とある日本の大学生、哲学者カントと昼の散歩をする
視点が大学生の律君に移ります。
「……ふふ、こうやってお前と歩いていると、なんだか昔を思い出してしまうな」
論文のチェックも終わり、イマニュエルの希望で街をぷらぷらと散歩をしていると、彼は少し遠い目をして呟いた。
「昔って、ケーニヒスベルクで暮らしていた時のことですか?」
「ああ。まだ若かった頃、私はよく友人と一緒におしゃべりをしながらあちこち歩き回ったのだ。ちょうど今、お前とこうしているようにな。そして少し年をとって、学者として名が知られるようになってからはだいたい一人で、夕方の決まった時間、決まったルートを歩いたのだ」
決まった時間に、決まったルートを行く。それはまるで、イマニュエルが大好きな惑星の運行のようだ。「宗教に頼らない倫理学の樹立」や「哲学におけるドグマティズムの批判」のような、オリジナリティにあふれる、当時は革命的でもあった論考の数々は、そんな時計じかけのような毎日の繰り返しから生み出されたのだった。
でも、素朴な疑問が一つ。
「毎日毎日同じルートで、飽きませんか。ただの散歩でしょう?」
「ふむ……飽きる、か。そんなこと、考えたこともなかったな。むしろ同じことを何年も、時には何十年も繰り返すことで養われるものもあると、私は思うがね。こと散歩に関して、私は何度も何度もおんなじ道を歩いたからな。馴染みの散歩道のことは今でもありありと思い出すことができるぞ」
「繰り返すことの大事さ、ですか」
そうしてイマニュエルは語ってくれた。ケーニヒスベルクのいつもの散歩道のこと。フリードリヒブルグ要塞、その周りの公園と牧草地、家々や穀物倉。イマニュエルの散歩のせいで、いつしか『哲学の道』と呼ばれるようになった、英国風に美しく彩られた通りのこと。
それから一度だけ、ルソーの『エミール』を読むことに夢中になって散歩を忘れてしまったこと。そんな『特別な事情』のある日以外は散歩を欠かさなかったけれど、ほんとうは夏の暑さも冬の寒さも苦手なこと、などなど。
そんなことを話していると。
「お、あそこのベンチでちょっと休憩しないか。外暑いし、つかれた。汗かいた」
「はいはい、そうしましょう」
そこは二日前、イマニュエルが犬の糞を見て、ここが神の国ではないことを悟った、街の小さな公園。その一角。彼の好きなドングリではないけれど、アスナロの木が影を落としていて、汗をひかせるために一休みするにはもってこいのベンチ。そこに僕たちは腰を下ろした。
◇◇◇◇
「それで、お前の論文だがな」
水筒に入れた冷え冷えの麦茶をごくりと一口飲み込んで、イマニュエルは本題に入った。
「議論自体は、及第点じゃないか?独創性もあるし、導入部、本文の構成それから結論。クリアにまとめられているな」
「そうですか。ひとまず、読み手に伝わる内容だったようで安心しましたよ」
でもイマニュエルは、「議論自体は」と言った。それは、親切な学者に共通の話し方だ。相手が誰であっても、たとえ僕のような阿呆学生であっても、知性に敬意を払って、傷つけないように、苛立たせないように。どこがよかったか、まずはそこから話すのだ。でも。
「……よかったのだが、哲学をするにあたって、最も大事な点が抜けているぞ」
ああ、やっぱり。その、哲学をするにあたり最も大事な点。僕の自己評価が正しければ、それは━━
「お前、自分の言葉で書けてないだろう。他人の考えを要約するのはいいが、お前の血肉として、自分の中で再構築できていないのだ。なんかこう、違和感を感じるのだ。『お前』という個性が見えない、そんな文章だったぞ」
他の科学の分野の論文のことはわからないけれど、哲学という分野に関しては、その論文の書き方や考えのまとめ方に職人芸、時には芸術家じみたものが求められることも多い。そして、僕にはその個性がないのだった。それは常々、僕が感じていたことだった。
「わかりますか」
「ああ、わかるとも。私はこれでもプロだからな。他人の考えを正しく理解して引用することは、もちろん大事だが、それはスタートラインだ……哲学をするということ。それは、他人の考えをただ後追いするということではないのだ。そうではなくて、考えるのだ。自ら考え、自ら調べ、自分の足で、しっかりと地に足をつけて立つということだ」
