哲学者カント、神を呪う
カント視点
ドイツ語を話し、どうやら私のことまで知っているらしい第三の黄色天使が現れたことに、私はひとまずの安堵を覚えた。
しかしなんともいいタイミングじゃあないか。神の国へと降り立ち、これからどこへ向かえばいいか分からないでいた私のもとにこのような天使が現れるとは。
この黄色天使、さては「道徳的最高善」への終わりのない無限の努力を続けてきた私に、大いなる父が送ってくださった導き手に違いないぞ。
この天使の言う「コスプレ」という単語が何を意味するのかはまったくわからんが、どうやら私の服装のことを言っているらしい。天の国にも正装というものがあるのかもしれない。なるほど、どうやらそのせいで私は目立っているようだ。
先に私を導いてくれた二人の黄色天使も三人目の天使が適任と知ったらしく、「シーユー」と謎の挨拶を言った後に立ち去って行った。ありがとう、二人の親切な黄色天使。
そして三人目のひ弱そうな黄色天使がまた口を開く。
「こんなところで何をなさっているんですか?ここへは、旅行で?」
おやおや。「こんなところ」とは、どういう意図なのだろうか。敬虔な信徒なら誰もが夢見るであろう神の国をそのように表現するとは。
この黄色天使、なかなか言ってくれるではないか。しかし高慢ともとれるこの言葉も、天使だからこそ許されるというもの。それに人生とは旅のようなものだ。旅行といえばそうなる。
私は、私の目的の地を簡潔に伝えた。
「ポリスへ向かう途中なのだ。よければ、連れて行ってくれないだろうか」
私の願いに、三人目の黄色天使は少し困ったようだった。
「ポリスって、なんのポリスですか?」
私の願いに、三人目の天使はまたまた困ったようだ。私が詳しく事情を説明すると、彼は少し考えたのち、口を開く。
「……たぶん、彼らはギリシャのπόλιςじゃなくて英語のpolice、つまり警察のことを言っていたのだと思います。そもそも、この国でポリスという言葉が意味するのは、警察か、昔流行ったロックバンドか、それくらいなものです」
おいおい、黄色天使よ。何を言っているのだ。
なぜ魂の安寧を得た今、警察の厄介にならなければならないのか。そもそも神の国に警察など必要なのか。それに彼らにはドイツ語でもラテン語でも意思疎通ができなかったというのに、英語は通じるとは、一体どういうことか。「ロックバンド」とは、一体何なのか。
「なあ、親切な黄色天使よ、君が何を言っているのか、よく分からないのだ……『この国』とは、どの国のことを言っているのだ?ここは神の国で、人生を終えた私はここへ運ばれたのだろう?」
私の問いへの黄色天使の答えは、驚愕に値するものだった。
「ちょっと何言ってるのかわかりませんが……神の国……確かにここは八百万の神々の国とも言われますが、ここは日本ですよ?まだ酔っぱらっているんですか?」
あろうことか私を酔っ払いとは。確かに私が口にした最後の食事は水、砂糖、ワインを混ぜたスプーン一杯の流動食であったが、それだけで酔っぱらうほど私もやわではない。
それに、日本といえば、アジアの大国である中国の、そのさらに東の極東の小さな島国のことではなかったか。地上の、それも極東の野蛮な島国に、このような洗練された建物があるはずがないではないか。
とにかく、私は伝説の哲学者達に面会し、道徳について議論をしたいのだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
彼との少しの問答の後、どうやらこの三人目の黄色天使が正しいことを言っている、ということを認めざるをえなくなってしまった。どうやら私は、「世界の第一原因としての、唯一無二の神の国」へと旅立つつもりが、200年後の未来の、八百万の神を信仰する国、私がこれまでたびたび批判的な考えを示してきた、無知で無秩序な「神の乱立する国」へと飛ばされてしまったようだ!
たまらず、私は天を仰ぎ、叫ぶ。
「OH GOTT! Was für einen Unsinn! Verarschst du mich denn?! Ein Land der blinden Vielgötterei!!!! HIER ist die absolute Anarchie!!!FXXXXXXXXCK!!!」
「お、天使、ポリス連れてってや。ありがとサンクス」
「いやここ神の国やろ?」
「え、違うんかい神呪うわ」
こんな話
自分用参考文献
Kant, Immanuel. Kritik der reinen Vernunft. B611/A585-B619/A591
Kant, Immanuel. Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft. 6:185,レクラム文庫版S.245‐253
Vorländer, Karl (1924) 4.8 Die letzten Jahre.Tod und Begräbnis. In; Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourrierverlag.
カントが神に向かってVerarschenなんて言うはずはないのですが。