哲学者カント、当時の食事を思い返す
ラーメン屋、という料理屋に向かう道中、私は黄色天使に尋ねてみる。
「なんだね、その、ラーメン、というのは」
私の質問に、黄色天使はさも何事でもないかのようにそう答える。
「ああ、ラーメンというのは、現代の日本のごく一般的な料理ですよ。スープに浸った麺料理のことです。麺は小麦が主な原料で、具は肉や野菜、茹でた卵などですね。スープにはいくつか味の種類があって……」
と、黄色天使は説明を続けるのだが。
小麦の、しかも麺料理が庶民にまで浸透している、ということに軽い衝撃を覚えた私は彼のその後の説明がまったく頭に入らなかった。
私が生きていた時代、つまり18世紀の欧州では、アフリカやオリエントとの貿易の活性化、新大陸の発見、それから科学的知識の普及も相まって、外国由来の新たな考えや舶来品が急速に広まった。
そしてそれは食料品も例外ではない。トウモロコシ、ジャガイモ、トマト、コショウ、カカオ、コーヒーにティー、そういった「文化的」食料品も徐々にヨーロッパに広まっていったのだが、それもまずは富裕層に限られてのこと。少なくとも、私がまだ活力と共に生活していた頃のケーニヒスベルクでは、これらの食品は一般市民の日常食ではなかった。
一般市民の日常の食事といえば、主にキビやライ麦といった安い穀類と、ごくごく少量の小麦の混ぜ物で作られた粥やパン、豆のスープ、卵に乳製品、それから嗜好品としてのハチミツ。
肉や上質なライ麦パン、そして小麦の白パンなどは、富裕層の食べ物。私も自分で食べていては何だが、一種のステイタス・シンボルであったと言える。
富める者も、貧しい者も、等しく口にするものといえば、水、ビール、ワインくらいのものであった。
それから麺類についてだが、プロイセンよりはるか南方、イタリアにはキビやトウモロコシで作られたポレンタの他に、パスタも食べられてはいる。私もスープに浸った麺料理はよく食したものだが、一般市民からすれば、そんなものは日常食ではない。
そういうことで、私はこの黄色天使のもてなしに何を期待していたかというと、ライ麦のパン、よくて豆のスープ。チーズが口にできれば万々歳、なのである。
つまり、私が何を言いたいかというと━━
「一般市民にまで小麦の麺料理が広まっている、と?しかも具には肉が付いている、だと?なあ、黄色天使よ。これは人類が真に啓蒙された結果の一つ、と言えるのかね?」
「え?ああ、うーん……」
なぜか、黄色天使はそこで黙ってしまった。
「ラーメンってなんぞ」
「麺料理っす。スープと肉がついてます」
「え、待って。人類啓蒙されてる?!」
「(何言ってるのこのおじさん……)」
こんな話でした
Esskultur der frühen Neuzeit
https://de.wikipedia.org/wiki/Esskultur_der_frühen_Neuzeit
2019.6.14
Vorländer, Karl (1924) 4.1 Kants Körper. Beginnendes Alter. In; Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourrierverlag.