哲学者カント、バッハ (フーガの技法、ソコロフ演奏) を聴く
当エピソードはカントIF強め。しかもあとがきの方が長いという、物語にあるまじき暴挙にでます。いいのだ。この物語に物語性のようなものを期待している人なんていないはずだ。わはは。
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タバコとお茶の至福のときを終え、私は再び黄色天使の書いた論文に向き合っている。すると何やら、心惹かれる音楽が部屋を満たしたではないか。音楽家がいなくても音楽が聴けるのは未来のことだからそれはそれとして、このメロディ。荘厳、としか言いようのない、美しいしらべだった。
「おいおい、黄色天使。なんなのだ、この美しい音楽は。現代では食べ物だけでなく音楽まで発展したのか」
すると黄色天使、なぜかぽかんとした顔を見せる。
「なにって、バッハですよ。今流れてるのはフーガの技法ですね。知らないんですか?」
バッハ。その名前、ドイツ語っぽいな。
「バッハ?どこのバッハさんだ。こんなに調和のとれたメロディー、私は今まで聴いたことがないぞ」
そう、私が聞いた音楽といえば、力強いオーケストラやオペラが主であった。まだ私が子どもだった頃、父親に連れられてよく音楽会を訪れたのだ。その後音楽からは足が遠のいてしまったが、しかしこんな繊細な、そして計算された音楽、私は初めて聴いた。
やはり200年の間に人類の文化も心も豊かになったのだ、と、思ったのだが。
「バッハといえば、あなたよりも半世紀くらい早く生まれて、確かライプツィヒで活動した音楽家さんです。その作品は晩年のモーツァルトにも影響を与えて、ベートーヴェンなんか、楽譜を完全に暗記して、小さな肖像画を机の上に置いておくほどのファンであったそうですが」
バッハさん、まさかの年上?
それにモーツァルト……はいはい、確か、オーストリアを騒がせていた「わんだーきっど」のことか。ベートーヴェンってのは、誰だ。私は知らんな。
「バッハ……聞いたことないぞ。そもそも私、芸術には疎かったからな。いや、嫌いではないのだ。詩なんかは楽しんだしな。もちろん芸術家は尊敬していたが、絵画や音楽なんかは、私の世界とは少しだけ縁が遠かったといえようか」
「あー、イマニュエル、数学とか科学大好きですもんね。感覚とか感情の世界は、なんだか苦手そうですね」
「ほんと、そうなのだ。芸術には興味がないわけではなかったが、私にはそっちの分野での深くて繊細な理解といったものはなかったのだ。『著者の考えを述べよ』なんて言われても困ってしまう、そんなタイプだったのだ」
しかしまさか、このように美しく、かつ荘厳な音楽がこの世に存在していたとは。それも、私が生まれる前にか。未来の日本にも驚かされたが、まさか過去をも発見するとこになるとは。
高度に理性的な、計算しつくされたこの数学パズルのような。自然法則の調和をすら思わせるメロディ。それが対位法によって重なり合い、絶えることのない、豊かなポリフォニーを創り出している。
まるで、まるでこれは終わることのない道徳的行為の繰り返し。完全なる道徳、最高善への無限の努力を思わせる。もはや神へのあこがれそのものではないだろうか。そう、まさに教会音楽のカノンといって過言ではないぞ。
この数学の世界から出てきたような、そんな荘厳な音楽につつまれて、私は黄色天使の論文草稿を読み終えたのだった。
それは神が私に与えてくださった、しあわせな、よろこびの時間といえた。
「私、詩は楽しんだが、絵画や音楽はあんまりだったな」
「いやいやどーです、これ。バッハ、ソコロフ演奏」
「おいおい、黄色天使。そうやって他人のこと考えずに勧められてもおおおおおおおこれはSugoiiiiii」
━━後書きの前書き━━
カントはバッハを知らなかった。カントはバッハを知らなかったのです。でも、もし。もしも。もしも、カントがバッハを聴いたなら。芸術に疎い彼でも、バッハを好きになったのではないか。筆者による独断と偏見、あふれる偏愛でこの回は成り立っています。
おそらくこの回、特にこのあとがきを楽しまれる方は皆無でしょう。むしろあとがきは読み飛ばされるでしょう。いきなりバッハを登場させて、「なにやってんだこいつ」と思われるかもしれません。が。「カントにバッハを聴かせてみたい。聴かせたくてしょうがない」とふと思ったことが、この『哲学者カント、現代日本で目覚める』という物語を書く最初のきっかけだったりします。それが果たされた今、筆者は大満足です。
━━カントはバッハを知らなかった━━
カントとバッハについて、ちょっと書いていきます。まず、なぜカントはバッハを知らなかったか。理由はバッハの方にも、カントの方にもあります。