それは、イマニュエルが哲学の講義の中で何度も何度も、もしかしたら40年間欠かさず、学生に向かって繰り返したかもしれない文句だった。それを、200年後の今になって僕のために再び口に出してくれたのだった。
「哲学に限ったことではいが、ふふ、そう、例えば小説を書くときなんかもそうかも知れないな。一つの考えを自分のものにして、そして他人にもわかってもらうのは、簡単なことではない。だから時には表現を変えたり、そして繰り返したりして、一歩ずつ、少しずつ進んでいくのだ。長い忍耐と共にな。そう、私の散歩のように、何度も繰り返しながら、ゆっくりとだ」
一歩一歩、こつこつと。繰り返しながら、でも前へ向いて自分の足で歩いていく。それは当たり前のことのようで、実は難しいことだと思う。
「それから……」
「それから?」
「それから論文からは外れるが、ついでにだ。ついでに言ってもいいなら……」
それが学問としての哲学の議論を越えてしまうので、イマニュエルは少しだけ遠慮がちになった。この人はほんとうに、学問から離れると途端に控えめな、配慮のできる、そして楽しいおじさんなのだ。だから、僕が助け舟を出してあげるのだった。
「いえ、わかっていますとも。僕自身、なんだか自分がないように見えるのでしょう。この論文の書き方にも、それが表れているのでしょう」
「なんだ、わかっているのではないか。こんなことを言ってしまうと、下手をすれば人格攻撃だからな。私もさすがに言い淀んだのだが」
ほぼ言いかけてたくせに。しょうがない人だ。
「ええ、わかっていますとも。自分のことですからね。本当に、個性がないと、自分でも思います。でも、思いませんか。変に自分を持つよりも、そう、あなたっぽく言えば、自由意志というものを信じるよりも、そんのもの捨て去って、自分なんてないままで、物事が全部、惑星の運航みたいに、あなたの散歩みたいに、決まったルートで自然に流れればいいのに、と」
そんなことは、ただの願望なのだけれど。
「意志のない、惑星の運行のようになめらかな人生、か。それは魅力的かもしれんが。しかしそうではないだろう。私は、決まった散歩をすることを、自分で決めたのだ。人生はアポステリオリな選択の連続だ。自分で決めた、その選択にこそ、私という個性が垣間見えるというものだ。そしてその選択が上手くできないのと、お前の書いたものに違和感があることは、関係しているのではないか」
つまり、100%確実に頼ることのできる、人生を惑星の運行に変えてしまう便利な公式なんて存在しないのだと、最後は自分自身で決めるのだと、そう言いたいのだろう。哲学論文を書くときに、さまざまな議論を包括して自分のものとするのとおんなじように、さまざまな自分を包括して、全部自分のものとして見渡して、そして自分自身を背負って地に足をつけて決めたことに、そこに個性が表れるのだと、そう言いたいのだろう。
「少なくともお前は、見ず知らずのおじさん、この哲学者カントの面倒を見る選択をした。なかなかできることではないぞ。私は感謝でいっぱいだ」
「やめてください。ちょっと照れます」
「まあそう言うな。確かにお前は少しだけ、ひ弱な黄色天使のように見えるが、私を助けたような、そんな道徳的な行為を続けていれば、いつかお前はほんとうに成長して、少しは個性のようなものも出てくるんじゃないか?」
「そんなものでしょうか」
「そんなものだろう。もしだめだったら、その時はその時だ」
「ひどいですね」
「ふふ、信じるも信じないも、お前次第だ。それはお前の自由意志でもって、信じなければならんのだ」
そんなことまで言われては、しょうがない。騙されたつもりで、このおじさんの言うことを信じてあげようと、そう決めると。
「……おや。どうやら、時が来たようだな。この日本での『やること』とは、この迷える黄色天使に偉そうに説教することであったのだろうか」
イマニュエルの体が、だんだん半透明になってきた。時が来たとは、いよいよ現代日本から旅立つ時が来た、ということらしい。随分いきなりだ。というか、僕の服を着たままなのだけれど。
「お前のこの服、申し訳ないが貰っていくぞ。代わりに私が着ていたあのおしゃれなコスチュームをやろう。私が恋しくなったら、『こすぷれ』でもして楽しむのだな。わはは」
