第1話
「ねぇ、知ってる?4丁目でまたホームレスが殺されたんだって」
「やだ〜先月は2丁目じゃなかったけ?」
「そうそう。その前は隣駅の…」
「あ〜予備校生が殴られたやつでしょ!?」
「犯人まだ捕まってないっていうし…同一犯かなぁ」
「え〜まじヤバいってぇ。ってか今年に入って物騒すぎじゃね?」
「こらーチャイム鳴ってるぞ〜早く教室戻れけ〜」
きゃー
バタバタ…。
私立東亜高校。
昼下がりの廊下を噂好きの女子生徒が数名小走りに駆けていく。
「廊下は走るなよ〜」
その後方には、ため息まじりのややいかつめの男性教諭。
セーラー服のスカートが通り過ぎていった緑色の廊下には、穏やかな木漏れ日が美しい影をつくり、白いカーテンの隙間から溢れおちる薄紅色の花びらが絶妙なバランスで見事な春を彩る。
――よくある午後の学校風景。
あまりにもありふれた、けれどこの瞬間しか見られない光景に、僕は見るともなしに男性教諭の背を見ながらひとつ息を吐いた。
(良い天気だなぁ…)
うららかな気候は、音楽室から聞こえてくる若い声たちと共に、平和な安らぎを運んでくる。
それがどんなに希有なものか、誰にも悟られずに。
僕の名前は楠木正義。正義と書いてまさよし、と呼ぶなんて少し変わった名だ。
でも結構気に入ってたりもする。
今日も特進クラスのある2階のはずれから、中庭を挟んで反対側の廊下をぼんやりと眺める。すると
「おい楠木。授業中にぼさっとすんなよ」
馴染みの声と一緒にポスッと頭に軽い衝撃を受けた。
「遠路。えっと何の話だっけ?」 丸めたノートが当たった後頭部を押さえつつ、攻撃してきた相手――遠路潤平を見やる。
「ったく。オマエは毎回毎回。わかっててやってんだろ?」
呆れ顔の遠路に、僕は肩をすくめて微笑を返す。これが最近の遠路と僕のお決まりのやりとり。
遠路に言われるまでもなく今は5時限目、授業中だ。
僕はのどかな風景からスライドし、現実に目をむけた。
「ちょっと遠路!正義とイチャついてないで、とっとと議題すすめてよ」
「んだよ!俺が怒られんのかよ」
教室の前方に座る茶髪の女子生徒・馬宮華乃にやじられつつ、僕の目の前に立っていた遠路はブツブツと文句を言いながらも、教壇に戻っていく。
「んじゃ、始めるぞ。先週に引き続き今日の議題は――」
遠路のよく響く低い声に、皆行儀良く返事を返す。
ここは特進クラス。関東屈指の進学校・私立東亜高校の中でも特に秀でた生徒のみが集められたこのクラスは、わずか13名の少数精鋭だ。
2年生の一年間しか存在しないかなり特殊なこの特進クラス・通称2Xでは、毎週水曜日の5時限目にホームルームを行う。
ホームルームと言っても担任は存在せず、特進クラスに進級した際に告知された、厄介な辞令についてクラス委員長が中心になって皆で話し合うのだ。
まさに今その話し合いの最中なのだが…
「遠路、ちょっといいかしら?」
スッと姿勢良く手を上げたのは、東亜高校1美しいと密かに言われる、御園早苗だ。肩までの彼女の黒髪は常にまっすぐで、僕はいつも触ってみたい衝動にかられる。
「なんだ?御園」
「私ね、今回の4丁目の殺人事件ってアレの仕業だと思うの。以前取り逃がしたものが害をなしたんじゃないかしら」
左手を優雅に顎の下にあて小首をかしげる様に、数人の男子生徒が目を奪われている中、クラスきってのヤンキー娘・馬宮が硬質な声をあげた。
「ちょっと何よそれ。私が悪いっていいたいわけ?」
ガタンっと机を鳴らす馬宮を見ようともせずに、御園はその細い指先に自慢の黒髪を巻き付ける。
「あら、私は推論を話したまでよ。それに誰かの責任を問うたわけじゃないの」
「だからそれがっ…」
「――まぁまぁ。二人ともケンカはよしなさいな」
温度差の激しいやりとりが、険悪な雰囲気になる手前の絶妙なタイミングで水をさしたのは、もう一人のクラス委員・箕輪眞紀子だ。
ベリーショートと目鼻立ちのはっきりした容姿は、高身長と相まって頼れる姉さんといった風情だ。
「御園の意見は1つの意見として取り上げよう。馬宮はとりあえず落ち着いて、席に着いて。まずは今回の議題に即したところから始めようじゃないの。それでいい?御園」
テキパキとした箕輪の仕切りに、こくんとひとつ頷いた御園と、不満げに着席する馬宮。
――さすがクラス委員。
僕は思わず心の中で拍手を送ると、黒板にデカデカと書かれた今日の議題――といっても一度も変更されたことのない議題に目をやった。
今日の議題
「カガミを殺すことについて」