表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

お金がないとは何事ですか

作者: 鋼雅 暁

 伯爵令嬢エレナは王都の大通りで立ち止まり、形の良い眉毛を吊り上げていた。

 エレナの足元には、標準的な格好をした貴族子弟が座り込んでいる。泣いているようにも見えるが、長い前髪が目元を覆ってしまいはっきりとしない。

「ロバート、もう一度言ってくれるかしら。わたくしの聞き間違いかもしれないから」

「だっ、だから……一文無しになったんだよ……屋敷も財産も全部取られちゃったし」

 これ以上ないほどにエレナの眉毛が吊り上がり、怒気が膨れた。道行く人が驚いて振り返るほどである。

「うかうかと屋敷を明け渡すとは馬鹿ですか! 子爵家の跡取りとして情けないと思わないの?」

「ひーん」

「だいたい、わたくしが渡したお金はどうしたのですか」

「……えっと」

 ロバートが明らかに狼狽えた。

 視線は左右に忙しく動き、挙句、のそのそとそこから逃げようとする。

 様子を窺っていた人々は首を傾げた。なぜ、王国屈指の伯爵家令嬢が子爵令息と思しき男にお金を払うのだろうか。

 パトロン――という感じでもない。その子爵令息らしき男にとりえがある様に思われないのだ。

 そうこうしているうちに、ロバートと呼ばれた男がその場からの逃走を試みた。

「お待ちなさい、ロバート!」

 エレナの日傘が、すっと伸びてロバートの行く手を遮った。

「ひっ……」

 尚も逃げようとするロバートの前に、エレナが仁王立ちになった。美貌が怒りに歪んでなかなかの迫力である。

「は、はは……」

「わたくし、あなたに支払ったわよね? わたくしのお父様の淫らなスキャンダルの口止めのために」

「は、はい……イタダキマシタ……」

 そうよね、と、エレナは優雅に頷く。周りの人々は聞こえなかったフリを急いでする。

「その口止め料として渡したお金は、どうしたの?」

「つ……」

「つ? はっきり仰い」

「使いました、カードで!」

「なんですって? 全部使ったの?」

「はいっ、全部負けました、スッカラカンです!」

 馬鹿ですか、と、エレナの静かだが冷ややかな声が当たりに響いた。


 だいたい、と、エレナはロバートの傍に座り込んだ。令嬢にあるまじき行為である。

「わたくしは、そのお金で借金を綺麗にし、由緒あるお家の再興をなさいと申し渡しました。覚えていますね?」

 こくこく、顔面蒼白のロバートが頷く。エレナの放つ怒気がたまらなく恐ろしいのだ。

 幼いころから彼女のことは知っているが、こんな恐ろしい子だったのかと今更しった。

「それなのに、お金がないとは何事ですか!」

「も、もうしわ……け、ご、ございませ……」

「まったく。やり直せるだけの金額を渡したはずです。それなのになんて有様……」

 普通逆だよ、と、ロバートは内心突っ込んでいた。

 そう。

 普通は、脅迫したロバートが優位にたち、親のスキャンダルをネタにゆすられた被害者であるエレナが神妙にするはずである。

 だが、被害者であるはずのエレナが圧倒的優位である。

「……ロバート、聞いてるの?」

「は、はいっ」

「幼なじみのあなたの家が、世界恐慌の煽りで困窮しているのは知っています」

 ロバートの家は、エレナの家と同じく伯爵家だった。

 だが、父と祖父が手を出した商売が失敗し、貴族が商売に手を出すからだと笑われ、なにくそと奮起したが状況は悪くなる一方であった。

 ついに爵位を売り飛ばすという最終手段に出たものの、それでも借金は増える一方だった。

 そうしてロバートの祖父と父は心労がたたって相次いで病死し、莫大な借金が息子のロバートに残された。

「そ、そうなのさ。……だからさ、お金を都合してくれないかなーって思って……ほ、ほら、きみのお父上が……五番街に若い愛人を住まわせてるのを見ちゃったから……」

「そのネタはもう前に使ったでしょう。やり直し」

「え、えっと、えっと……きみのお母上がオペラ観劇中にアルコールに酔って大佐に介抱してもらって、そのまま朝まで……」

「そのネタは間違いだらけよ。アルコールに酔ったのはお母さまではなくてわたくし。介抱してくださったのは大佐の奥方様。その日のうちに帰りました。裏どりが曖昧なままでは、誰もお金を支払いません。やり直し」

 ちぇ、と、ロバートは小石を投げる。ネタは尽きた。残念ながら。

「はい、残念。強請り峻り、失敗ね。もっと精進なさい」


 エレナはすっと立ち上がり、優雅に日傘を差した。幼なじみの美貌に、ロバートは思わず目を細める。金髪は流れるようであるし、整った顔立ちとスタイルは美術館の彫刻のようである。

「なにしてるの。立ちなさい」

「え?」

「貴族が道端に座り込むなんてみっともない。さ、わたくしの買い物に付き合いなさい。そうね、お礼としてお小遣いあげないこともないわ」

「小遣いって……俺は子供かよぉ……」

「まったく。お金がないとは何事ですか」

 

 人々はこの数年後、仰天する。

「エレナ嬢とロバート氏が結婚したんだって」

「ロバート氏?」

「ついには子爵も男爵も全部悪い人にとられて、爵位も財産も何もなしのすってんてんになったところを、エレナ嬢が助けたみたいだよ。物好きな令嬢だねぇ……」


 今日もエレナの屋敷では、女主人の

「お金がないとは何事ですか! わたくしが渡したお金はどうしたの?」

と相変わらずな怒声が響いているとかいないとか――。


―了―


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