2話
私がこの町になんの思い出も持たない一方で、母にとってこの町は子供時代を過ごした思い出に満ちていた。中央病院に職を求めて、四十歳という年齢にも関わらず就職できたのは母がこの町に生まれ育ち、友人知人のコネを使うことができたからだった。母はこの町で育っているのだからそれは当然のコネクションかもしれないけれど、私はそれをズルいと思った。私にとってゼロからのスタートが、実は母にとってそうでないということ。それは不公平だ。もしかしたら母は父との生活や思い出を捨ててその上で差し引き「ゼロ」になってしまわない為に、この町に戻ってきたんじゃないだろうか。そもそも実家に戻っていないのに、この町に戻る必要がどこにあったんだろう。
祖父母は健在で山手の住宅街に住んでいる。祖父母は離婚して出戻ってくる母に一緒に住むように勧めたが、母はそれを頑なに拒否した。そのことは祖母から聞いた。母は離婚して実家に出戻るなんてみじめったらしいことはしたくないと言ったそうだ。自立した生活が精神的にも必要なのだと。私にしてみれば離婚して出戻るのも、娘と2DKに二人暮しもどちらも同じぐらい侘しくみじめったらしく思える。しかしそのことは鎮痛剤でもを飲み下すようにひっそりと嚥下した。小さな塊は喉や食道を通り胸に落ちながら、私を息苦しくさせる。
自立した生活というのが、どういうものかは分からない。もし、母の暮らしが自立とかいうものならば、私はそのために犠牲にされているとしか言いようがない。だいたい、あのせまい2DKは一人暮らしの為のそれではないだろうか。そう考えた時、私は父の言葉を思い出す。「一緒に暮らしたいか」。あれは父と母が私の存在を押し付けあったのではないだろうか。
本当は私は祖父母と暮らしたかった。このせまいロイヤルハイツではなくて。作りは古いけれど、洒落たレンガの建物の広々した家に。暗い色をした板張りの応接間。あそこならピアノだって置けただろう。しかし、父も母も私にそんなことを言わせる隙は与えなかった。
転校してきて、私はいつの間にか玉島さんのグループに入っておりなぜか彼女達からかわいいとかお洒落とかの褒め言葉を受け、異様にちやほやされていた。それは私を面倒な気分にさせたけれど、それでも彼女達のおかげで校内のどこに何があるのかは把握できたし、学校の様子を知ることもできた。
担任は神経質で、キレると声が一オクターブあがって収集がつかなくなること。同じクラスの上野さんはしょっちゅう問題を起こすヤンキー崩れだから気をつけた方がいいこと。三枝さんは学校一の美人でモテまくっているけれど、実は高校生の彼氏がいること。生徒会長の大原くんと副会長の柳田さんはつきあっていること。どうでもいいようなことばかりだけれど、こういった情報を持っていないと誰とも共通の話しができないのだから仕方がない。思い出を持たないというのは、そういうことだ。この閉鎖的な世界で「知らない」というのは誰からも相手にされないのと同義だ。それは前の学校だって同じだった。
そんな彼女達のもたらす情報の中で、話題の首位を占めているのが山田くんのことだった。私は転校してきて三日目にはもう玉島さんが山田くんを好きなのだということが分かった。そのぐらい、玉島さんはあけすけで、よく言えば屈託がなく天真爛漫で、悪く言うと思い込みの激しい女の子だった。もしかしたら、玉島さんが一番に私に声をかけたのは私の席が山田くんの隣りだったからかもしれない。
山田くんは隣りの席なので、授業中にノートを見せてくれたり、過去のプリントを見せてくれたりする。あまりお喋りなタイプではないらしく、いつも口数は少ない。こんな地味でおとなしい男の子が好きだなんて、意外だと思った。玉島さんは典型的な、少女漫画にでも出てきそうなぐらいはっきりしたキャラクターだから、サッカー部やバスケ部のスタメンに選ばれるような子を好きになるのだと思っていた。そして大騒ぎして練習試合を見に行ったり、差し入れをしたり、告白するのだと。それが彼女には似つかわしく思えた。
