3
誠は胸騒ぎとともに目を覚ました。
夜道を全力で駆けている少女。往く当てのない少女を追いかける中年の男。少女は焦りに満ちた表情で公園内に逃げ込み、男もまた鬼気迫る形相で公園内へと駆け込む。
断片的に与えられ、消去された情報が胸騒ぎの原因。
夢のなかにあらわれた光が、やさしく語りかけてきたことは覚えている。
誠は落ち着かない気分のまま、できるだけ普段通りに過ごしていたが、学習塾に愛がきていないことを知ると、じっとしていられなくなった。
塾講師の制止を聞かず、誠は走りだす。
外へ出る。
迷うことなく公園を目指した。
そして、公園の木陰に潜んでいた家出少女をあっさりと発見した。
「いいかボウズ、これは遊びじゃない。命がけだ。かくれんぼも鬼ごっこも、ぜんぶ命がけだ」
隠れ潜んでいたのは少女だけではなかった。
愛よりも驚いてた男が、慌ただしく誠を引きずり込み、耳元で小さく叫んだ。
○
昨夜、愛が家出を決行した頃、とあるマンションの一室で男の浮気が露見した。その男、村井八雲は、包丁をもった女に追いかけられた末、夜道を歩いていた少女に救いをもとめた。藁にもすがるおもいで愛を追いかけた。
公園に逃げ込んだ愛は、八雲を探しまわる女を目撃することで事情を察した。
「居場所をバラされたくなかったら、私に協力しろ」
少女の脅迫を、八雲は受け入れる。
全面的に協力すると約束したうえで、自分の命を優先して車の鍵しか持ち出せていない、車さえ取り戻せば資金でも移動でも協力できると訴えて、家出少女に助力を請うた。
愛は難色を示しながらも了承した。
涙を浮かべつつ手を合わせる残念な大人を目の当たりにして、さっそく後悔したが、自分の選択が間違っていたとは思いたくなかった。
昨夜は怖くて公園から出られず、明るくなってからも、睡魔に負けた少女を放っておくことができなかった八雲。誰かに見つかると社会的に死んでしまう。細心の注意を払って隠れつづけていた。愛が買ってきたコンビニ弁当を食べながら、鬼にみつからず駐車場へたどり着く計画を練っている。索敵も陽動も、この少女ならばやってくれると信じていた。
「もっと暗くなるまでは動けない。いまは耐えろ。忍耐のときだ。どうしてもトイレに行きたくなったら、誰もいないときを見計らい迅速に行動しろ。帰りは尾行に気をつけろよ? わかったか?」
誠は素直にうなずいた。
状況はわからなかったが、悪い大人には見えない。
なにより、愛のほうが気にかかる。
「竜崎さん、家出したから塾にこなかったんだね」
「知らないで探してたのかよ……っていうか、なんで私がここにいるってわかったんだ?」
「ん? うん……そういえば、なんでだろう? 光の人が教えてくれたのかな」
納得していない愛に、誠は光の存在について話した。
久しぶりに夢にあらわれたことも、そのとき何を告げられたのかも。
『不幸なのは、愛されないからではない。
愛されていることに、気づいていないからだ』
「なにそれ?」
「ぼくにもよくわからない」
「子どものみる夢にしては、難しいことをいうもんだ」
少年少女の会話に口をはさみ、家出少女をうかがいながら、八雲は考える。
「不幸ってやつは勘違いから生まれていることが多い。それぞれの思いこみが多くのすれ違いを生んでいるわけで、愛されていない奴よりも、愛されていることに気づけない奴のほうが多いのかもしれない」
「ばかばかしい。自分が愛されてるかどうかぐらい、誰だってわかんじゃん」
「どうだろうな。愛されていると感じていても、ほんとうに愛されているのかを確かめたくなるのが人間だ」
「親は自分たちのことしか考えてない。ほんとに私のことを考えてるなら喧嘩なんてしない。塾なんて通わせない。私のやりたいことをやらせてくれる」
