の上のナイフに手を伸ばした瞬間。

 周囲を紫色の煙が立ち込めた。


 逃げる間もなく煙に巻かれた黒の兵団は、一同にむせ始める。

 そしてある者は昏倒(こんとう)し、またある者は奇声を発しながら隣の仲間に斬りかかった。


「ぐ……なん、だ? これは……」


 集団の中でも一番の強者(つわもの)だった指輪の男は床に(ひざ)をつき、何かを(うめ)きながらゆっくりと前のめりに倒れていく。

 そしてそれは、この場にいる魔女も同様で――。


「この……匂いは……」


 魔女は小屋の外に逃げることもできず、安楽椅子にもたれ掛かりながら意識を失っていった。

 笑顔でこちらに手を振る妹の姿を、(まぶた)の裏に浮かべながら。





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