玉島さんが山田くんの話しをするのを私はいつも興味深く聞いた。
「山田はねえ、いつもポケットにガムとかキャンディとか持ってるんだよ。で、頼めばいつもくれるの。優しいんだよー」
とか、
「長距離は早いの。去年のマラソン大会で上位に入ってさあ。かっこよかったあ!」
とか、
「三組の木村さんも山田のこと好きらしーの。ライバル多いんだよねえ」
とか。おおはしゃぎで教えてくれる玉島さんを見ながら、このおおっぴらな好意を山田くんが知らないはずもないだろうし、果たしてそれをどのように受け止めているのだろうかと不思議な気持ちになった。
玉島さんは明るくて子供じみた女の子だけれど、容姿がずばぬけてかわいいとかいうのではない。背は高いけれど、全体的に大柄でどたどたした運動靴に白い靴下がうんと野暮ったい。目は良くいえばつぶらだけれど、言い換えれば小さくて物足りない印象を与える。その目を輝かせて私に甘えるようにからみついて山田くんの話をする時などはとても表現に困る。
「山田の隣りの席なんて、ナツが羨ましい」
玉島さんはそういって冗談っぽく拗ねてみせたりもして、ますます私は苦笑いで誤魔化すのだった。
ミサやカナにはしょっちゅうメールをいれている。玉島さんのことも山田くんのことも、母のことも、この町のこともちょいちょいとメールする。その中でミサもカナも夏休みに遊びに来るように言ってくれていた。うちに泊まればいいから、と。私はすでにそれが楽しみで仕方なかった。
こうやって、例えばオンラインで繋がっていると、私は「ゼロ」じゃないんだと思える。まだ持っているのだと思える。私が捨てたのは、……正確には「失った」のは父とピアノだけで、他にはなにも失っていないと。それは私の心を俄かに温めた。と同時に、完全にゼロになることを恐れた母の気持ちが分かるような気がした。今の私は教室の誰とも繋がっていない。即ち、この世界の誰とも繋がっていないということだ。こんなにも「一人」でいるのは初めてだった。
そんなある日、山田くんが私に英語の中間テストの過去問を見せるために机を寄せながら言った。
「渡辺さんのお母さんって、もしかして中央病院で働いてる?」
「え? どうして知ってるの?」
「俺の母さんも中央病院で事務やってるから」
「ああ!そうなんだあ」
「同級生だったらしいよ」
「中学の?」
「うん」
山田くんは折り畳んだ問題用紙を広げて、皺を伸ばしながら頷いた。丹念に皺を伸ばす手が随分と大きく、指が長い。
「そんで、昨日母さんが渡辺さんのこと聞いてきたから、隣りの席だって言ったら喜んじゃってさ」
「どうして?」
「親同士も同級生で、何十年ぶりかで再会して、子供がまた同級生になって、しかも隣りの席なんて、めちゃめちゃドラマチックだろ。運命的だってはしゃいでた」
そう言うと山田くんは「ははは」と笑った。
「なんだろうなあ、そういうのが好きなんだよなあ」
「山田くんのお母さんって、もしかして昼ドラとか韓流とか、火曜サスペンスとか好きなんじゃない?」
「あ、やっぱ分かる?」
私達は思わず揃って笑ってしまった。笑ってから、ちょっと先生に睨まれたので慌ててプリントに集中するふりをして教科書や辞書をめくった。
山田くんの過去問は皺になっていたけれど、赤ペンで書き込みがちゃんとされていて、その真面目さを窺うことができた。過去問の復習をする間、その退屈さにまぎれて山田くんと初めて少し打ち解けたような会話をした。といっても、単なる世間話しに過ぎないのだけれど。それでも隣りの席の「地味で掴みどころのない男の子」という、緊張を強いられる状況を払拭するには充分だった。隣りの席ならいやでも教科書を見せてもらったり、意見交換やらなにやらしなければいけないのだから、仲良くなるにこしたことはない。私はようやく、このクラスで生きていく為の手筈は整ったような気がした。
