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とある日本の大学生、哲学者カントから「おしゃべり」のいろはを学ぶ

視点が大学生律君に移ります。


第17部分『哲学者カント、教師人生を振り返る』に、カントが愛用した論理学の教科書は古すぎて入手不可能で、学生はとても苦労したことを書き足しました。


「……そう、あなた、『あの』イマニュエル・カントなの」


「ええ、実はそうなのです。なぜ私がここにいるのか、自分でもわからないのですが」


「……」

「……」


 倫先生。つやつやの肌に栗色の髪。ちょっと恰幅のいい体型をした、懐の深い美人さん。そしてもう絶滅しかけの、風前の灯火ともいえる「カント主義者(Kantianer)」の最後の希望として、理論哲学の最前線で日々戦っている僕の指導教員だ。


 その倫先生、イマニュエルが本物の哲学者カントであることをあっさりと信じてしまった。カント主義者は嘘が嫌いなので、相手の言うこともそのまま真に受けるのだ。そこが先生の可愛いところでもあるのだけれど、ちょっとは疑ってほしかった。


「せっかくですし、ランチでも、ご一緒してくださらないかしら?」

「ほお、いいですな。やはり食事は、みんなでとるものです」


 疑うどころか会話も盛り上がって、一緒にランチに行くことになってしまった。



◇◇◇◇



「しかし日本の天気はどうも……暑いうえに、蒸しますな」

「ええ、ほんとうに。やっぱり、ケーニヒスベルクの空気は違うのでしょう?」

「もちろんですとも。倫先生にも、あの新鮮な空気を差し上げたいものですな。わはは」


 僕たちは今、倫先生行きつけのイタリアンレストランでランチを楽しんでいる。テーブルの上にはパスタだけでなく、カルピオーネやアクアパッツァといった魚料理、グリッシーニのようなスナック、それからもちろんワインも並んでいる。


 それを二人とも、物凄い勢いで平らげている。そして会話が絶えない。


「……そういえば、私は以前から、魚は肉よりも健康にいいのではないか、と思っていたのです」

「あ、それ、本当ですよ。たんぱく源として、魚はもちろん優秀ですが、特にオメガ3脂肪酸が……」

「なんと!やはり!ではでは、他人との会話、これがもたらす健康への効果は……?」

「ええ、もちろんありますよ。脳の健康、ボケの予防につながると、証明されています」

「やはり!私の直感は正しかった!」

「うふふ」

「ほっほ」

「……」

「……」


 さっきから二人とも、天気とか健康とか、そんな当たり障りのない会話をしている。

 ……哲学のこととか、話さないのだろうか。思わず、僕は口を開いた。


「あの、二人とも」


「「ん?」」


「哲学の話とか、しないんですか?ほら、倫先生の大好きな、構成的アプリオリ(Constitutive a priori) の話とか」


 僕の素朴な質問に、二人はなぜか、とっても怪訝な顔をしてみせた。


「「はぁーっ?!するわけじゃいじゃない(だろ)、哲学(しごと)の話なんて!」」


 この二人、さっきからちょくちょくとハモる。そして食事の席での哲学の話、それは二人にとって、論外のようだった。



◇◇◇◇



「はあ。やれやれ、黄色天使、お前ってやつは……」

「可愛い学生なんだけど、『おしゃべり』ができないのよね。先が思いやられるわ……」


 僕が口下手なのはいいこととして、なんだろう、この二人の反応は。


「いいか、黄色天使。仕事とプライベートは分けるのだ。昼食会のようなプライベートな空間では、自由な会話を楽しむと、そう決まっているだろう。そして会話の糸口、それはまず天気だ」


「そうよ?それから、ちゃんと相手のことを考えて聞くの。最近、何かいいことあった?とか、そんなことをね」


「そうして相手が興味を持ちそうなことを探りつつ!」


「困ったときは、自然科学や医学、それから天文学の無駄知識ね!トリビアを披露するのよ!」


「それから、ちょっと俗な話題だが、国民性とか、そんなステレオタイプについて話してもよろしい」


「それで、注意して避けなければならないのはね……」


 二人の目が合った。以心伝心している。


「「風が通りすぎるような、会話の途切れるあの静寂!」」


 コミュニケーションの技法について、二人で盛り上がってしまった。どうやら二人とも、「おしゃべりの作法」について、何かルールめいたものを持っているらしかった。


「黄色天使よ、プライベートな会話において、間違っても、自分の興味だけで話を続けてはならんのだ。特に私は、客を招くことが多かったからな。その辺は注意したのだ」


「だいたい、食事中(プライベート)哲学(しごと)の話をしたがる男なんて、阿呆か野心に燃えた身の程知らずか、どっちかなのよ?そんなこともわからないなんて、律君……」


「お前、そんなんだと、彼女もできんぞ」


 年齢=彼女いない歴の哲学者が、言ってくれた。



◇◇◇◇



「この後、ちょっと遊びに行かないかしら?」


 三時間ほどかけて、ゆっくりと食事を楽しんだ後、倫先生はもう少し楽しみたいようだった。


「ほお、それはいい」


 イマニュエルも乗り気だった。


「「遊びといえば……」」


 哲学者カントと現代に生きるカント主義者の遊び、それはいったい何だろう。


「「オンブルね(だな)!」」


 ……オンブル?


 そんな言葉、僕の辞書にはなかった。


「「一つ、カント主義者は嘘をつかない」」

「「二つ、カント主義者は仕事とプライベートを分ける」」

「「三つ、カント主義者はオンブルに興じる」」

「なんなんです、オンブルって……」


※天気の話、相手のことを聞く、たまに科学トリビアをまぜる、ステレオタイプも楽しく語る、等々。カントの会話術は現代にも通じます。


※倫先生は、実在の哲学者であるChristine Korsgaardをモデルにしています。彼女が大ぐらいでおしゃべり大好きかはわかりませんが。


※Constitutive a priori(構成的アプリオリ?)は現代のカント哲学を語るうえで欠かせない要素ですが、正しい日本語訳を筆者は知りません。


Friedman, Michael (2002) Kant, Kuhn And The Rationality Of Science. In; Philosophy of Science, Vol.69. No.2 pp.171-190.


Korsgaard, Christine (2009) Self-Constitution: Agency, Identity, and Integrity. Oxford University Press.


Vorländer, Karl (1924) 4.7. Tischgesellschaften und Tischreden.. In; Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourrierverlag.

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