まずバッハ (1685-1750) です。彼は生きていた頃、作曲家というよりもオルガン奏者として有名でした。彼が作曲家として書いた音楽は「ちょっと時代遅れ」と見なされることが多かったようです。そして1750年にお亡くなりになると音楽界からはほぼ忘れ去られ、「知る人ぞ知る音楽家」というやや残念な地位を獲得します。
バッハが世間の注目を浴びるのは、1829年、メンデルスゾーンによって再発見され、編纂された「マタイ受難曲」が演奏されたことがきっかけです。大成功だったコンサートの後、バッハはバロックの巨匠として知られるようになります。1750年から1829年までの、カントが活力と共に生きたまさにその間、バッハの音楽はほこりをかぶって、再び聴衆の耳へと届く日をただ待っていたのでした。
カント (1724-1804) の方ですが、そもそも音楽になじみの薄い人生を送りました。子どもの頃は父親に連れられてオペラなんかにも行ったようですが。15歳の頃、父親と訪れた音楽会で、カントは当時有名だった作曲家のライチャードに出会います。カントの聡明さをすぐに見抜いたライチャード氏は、カント父に「この少年を今すぐに音楽から引き離し、大学で勉強をさせるべき」と助言します。実際、カントは楽器というものを生涯弾くことがありませんでした。
そして演奏を聴く側としても、カントの時代はちょっと不作と言えるかもしれません。カントが活力と共に生きた時代は、バロックとクラシックのちょうど中間なのです。バッハやヘンデルはお亡くなりになり、ハイドンはオーストリアの外では名が知られていたとは言えませんでした。モーツァルトはまだ若く、ベートーヴェンは生まれていません。おそらくカントは、今日知られる偉大な作曲家を一人も知らないまま亡くなりました。(天才児モーツァルトの噂くらいは耳にしたかもしれませんが)
━━カントはバッハを気に入るか━━
それでそれで、果たしてカントはバッハを気に入るのか。推測の域を出ませんが、その可能性は大いにあります。カントが音楽について語ることは少なかったのですが、彼は『数学的なハーモニーとシンメトリーが組み込まれた音楽 (Vorländer. S.391)』を好んでいたそうです。「クラシック音楽×数学」。これはまさに、バッハへの評価としてよく論じられることです (Vgl.Siddharthan. 1999)。それは対位法の多様なんかに顕著に表れます。そんなわけで、カントがバッハの音楽を気に入る可能性はあると筆者は考えます。
━━カントにバッハを聞かせるのなら━━
そしてもし、カントにバッハを聴かせるのなら。そんなぜいたくな悩みが許されるのなら。バッハがチェンバロ用に書き、今日はピアノで演奏される作品群。そこでこそ、バッハの「数学性」は存分に発揮されています(Vgl. Siddharthan. 1999)。そしてクラシック音楽ですから、奏者も大事になります。筆者はソコロフ推しです。ソコロフおじさん。もちろんグールドやアルゲリッチ、リヒテルのような名手でもいいでしょう。しかし相手はカント。荘厳さとかにうるさいカントです。「荘厳さ、神々しさ」、こういった言葉がもっとも似合う奏者。それはソコロフではないでしょうか。グールド以降のモダンなテンポを継承しつつ、一つ一つのトーンの響きがダンチです。神々しいおじさん、それがソコロフ。
━━後書きの後書き━━
そんなわけで、カントはバッハを知らなかったけれど、もしかしたら気に入ったかも知れない。そして今日、カントおじさんにバッハおじさんの音楽を聞かせるなら、ソコロフおじさんによる演奏。これで決まりです。神々しいおじさん三人の競演。夢のようです。もちろん、筆者による独断です。はー楽しかった。
Siddharthan, Rahul (1999) Music, Mathematics and Bach: 2. Patterns in Bach's Music
In: Resonance (1999.5) S.61-70.
Vorländer, Karl (1924) 3.5 Kant und die Kunst. In; Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourrierverlag.
ソコロフによるバッハの一例:
Grigory Sokolov plays Bach French Overture - live video 2011
https://www.youtube.com/watch?v=ZxAj4to-aQ4&list=PLCa0-LfyrQLy5tAxSZtBTGkfp4Xj7IGY9&index=1