勿論、その夜母に山田くんのことを話したら、母は「そうそう、そうなのよ!」と嬉しそうに山田くんのお母さんの話しを始めた。母の仕事は朝から夕方までというのと、夕方から深夜帯までというのと二種類のシフトになっていて、遅番の時は私がごはんの用意をするようにしている。といっても、全面的にというわけではないのだけれど、ご飯を炊いたり簡単なおかずを作ったりする。でなければ、母が作りおいたおかずを温めたりして食卓を整え、洗濯物を畳んだり、お風呂を掃除したりする。
そういったハウスキーピングは引っ越してきてからするようになった。以前は専業主婦の母が全部やっていたし、私は手伝おうという気にもならなかった。環境の変化というのはすごいものだ。私は母を助けなければなどとは思っていない薄情でわがままな娘だけれど、二人の暮らしになにが必要かは分かっている。心境の変化ではない。あくまでも、環境だ。私は母との暮らしを円滑にするために家事をし、学校に適応している自分を語る。そうしなければいけないように感じている。すべてがオッケーだということ。そのように見せかけること。それが私の義務であり、二人の暮らしに必要な「目隠し」だった。私は懸命だった。家でも、学校でも。
母は山田くんのお母さんと出勤して三日目で再会したそうだ。山田くんのお母さんは中学時代に仲の良かった三つ編みの女の子の面影を、即座に母の中に見出したそうで、それこそ山田くんの言うように「運命的」だと大喜びしたらしい。
「その喜び方が中学の時と同じで、おおはしゃぎでねえ。びっくりしちゃったわ。時間が逆戻りしたのかと思った」
「山田くんは大人しい感じの子だけどね」
「じゃあ、お父さん似なのよ。きっと。年上の男の人と結婚したっていうのは、知ってたから。落ち着いた人なのね」
「ふうん」
山田くんは大人しい子だけれど、男の子達の間では割と社交的な方で、みんなから気安く「山田」と呼び捨てにされていた。数学の成績がいいらしいのは、彼が見せてくれたノートですぐにわかった。几帳面な字で丁寧に書かれたノート。それがそのまま山田くんの人間性のようだった。
母親同士が友達と分かると山田くんは当初よりよく話しをしてくれるようになった。大抵、テレビや音楽の話しだったけれどそれが普通だと思った。野球やサッカーの話し、部活の話し、日々のあれこれ。それは私をまるで感動させない代わりに退屈もさせなかった。言い換えれば単調で平和な生活の象徴のようだった。
思えば、父もルーティンな生活だった。朝早く、ラッシュにもまれて仕事に行き、残業に次ぐ残業で、時々は酔っ払って帰ってくることもあったけれど、概ね仕事漬けで、日曜だって接待ゴルフに出かけていた。ハードな生活だった。でも、父にとってはそれらすべては予定調和の中にあったように思う。想定内だ。離婚は想定外だったかもしれないけれど。
父とはほとんど連絡をとっていない。時々、メールをいれたりしたけれど父は短い返事を返してくれるだけだった。「新しい学校はどうだ?」「しっかり勉強しなさい」みたいな感じ。ただ、それだけ。私はそれを、父がもう私達とは無関係だとでも言いたいような、ささやかな抵抗のようだと思った。父もまた、すべてを捨て去ってしまいたいのかもしれない。私は、もっと幼い頃に父の日にあげた似顔絵や肩たたき券や派手なネクタイを、父が全面的に捨ててしまっていても驚かないだろう。父にも母にも、捨てたいほどの過去がある。しかし、私には、ない。子供である私には捨てるほどの積み重ねはないのだ。私達は実は初めから家族でさえなかったのだ。そう思うと、この離婚はあるべきところに返るような自然のことに思えた。