魔女の棲む森
此方の作品は『耳で聴きたい物語』用に再編集したものです。
ザァアア、ギャアア……。
雄大な木々のざわめきに紛れ、どこか慟哭に似たような叫び声が響きわたる。
――此処はとある国に広がる、深く昏い森の中。
そこに佇む小さな木の家には、香煙の魔女と呼ばれる女が棲んでいた。
魔女は魔女らしく。それを体現するかのように、彼女は俗世を離れた日々を過ごしている。
そして今日は魔女の務めを果たす大事な日。
彼女は地獄の釜のような大鍋で、悪魔の如く怪しげな調合を始めた。
完成した禍々しい色を放つ液体をさっそく暖炉にくべると、まるで魔法が起きたかのように朦々と煙が立ちこめる。
奇妙な色をしたソレが、意志を持つかのように煙突からゆるゆると上っていくのを確認すると、魔女は満足げに微笑んだ。
煙が霧のように森の中で完全に溶けた頃。
陽の光も差さぬ木立の陰では、得体のしれないモノ達の咆哮が、荒れ狂った雷のように次々と轟いた。
――この国の民は、決してその森には立ち入らない理由がある。
それは貴族、平民を問わず、一人一人が家族や隣人に二つの掟を叩きこまれるからである。
ひとつ。森に棲む魔女を怒らせてはならぬ。
ひとつ。森にある小屋の先には行ってはならぬ。影を感じたら、すぐに引き返せ。
誰しもがその魔女を畏れていたし、たとえ掟を無視した者が居ても、帰ってくる者は皆無だった。
一方で、そんなおどろおどろしい作業の裏では、彼女のその美しい見た目に相応しい、女性らしい生活を送っていた。
天気の良い日には、白く美しい花を咲かせる薬草を採りに、森を散策したり。
雨の日には、手作りのキャンドルに燈りを点けて、部屋に広がる甘い花の香りをじっくりと堪能したり。
またある時には、お気に入りの安楽椅子に揺られて、窓の外を眺めながら一日を過ごすこともあった。
そんな魔女は滅多に街に出ることもなく、寧ろ孤独であることを楽しんでいた。
朝は少し遅めに起き、その時の気分で一日を消費する。
まさに自由奔放。
悠々自適な生活を長い間送っていた彼女だが、そんな魔女にもただ一人、友と呼べる人物がいた。
「――やぁ、香煙の魔女。まだこんな黴の生えそうな小屋にいるなんて。そのまま森の茸にでもなるつもりかい?」
「あら、ごきげんようノーフェイス。貴方こそ相変わらず急に現れるのね。てっきりこの森を彷徨う死人が、この小屋まで迷い込んできたのかと思ったわ」
約束も取り付けず、時折ふらっと訪れてくる騎士風の美丈夫。
お決まりともいえる皮肉の掛け合いを一通り済ませると、ノーフェイスと呼ばれた男は愛想もなく、ブーツの音をゴツゴツと立てながら魔女の家に上がり込む。
魔女は男の無作法を気にする様子もなく、それをまるで家族を迎えるかのように平然と見つめていた。
「いつもの煙草をくれるかい?」
「前回から……まだ大して時間も経っていないのにねぇ。あぁ、可哀想に」
お互い感情の見えない顔で、淡々としたやりとりを行う二人。
妙齢とも言える男女が、こんな僻地で逢引をしているにしては――何とも色のない奇妙な光景だが、この距離感が二人の常であった。
男は魔女から煙草を受け取ると、腰元のホルダーから自前のパイプを取り出し、さっそくその味を確かめた。
紫色をした妙に甘ったるい香りの煙が、二人のいる空間を霧のように薄く濁らせる。
「やはり魔女の煙草は格別だよ。この匂いがまた心地いい。ふんわりと心を落ち着かせてくれるようだ」
「ふふふ。褒めても代金はまけませんよ」
男は分かっていると言わんばかりに、背嚢から様々な品を取り出し始める。
動物の肝や外国で採れた薬草、果実の香る酒といったものまで。
それらは煙草の対価として、香煙を作るための材料をこの男に要求したものだ。
そうやって机の上に次々と出てくる素材を、魔女は深淵のような烏羽色の瞳でひとつずつ丁寧に品定めをしていく。
「今回はいつもより多いのね」
「――あぁ。次の戦争は長くなりそうだから」
パイプの先からゆらゆらと立ち上る狼煙を眺めながら、遠い国の英雄は熱の無い口調で質問の主に言葉を返した。
「……そう」
それ以上は魔女も騎士も語らない。
これまでも同じようなやり取りを幾度となく交わしてきたからだ。
どこか諦めた表情の魔女は、騎士とは違う煙草の入ったキセルを取り出した。
そして男に火種を貰うと、ぷかぷかと紫煙をくゆらせ始める。
そうして言葉のない空間で、二つの色の煙が優雅に円舞曲を踊る。
しかし二曲目が始まることは、今までたったの一度も、無い。
先に吸い終えたノーフェイスは「じゃあ、また」と一言だけ告げて、いつものように小屋を後にした。
こうした色気のない関係は、もう何年も前から続いている。
前触れもなくふらりと男が現れ、大した会話もせず帰っていく。
せいぜいが、魔女が淹れる香茶を偶に一杯だけ飲む程度。
まだ若く、美しい容貌をした魔女と一夜を共にすることもない。
彼女は再び一人になった小さな小屋の中で、首から提げたネックレスの先端にある、小さな環を掌に乗せた。
――そして銀色に光る悲しげな瞳でひと言、「可哀想な人」と呟いた。
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本日中に完結まで投稿予定。
(全4話)