「いいたいことはわかる。全面的に賛成もしてやる。だが、それは親と子の勘違いから生まれる不幸かもしれない。自己愛の結果なのか、娘を愛するが故の不幸なのか……そもそも大人を過大評価しすぎだ。大人なんてたいしたものじゃない。未熟も未熟。なにが正解かわからないだけで、娘のことを、愛していないとは限らない」
「こいつは私をみつけた。家にいないことは気づいてるはずなのに、私の親は、私を探してもいない」
「さすがに決めつけるのが早すぎるな。このボウズが鋭すぎるだけで、そんなに簡単に見つけられるわけがないだろう。警察に捜索願を出したとしても、誘拐の疑いがあるかぎり大規模な捜索はできない。両親は探しにも行けず、家のなかで祈るばかりだ。物騒な世の中だからな。イタズラ目的も考えられるわけで、親としては犯人に殺意を…………」
「おじさん?」
「……念のためにいっておくが、俺はそこそこの資産家で女にも不自由していない。つまり拉致をする理由も監禁をする理由もないわけだ。家出に協力するにあたり、それなりに連れ回したりはするわけだが……」
「おっさん? だいじょうぶか? 汗が尋常じゃないんだけど? マジ、ちょっと離れてくれない?」
「おっさんいうな。それと今後、誰になにを聞かれたとしても俺の存在はシークレットだ。絶対に内緒だ。ものすごく重要なポイントだからしっかりと頭に叩き込んでおけよ? ボウズ、お前もだ」
「うん」
「わかってるよ」
「よし……ああ、だいぶ暗くなってきたな……どうだ? そろそろ家が恋しくなったんじゃないか?」
「おい、おっさん。いまさら手伝えないとか言わないよな?」
八雲は沈黙を選び、誠と愛はそのあともいろいろと話をした。
愛は不思議におもっていた。状況はなにも変わっていないのに、自分が絶対に安全であると感じている。あたりはどんどん暗くなるのに、警戒心がはたらかない。語り合うほど安らいでいく。友だちになってほしいと誠に告げられ、いい返事はしなかったが、愛もそうなりたいと思いはじめていた。
歌うことが好きである。
やりたいことを問われて愛は告げた。
どんな歌が好きなのかを問われて、お気に入りの歌を口ずさむ。
「……あぁ、この少女は世界から愛される」
その才能を、村井八雲は確信した。
事実、愛の歌声は通りすがりの人々を公園内に引きよせた。ちょっとした騒ぎになり、警戒中だった警察官も引き寄せる。
愛の才能に惚れこんだ八雲は、誠と愛を保護した警察官によって確保され、留置場で一夜を過ごした。
○
誠は保護者である伯父夫婦から叱られた。子どもの一人歩きは危ない、これ以上心配させないでほしいと説得され、塾通いを辞めさせられた。浪費をやめられない彼らにとって、今回の騒動は都合のよい出来事だった。
精神的に消耗した愛の両親は、正式に離婚した。愛は母親と二人暮らしをすることになった。塾通いをやめて、声楽のトレーニングを受けている。それについては、正装によって変貌を遂げた資産家、村井八雲の情熱と援助によるところが大きい。
急激に甘やかしはじめた父親にうんざりしていると、愛はコンビニの駐車場で誠に告げた。
トレーニングが厳しい。八雲のおっさんが練習を見にくる。昨日は顔面に生傷を負った姿で逃げ込んできた。女に爪でやられたらしい。そんなこととは関係なく、学校の成績も上げないといけない。いままでよりもずっと忙しいと、ずいぶん楽しそうに話をしていた。
言葉にはしなかったものの、誠と愛は、互いに「友だち」だとおもっていた。
ときどき会って話をしよう。
少年と少女のささやかな約束は、夏とともに終わりを迎える。