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蘇芳が躍りて、蒼揺らぐ  作者: くものプーさん
1/1

1 始動

 







女神が()()()によって永久の青海(エバーブルー)に世界を確立させてから三千年近く時が経った。


それから、人の手の及ぶ場所は聖骸山を隔てた向こうの世界と合わせて大きく三つの領域に分かれた。


 栄煌教支配領域、宵樹教支配領域、聖骸山を隔ててアズマ領域の三勢力である。このうち、二大宗教は計画的な統治と極めて冷徹な搾取システムを用いることで磐石の地位を築き上げると同時に、支配下の領域に代理戦争を行わせ自らの正当性を高めんとしていた。




 フラジール半島。

 

 英煌教支配域の東端に位置し、聖骸山の北北西にあたる。その名のとおり、地図の上から見た場合、非常に細い形をした半島になっており、三メートルから五メートル並みの木々の生い茂る密林地帯である。


 魔災――この世界における魔獣群勢(スタンピード)超魔暴乱(ランペイジ)と呼ばれる現象の影響を受けやすく、発生した後に周辺都市国家への被害の波及を危惧されるため絶えず栄煌教と冒険者ギルドから監視されている地域でもある。万が一、魔災が発生した場合この半島はその姿を保てないほどの被害を被ると予測されフラジール半島と呼称されている。


 この地に、一体の虫が生まれた。


 だが虫はそう呼ぶにはあまりにそれと離れていた。


 まず、強靱な体躯――地面や空気中を飛び回るような虫に似つかわしくないほど巨大な体全体は蘇芳色に染まり強靭な外骨格を携えている。二メートル程の身長は、それを動かすだけで周囲の繁茂とした緑を踏み潰し、なぎ払った。その犠牲になったものは草や蔦に限らず三メートルを超える木々も含まれていた。


 つぎに、八つの目――それぞれの目は大小それぞれ大きさは異なっていながらもそれぞれ別の役割を担っている。とりわけ巨大な二つの目は、それだけで一般的な成人男性の握り締めた拳ほどの大きさもあり、遠くの生物だけでなく周囲の環境も絶えず視界に写している。



 三つ目に、巨大な鋏角――顔の半分を覆うそれは、黒みがかった濃い赤色でいかなる獲物をも貫けるような鋭利さを備えており、その色味や機能性は一種の妖しさを備えた美しさも持っている。


 四つ目に、八つの脚――全体を覆う外骨格はそれぞれの足先まで覆われているが、しなやかさを損なわないよう先端に行くにつれ節目の数が多くなっており、節目の黒色がより強調されている。また先端には物をつかむためと言ってはあまりに凶悪な形をした三本の爪が生えており、目前に近づく邪魔な枝や蔦をマチェットよろしく切り裂いている。



 その生物は八本の脚をすべて使って移動していない。尻部に近い脚二本で人間の足を動かすかのようにに器用に歩き回っていて、それを補うかのように他の脚と比べて太く長くなっている。残り六本の脚はもっぱら人間の腕のように振り回したり、枝葉を掴んだり自分の顔を確認するなど思い思いのスタイルで動かしていた。

 

 クモと呼ぶには少々常軌を逸した行動をする生物は、見た目において変わった点もある。



 それは腹部だ。どの種類においても目や鋏角に加えて印象的なからだの部位ではあるが、体格相応の大きさはなくむしろ人間の上半身に近い形である。鋏角の備えている真正面からみた腹部は、鍛えられた人間の上半身の型に溶けた鉄を流し込んだかのような姿だ。一方で背面は刺々しい亀の甲羅を背負っているようで、一般的なクモの姿に比べるとささやかに特性が維持されている。



 そうして、クモモドキは歩みつづけるとこの鬱蒼した密林の前方に青々とした光を見た。

 かくして、光に近づくとそれは光ではなく巨大な湖であった。湖の果ては見えるものの、奥に見えるおそらく密林であろうものは、いままで歩いてきた道の下生えの如く小さくみえ距離は程遠いようだ。


 湖のなかを泳ごうにも泳げるかわからず、水深の深そうな場所の黒々とした様に少々不気味さを感じていた。


 思案の間をとって湖沿いに歩くことを決意する。間違って一周しないよう、湖に面した木々をへし折って目印替わりにすることにした。


 湖を左回りに木々をへし折り歩いていると、にわかに水面がうねりだした。最初は、風が水面を動かしているように見えたそれは、明らかに生物の息遣いを感じさせる大きなうねりとなって水面を荒らし始めた。


 そうして、観察を続けていると水面に鮫が見えた。次の刹那には口を広げたそれが水面を飛沫立たせて飛び込んできた。いままで歩行に利用していた左の脚を、軽く後ろに避けることで、その勢いによって生じた風のみ味わうだけにとどまった。その鮫は後方にあった樹木にその凶悪な牙を突き立てていた。万力を締め上げるかのように木が少しずつ圧を加えられることで、幹が砕け散る音を轟かせていた。

 