今や消えかかっている哲学者が、冗談めかしてそう言った。
「そうそう、お前は人類が啓蒙されてなんていない、なんて言っていたが、200年前からすっ飛んできた私からすれば、随分進歩したように見えたぞ。悪くないではないか。それではな、親切な黄色天使よ。私は消えるが、お前が学び続ける限り、私の著作はお前の一部になって、一緒にあるだろう」
「ええ、イマニュエル。短い間でしたが、楽しかったですよ」
「ああ、倫先生にもよろしくな。せいぜい頑張れよ」
「はい━━」
そうしてイマニュエルはタバコの煙のように、消えていなくなってしまった。残ったのは、空にもくもく広がる入道雲に、空間を満たすセミの鳴き声、アスナロの木陰。それから、過去の思想のその遺志の、小さなかけらを受け取った僕。それはきっと、彼に言わせれば、荘厳な場面に違いなかった。
◇◇◇◇
「ほら、律君、これこれ。ホント、その通りじゃないかしら」
「これは……ええ、笑ってしまうくらい、まったくその通りですね」
後日、倫先生は僕に、イマニュエル・カントという人間の人物像の描写を見せてくれた。当時、彼と交友のあった人物が書き残したらしい。そこには、こう書かれていた。
『彼は超正直者で、その心は純真そのもの、ちょっと子供っぽくて、自分を偉大な人間とはこれっぽっちも思ってはいなかった。彼をよく知る者なら、みんなそう言うだろう。彼は無類の純真さを持つ男だった、と。
彼は人というものを良く知り、世界を学び、会話の中での専門外の話題のことも、すでに多くのことを知っていた。
彼こそが本物の思弁哲学者であり、もし君が、思弁哲学をするうえで、単なる読者ではなく発見者でありたいなら、人間性と道徳を失わずにいたいなら、彼のような天才でなければならない。
カントはしかし、1000年に一度しか生まれない。自然法則がそのように仕組んだのだ。なぜなら、人類がその天才をほんとうに必要とするのも、1000年に一度だからだ。
Wenzel Johann Gottfried von Purgstall (1795) In; Altpreußische Monatsschrift 16, 1897, S.612』
『彼をよく知る者なら、みんなそう言うだろう』。まったく、その通りだと思った。純真で、ちょっと子どもっぽくて、物知りで、自分を鼻にかけない。そんな愛すべき、類まれな人格の持ち主だった。
それにしても、1000年に一度、カントは生まれる、か。1804年に亡くなって、今回はなぜか20XX年で目をさまして、ありがたいことに僕に説教をしていなくなってしまったけれど。おかげで「ぷちカント主義者」を一人作り出すことに成功したけれど。あのおじさん、あの調子だと、きっと3XXX年とかにはまたどこかで目を覚ますんじゃないか。いやそうに違いない。
世界の変わりようにおどろいて、でも、だいじなことは変わっていないことに安心するに違いない。
そうして僕は、まだ見ぬ遠い未来のことに思いを馳せた。
「散歩をして、自分で考え、書き、行為すること。それが、哲学者というものだ」
「哲学っぽく人生の説教もしたことだし、ほな、逝くわ。さいなら……」
「あ、逝った」
※カントが歩いた「哲学の道」は、街の中央駅近くにあるそうです(1924年情報。現在もあるかは不明)
※論文の批評以降の説教めいた部分はカントの著作を直接は参考にしていません。カント哲学やその後のカント主義をひっくるめて、「カントならこんなこと言いそう」ということを想像しながら書きました。
Thom, Martina (1978) Immanuel Kant. Pahl-Rugenstein Verlag.
Vorländer, Karl (1924) 2.1 Die Magisterzeit. Erste Periode. 3.2 Kant zu Hause. Verhältnis zu den Geschwistern. Alte und neue Freunde.. In; Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourrierverlag.




