歴史のお話し。2
初代皇帝とその側近ってすごい人だったんですよ。
エオルドゥア大陸の四分の一を制圧し、世界にその名を知らしめたシュテファン・ウィスタリア皇帝は、帝国の名を「ウィスタリア」と命名。
そして、帝国の統治を盤石なものにするため、異文化との交流と融合を図る諸政策を実行し、現在では通貨価値は変わっているが、マールという通貨を広大な地域に流通させ、両替の手間を省き、商取引を迅速なものに変えた。
バラバラだった国を一つの大きな大国にまとめ上げたわけだが、当然文化も違えば、言葉も、信仰する宗教も違う。
軍隊をまとめ上げるのと、民衆の心を掴んで一つにするのとでは訳が違う。
しかも、戦争で潤った一部地域も有るには有ったが、それ以外の多くは戦争で疲弊していた。
自分たちの生活が安定しない国家で、ましてやそれが異民族の皇帝が治めているとなれば、当然反乱分子はウジャウジャ出て然るべきである。
それを恐怖政治で押さえ込まなかったのは流石と言うか、アッパレである。
農地改革を進め、林業・水産業の発展に務め、織物産業や工芸品等、元々その地の特産品にも注力する事を忘れなかった。
流通を円滑に進めることによって、生産性を高め、なんと早い段階から分業を確立してしまった。
当然経済も潤ったのである。
そして、公用語をウィスタリア語と制定し、言語を統一。
宗教も、多神教であるスカンディーナ教を国教とした。
それだけに留まらず、『国家を育てること、即ち人を育てること!』という考えの元、勉学に一定の基準を設けた。
前世での日本の様に『義務教育』の期間を設け、平民や庶民向けには『学校』を、貴族や王族には家庭教師を付け、人間が人間らしく生きる上で最低限必要となる勉学を受ける権利を皆に等しく与え、身分や貧富の差で職業を選ぶ権利を奪われない様にし、優秀な人材を作り上げていった、
それは一重に、シュテファン自身がかつて子供の頃、海向こうの東方の大国から招いた哲学者から、多くの事を学んだ事に他ならない。
そして、最初こそ全てのことに帝国が関与していたが、国力がある程度成長した頃合いを見計らって、可能な所から民間に落とし込んでいったってんだから仰天だよね。
そんな素晴らしく確立された、現代日本人の理想とも取れる国家が1000年近く経った今でも脈々と続いていると言うのだから、コレもある種の「乙女ゲー」の強制力なのだろうかと、詮ない事を考えてしまう。
ここまで細やかに細部まで国造りの基盤を作ったのが、皇帝の弟のミヒャエル・ウィスタリアと従兄弟のヴェルナーとヴァルターの3人で、戦後すぐに公爵の称号を賜った3人が、成し遂げた偉業だったのである。
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