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哲学者カントは啓蒙がお好き

ブックマーク登録や評価、ありがとうございます。「自分の楽しみのために書いている」と言いつつ、評価されるというのは嬉しいものですね。最後の展開は決めてあるので、そこにたどり着けるように頑張ります。

「人類は啓蒙されたか、ですか……答えだけ先に言えば、いいえ、でしょうね」


「うっそだぁ!」


 期待はずれのその返答に、私はついつい友達言葉で話してしまう。どうやら私、この地で目覚めたことで肉体と共に精神も少しばかり若返ったようだ。そんな気がする。


 私の学者人生は、人類全体を啓蒙するための「手引き」を示すことに大きな目的を置いていた、といって過言ではなかった。


 人類が啓蒙された状態。それは、手短に言えば、人類が未熟な宗教や似非科学、その他の無知蒙昧な迷信に踊らされることなく、自分の力で「確かな知識」と「不確かなこと」を区別し、考え、道徳的に行動する勇気を持った(つまりは自律した)状態に移行すること、と言える。


 これが大きすぎる野望であったことは、私も承知している。私が最も力を入れた大作『純粋理性批判』、その巻末に私は、「人類は18世紀の内に真に啓蒙されるであろう」といくばくかの願いも込めて記したものだ。


 この私の野心は1781年の『純粋理性批判』初版発行当時から波紋を呼び、喝采を持って受け入れた者もいれば、激烈に反対した者もいる。


 反対派には、疾風(シュトゥルム・ウ)怒濤(ント・トランク)の父ハーマンやその弟子(こいつはかつて私の生徒だったというのに!)ヘアダーといった相対主義者の顔もあった。このよう者達から、私は「カントとその信者は上から目線で傲慢だ」という手痛い批判を浴びる結果となった。


 疾風怒濤の父、その巧みな話術と数奇な人生から「魔術師」とも呼ばれたハーマンはまだいい。彼は立場こそ違えど、筋の通った人間だ。彼とは少しの争いこそあったものの、手紙のやり取りは続いた。私はあいつのことは認めていたのだ。


 しかしヘアダー、私の元生徒。私が一度、あいつの論文にちょっと否定的な評価を下したからって、それを根に持って事あるごとに私を批判してきおって。まったく、これだから自然哲学を「やらなかった」文系の頭でっかちはたちが悪い。


 奴ら、自分たちだけの学派(Schule)などというものを作り、輪の外の学者達を事あるごとに批判してくるくせに、こっちの言い分はまったく聞かない。その態度こそが哲学を停滞させる原因だと、わからんらしい。


 対して、物理学や天文学といった自然哲学をやった連中は概してオープンマインデッドだ。ニュートンをはじめとする天才達が、みなが納得する共通の前提を立て、そこから地道に、コツコツとやってきたからこその今日の(と言って200年前のことだが)成功がある。


 おっと、話がそれてしまった。あのわからず屋のことなど、もはやどうだっていいのだ。大事なことは啓蒙であった。けいもう。


 私は黄色天使に問わざるをえなかった。


「え、人類、啓蒙されてないのか?200年も経ったのにか?一般の民にまで小麦や肉が行き届いて、街並みはこんなに綺麗に整えられているのに?人々も、少し変わってはいるが、目新しい、きれいな服を着ているではないか。そしてみな、よく教育されているように見えるが」


 私の問いに、黄色天使は困ったように答えた。


「それでも、啓蒙されたか、と問われると、やはり答えはいいえ、です。確かに、全体としては、生活の質は格段に向上したと言えるでしょう。今やこの国に住む人の平均寿命は80歳近く。国民の大多数が高等学校(Gymnasium)に通い、飢えるほどの絶対的貧困も、そして戦争も、昔よりは少なくなっています」


「なん……だと……」


 私の驚きに気づくことなく、黄色天使はたんたんと話を進める。


「それから科学技術は飛躍的に発展しました。例えば人類は空を飛ぶ乗り物を発明し、果ては宇宙にも到達しています。経済が豊かになり、政治や科学に無関係な一般市民も、毎日きれいな服を着て、美味しいものを食べることが普通になっています」


 お、ちょっと待て。黄色天使よ。そんなにさらっと、重要なことをたくさん言わないでくれ。なんだと、なんだと?


「平均寿命が80歳、皆が高校に通学できる、科学は発展、空を飛ぶ乗り物?、人類は宇宙に到達、衣食住の質も向上、だと!やっぱり天国じゃん、ここ!ユートピアで、Sci-Fiの世界じゃん!啓蒙されてるじゃん、人類!」


「いえ、天国なんかじゃありません。ここは200年後の日本。プロイセン……今は『ドイツ』という国になりましたが、イマニュエル、あなたの祖国を含めて、多少の違いはあれど、『先進国』の人々の生活はそういった感じですよ。というか、ロックバンドを知らないのにSci-Fiは知ってるんですね……」


「わが祖国もか!200年で進んだもんだ!?やるじゃん人類!科学すごい!それで啓蒙されていないとは、ふざけてるのか?!」


 ……おっと、私としたことが、少し興奮してしまった。落ち着くために空を仰ぐと、鳥ではない、直線的な「何か」が、尻から雲を出しながら天空を進んでいる。


 どうやらそれは、飛行機、というらしかった。そして、実はさっきから気になっていたのだが、通りを走る大量の乗り物、自動車というらしい。

「え、啓蒙されとるやろ?」

「いや普通の20xx年ですわ。そんな期待せんで下さい」

「いやいやいや啓蒙されとー!」

こんな話でした。次回ようやくラーメン。



※自然哲学=こんにちの自然科学、思弁哲学=こんにちの人文学、のつもりで書いています。当時は自然科学(Naturwissenschaften)という言葉はあっても独立した分野ではなく、古典物理学や天文学は哲学の一分野、自然哲学(Naturphilosophie)でした。当時の大学でも、理系の学問分野は哲学部や医学部の中に収められていました。


※カントが住んだケーニヒスベルクはもはやドイツではないのですが。


※北欧やドイツ語圏は他のヨーロッパ諸国━フランスとか━に比べて、教育に力を入れる国が多かったようです。カントの死後すぐ、1816年にはプロイセンの子供のうち60%が通学。ドイツで子供の通学が義務化されるのは1919年。でもそれは、まずは小学校相当のPrimarstufeからの話。高校相当のSekundarstufe 2が万人に開かれるのはもうちょっと後。

https://de.m.wikipedia.org/wiki/Schulpflicht#Schulpflicht_in_Deutschland


※もちろんカントはSci-Fiなんて知りません。ウェルズやヴェルヌは19世紀後半の人ですしね。ただ、空想小説は当時からありました。ガリヴァー旅行記とか。



Beiser, Frederick C. (1987) The Fate of Reason . Harvard University Press.


Kant, Immanuel. Kritik der reinen Vernunft.


Pinker, Steven (2018) Enlightenment Now: The Case For Reason, Science, Humanism, and Progress. Viking.

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