 再び水面が暴れだした。断末魔をあげるかのような木とますます牙を食い込ませるサメのもがきをものともしないかのように、二体のサメが水面を食い破って飛び込んできた。今度は躱そうとしても軽傷は避けられないであろう攻撃だった。


 状況を把握したのち迎え撃たんと両足以外の残りの六脚――腕の六本を使い、左右を三本ずつで止めた。止めた際にそれぞれの腕の爪が食い込み、果実から溢れる果汁のように血がたらたらと溢れ出していた。同時にまだ余力があることに気づいた。この調子ならそれぞれ一本ずつでも事足りる。自分の余裕を感じる一方で疑問に思う。


 他に何ができるのか


 目の前の二体が痛みでのたうち回るように自分の中の好奇心が疼きだし軽く実験することにした。左側は上から三本目の腕で掴み右側は上から二本目の腕で掴んだ。どうやら、腕の部位によって力の差はないようだ。次に、この腕の機能を調べることにした。左側の一体に添えるように左の残りの腕で掴みそのまま、紙をちぎるように三本の腕を三方向に引いた。

 

 はたして鮫はバラバラに引きちぎれた。むしろ水袋を引き裂いた感覚の方が近いようだ。この結果に興奮してしまったからだろうか、右手の爪が深く食い込みすぎて右側の一体は絶命してしまった。鉄の匂いの果実を二つだめにしたが、もう一体が残っている。

 

 断末魔を上げ終わり、はた迷惑に他の木々にあたりながらへし折れた木が倒れこむと、口のなかの木片はそのままにサメがこちらに飛び込んできた。先ほどのように臆することなく難なく躱す。対角線上にあった湖に逃げ込んだサメは逃げもせず次の襲撃の機会を伺っていた。その好戦的な性格をいかし、もうひとつの実験をすることにした。


 サメは今度は勢いをつけることにしたようで、今度は距離を稼いだ上で襲撃をかけてきた。先ほどのような静かな襲撃ではなく荒々しく飛沫をあげ突撃するさまは、ただの必死さだけではなく意地のようなものも感じた。

 

 だが結局それだけだ。それに呼応するかのように頭を大きく後方にかぶり、歩行のための左脚を若干下げることで視界に入ったままにする。

 

 数秒も時間はない。先に仕掛けたのはサメの方だった。先ほどとは比べ物にならないほどのスピードは音すら置き去りにするかのようだった。だが直撃のその直前、突如弓のように体をしならせた生物のほうが鎚を打ち付けるが如く鋏角を振り下ろした。――その姿は逆袈裟に切り裂く剣士のようでもあった。




 栄煌教フラジール半島観察局、および冒険者ギルドグローリーライン支部は、ほぼ同時刻にフラジール半島において巨大な水柱がたったことを観測した。テリトリーモナークの進行の恐れもあったため魔術的観測ができず、現地偵察のチームがそれぞれ派遣された。


 観測地点はシジマ湖であった。しかし、現地到着時点でシジマ湖は消失していた。跡地は断崖絶壁になっており、何者かにくり抜かれたことでこのような形になったと報告された。

 以前からシジマ湖は海に触れてしまったため小規模な万鮫(シャークタイド)の群れが流入しているという報告が冒険者ギルドによってなされていたため、万鮫(シャークタイド)のなかの特殊個体による痕跡、とする意見が大半だった。


 しかしながら、湖近辺の密林の一部が何か陸上の獣に鋭利な爪のようなもので裂かれている痕跡が発見されるといったイレギュラーが発生したために原因究明は難航した。


 結局、フラジール半島の陸上生物はそれほど危険性の高いものは存在せず、魔素濃度の低い地域のため突発的な魔物の出現はありえないということで万鮫(シャークタイド)の特殊個体の仕業ということで意見が落ち着いた。フラジール半島には、かつての栄煌教による占領政策の際に取り残された魔道具などがあったため、それによって魔道具が誘爆した可能性もこれを後押しした。




 そのようなことがあったことは露知らず、クモモドキはフラジール半島の北端まで到着した。

 

 眼前には大地すら飲み込まんほどの藍色の海とそれに染まらない薄群青の空があり、ポツリポツリと浮かぶ白い雲が佇んでいた。藍の空には一際輝く太陽のような輝きを放つ恒星が燦々と大地を照らしている。


 その雄大な光景には狭間に無理やり差し込んだように緑と茶の混じった陸地がところどころ伺えた。


 陸地は半島に対面する形で藍の海をはさんで彼方にあるものと別の方角に小さな島々が点在しその向こう側に目の前の陸地より遥かに広い陸地が見える二つがあった。結局、泳げるかどうかがわからなかったため小さな島々伝いにその果の陸地に向かうことにした。


 足元で波打つ飛沫たちにつらなるように茫洋たる藍が佇む大海。いずれはこの大海にも挑みたい。漠然と心に浮かべつつ生物は島へ跳ね移った。胸に高鳴る好奇心を忍ばせて。



 こうして、人とも虫とも言えない独特なクモ――のちに、アラクノイドと分類された生物の物語はここから始まった。











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