哲学者カント、生前の昼食会に思いを馳せる
カント視点
ちょっと叫んで、私は落ち着いた。哲学者たる者、冷静に、目の前の現実を受け入れなければな。
それにしても、捨てる神あれば、拾う天使ありだ。この未来の日本に一人置き去りにされ、金も家もない私に、この律と名乗る若者はひとまずの寝る場所を提供してくれるという。なんという篤行だろう。時と場所変われど、やはり人間の道徳心は普遍であることを私は深く確信した。
どうやら「黄色天使」という呼び名はこの社会には適さないらしいが、本当か?どうも、この社会の規律ではなく、律少年の個人的意見、のような気がする。いや助けてもらっておいてなんだが、彼からは若干、「文系」の小うるさい感じ、が伝わってくるのだ。
私は、生前そのような輩にはよく絡まれたから、わかっちゃうのだ。
私は、この律という若者を構わず黄色天使と呼び続けることにする。なに、彼だって私のことをカントさんではなくイマニュエルと、やや馴れ馴れしく呼んでいるので、痛み分けだ。
と、黄色天使は私に尋ねた。
「寝る場所は僕のほうで用意できますが、その前に、お腹、空きませんか?」
「ふむ。食べ物、か」
そう言われて、私は腹が減っていることに気が付いた。そういえば、ケーニヒスベルクでの最後の日々は固形のものをほとんど口にしなかった。ベッドに寝たきりで、食べる元気もなかったのだ。それが今はどうだ。私の身体は、若かりし頃の食欲、それから生命力を取り戻したようだ。
とろこで、食事はみんなでとるものだと私は思う。周りの富裕層は一日に4回も食事をとるのが普通であったようだが、私の食事は日に一度のみ、それも5、6人の客を招き、3、4時間かけた、少しばかり豪勢な昼食会であった。
食事会での定番のメニューは、ライスやヌードルの入った子牛肉のスープ、肉や魚料理、上質なライ麦のパン、バターにチーズ、季節の果物などなど。これらを平らげることなど、私にとっては「朝飯前」なのだが、招かれた友人知人はこの量を消化しきれないことが多かった。
「……確かに、腹がへった」
私が食事に行くことに同意すると、黄色天使がさらに訪ねてきた。
「何か、食べたいものはありますか?」
……本当を言えば、タラが食べたい。それからチーズとワイン。私は魚のタラが大好物だ。燻製にしたのでもいいし、油で揚げたのでもいい。とにかく私はタラという魚に目がない。
残念ながら自然哲学の方法で立証されてはいないが、魚を取ること、そして他人との会話、これらは人間の思考能力と関係があるのではないか、そのような気がするのだ。私が80歳近くまで生き、晩年まで執筆活動を続けることができたのも、この健康な生活習慣の賜物と言ってもいいだろう。
しかし、この若者はまだ学生の身分だという。魚などという富裕層の食べ物を所望することは、道徳的に考えて、とてもできないことだった。かといって、私はこの日本という国の食文化についてはまったくの素人。何を食べたいかと聞かれても、どのような食べ物がここにはあって、この若者が許す金銭の量も、私にはわからないのだ。
ここは、食事の選択をこの黄色天使に任せるほかない。
「君が普段から食べているものと同じものを所望しよう」
「あー、じゃあ、近所のラーメン屋に行きましょうか」
ラーメン、なんだ、それは。Rahmenといえば、「枠組み、区切り」を意味する単語のはずだが……
「腹減らない?何か食べん?」
「……うん減った。なんでもいい」
「じゃあラーメン?」
これだけの話でした。時間にして五秒。
参考記事:
Die Nahrung der Philosophen - Erst das Fressen, dann die Moral
http://www.taz.de/!5164787/
2019.6.9
Vorländer, Karl (1924) 4.1 Kants Körper. Beginnendes Alter. In; Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourrierverlag.