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国道で発生した多重事故の現場より、緊急搬送されてきた少年。御堂誠。脳や脊髄に損傷がみられないことから、後遺症の可能性は低いと考えられていた。誠が三日間の眠りから目を覚ましたとき、安堵した大人たちが気に病んだのは、両親と妹の死をどうやって伝えるかにあった。
「うん、知ってる。お父さんもお母さんも、さくやちゃんも、この世界にはいないんでしょ?」
誠は驚く大人たちに伝えた。夢のなかで、ずっと家族と話をしていたこと。家族が安心して旅立てるように、きちんと生きていくと決めたこと。正しい道を歩めるように、守り導いてくれる存在がいることを。
「なんとなく、あったかいんだ」
澄んだ瞳で語られた少年の話を、たんなる夢だと解釈したものは多い。きっとお母さんが守ってくれているのね。そのように信じたものなら少なからずいたが、高位天使に守護されていると考えたものは一人もいなかった。誠自身も、すべてを知っていたわけではない。
「ぼくは守られている。きれいな光につつまれた、姿のみえないやさしい人に」
誠は十歳の子どもだ。大好きな家族と死別して、孤独を感じないわけがない。しかし、失くしたものを思い出すたび、彼はたしかに感じている。やさしく包まれる感覚と、それに伴う安息を。
寂しさと悲しみが長く居座ることはない。
一人で過ごす静かな夜でも、生きていく力があふれてくる。
○
誠は驚異的な回復をみせて退院を果たした。医師や看護師たちから盛大に見送られたあと、すぐに墓地へと連れていかれる。家族の葬儀や埋葬については、父方の親族がすべて終わらせていた。
新しい墓石のまえで、誠は数多くの報道陣に囲まれている。彼は凄惨な事故現場より生還した奇跡の少年であり、幼くして家族を失った悲劇の主人公でもある。以前より存在は伝えられていたが、誠が健気な姿をみせたことで、マスコミ報道は一気に過熱した。
騒動のさなか、誠は転校先の小学校で五年生の春をむかえる。
誠は父方の伯父夫婦の家で暮らすことが決まっていた。自分たちには子どもがおらず、誠に不自由をさせないだけの経済力があると主張していたわけだが、実態はちがった。経営がうまくいっておらず、多額の借金をかかえていた。彼らは弟夫婦の遺産と、全国から寄せられる誠への見舞金が目当てだった。
誠は過分な贅沢を好む伯父夫婦のことが苦手だった。高価な服を与えられ、毎晩のように高級レストランへ連れていかれても、親愛は廻らず居心地はよくない。利用されていることにもすぐに気づいた。
「ぼく、学習塾に通いたいです」
伯父夫婦との食事を避けたかった、誠の我がままは叶えられた。どうせなら学校で一番になりなさいと、周囲に自慢しながらではあったが、気前よく認めてもらえたことは素直にうれしかった。
見栄っ張りなだけで悪い人たちじゃない。
伯父夫婦との距離をつかみ、誠は勉強中心の生活をおくるようになった。
きちんと生きていくために、誠は努力を惜しまない。
友だちがいれば遊んでいたかもしれないが、有名になりすぎて反感をもたれ、転校先の学校では敬遠されていた。
暴力的なイジメの対象にもなりかけたのだが、誠にはそれをさせない奇妙な迫力があった。一時は陰口を叩くことも許されない空気が広がっている。しだいに雰囲気はもどっても、噂はたやすく消えたりしない。
仲良くなりたいとおもう同級生にとっても、近寄りがたい存在となっていた。
「ぼく、そんなに怖いのかな?」
鏡をみながら悩んでも、その原因はうつらない。
○
夏を迎え、出会いがあった。
少女の名は竜崎愛。誠と同じ小学五年生で、同じ学習塾の、同じクラスに通っていた。いつも不機嫌な彼女は、睨み付けることによって周囲に壁をつくり、イヤフォンをつけて、自分の世界をつくりあげていた。
誠も愛も、一人で帰ることは互いに知っていたが、接点はなかった。気にはなってもそれだけで終わる。そんな二人の意図せぬ遭遇は、夏休みが近づいたある日のこと。誠が文房具を購入するために立ち寄ったコンビニで、愛はいつも時間をつぶしていた。
「あんたって、可哀想なヤツだよね」
誰にも話しかけることのない少女が誠に声をかける。どうして? 愛は自分の行為に戸惑ったが、短い時間で切り捨てた。声をかけたのは気まぐれに過ぎない。愛は誠を睨みつける。怒鳴り声とか泣き顔とか、そういった反応を予想していたわけではないが、
「竜崎さんは、ぼくが怖くないの?」
「はあ? なんで私があんたを怖がらないといけないわけ?」
嬉しそうな笑顔をみせられると調子が狂ってしまった。誠の説明を聞くことになり、しっかり聞いても怖がられているとは納得できず、いろいろ質問しているうちに熱がこもってくる。
家族に愛されない自分は不幸だ。
家族を失ったあいつも同じように、あるいはそれ以上に不幸な存在だ。
だから、あいつを見ていてもイライラしないのだろう。
遠くから眺めて考えたことと、近くからみる笑顔が結びつかない。
「なんだ。やっぱりあんた不幸じゃない」
「そうかな」
「我慢しなきゃいけないなんて、不幸に決まってんじゃん」
コンビニの駐車場で結論を出して、愛は心を落ち着かせた。頬が緩んでいる。自分が笑っていることに気づき、不機嫌な顔にもどして誠を睨む。少し困った笑みをうかべる誠から、おもしろくなさそうに視線を外した。
「……うん。あの家で暮らすのは、幸せじゃないかな」
笑顔がかわいい。口にすれば怒られるだろうなと、誠は苦笑する。
話をすることができて楽しい。
友だちがいないのはつらい。
それを意識したために、我慢していた、無理をしていたと言われても、そうじゃないとは言い返せない。なにより誠は、少女の言葉を否定したくなかった。彼女の機嫌を損ねて、嫌われたいとはおもわない。
「それじゃあ、また明日ね」
言いたいことを飲み込んで、誠は元気よく別れを告げる。返事の代わりにため息をつき、愛もまたコンビニを離れた。帰路を歩きながら、誠との会話を思い出して決意を固める。
「そうだ。我慢しなきゃいけないなんて、そんなの絶対におかしい」
その夜、愛はリビングで怒鳴り合う両親にはなにも告げず、家を出た。