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哲学者カント、理想の大学について語る

 ぷはあ。


 私の呼吸と共に、肺に満たされた煙が日本の夏空へと消えていく。


 我が母校、ケーニヒスベルク大学とは比較にならないほど大きな、黄色天使が通う大学。その野外喫煙所。夏季休暇中のためか我々以外は誰もいないその場所で、私は今、待望の一本にありついている。


 ちなみに、私の片手には「自動販売機」で入手したペットボトルのお茶が握られている。


 煙を呑み、茶を味わう。


 あー、これこれ。煙とお茶がなければ、私は死んでしまうのだ。お茶はなんだか緑色をしているが、それはよしとしよう。


 一日で最も幸福な時間、それはこのひと時なのである。本当ならいつも通りの朝の5時にかましてやりたかったのだが、居候の身であるし、そこはよしとしよう。


 200年ぶりの煙とお茶を楽しみながら、私は周囲を観察してみる。


 ふむ、ここが未来の大学か。ずいぶんと大きな建物じゃないか。ケーニヒスベルク城を思わせるこの雄大な佇まい、真実の探求を志す者にぴったりな、そんな懐の大きさを感じるぞ。それにしても、建物がこんなに大きいと、学生の数も相当なのだろうな。……2000人、いや3000人とか、いっちゃうんじゃないか?


 そういえば、黄色天使はここで何を学んでいるのだろう。どうやら過去の人間である私のことも知っていたようだし、もしかして哲学を学んでいるのだろうか。ちょっと聞いてみるか。


「君は学生だったのだな。どの学部で学んでいるのだ。哲学部か?」


 私の質問に、黄色天使はまた、何でもないことのように答えた。


「確かに僕は哲学について学んでいますが、この大学に哲学部はありませんよ。この大学は日本創作大学。僕が所属しているのは、環境創造学部大人も子供も生涯学習学科です」


「……は?」


 黄色天使のその言葉に、私は打ち震えた。目を白黒させてしまった。


 なんだ、そのふざけた名は。


 大学の学部といえば、四つと相場は決まっているだろう。神学部、法学部、医学部の三つの権威ある学部に加え、一つ「下」の、教養をもカバーする哲学部。計四つの学部で構成される人類の最高学府ではないか。


 神学、法学、医学の「上」の三学部は伝統もあり、実用性にも長ける。よって国王や貴族、教会からの援助も厚い。対して「下」である哲学部は実用性に薄く、のけ者にされることが多かった。


 哲学への深い愛を持つ私である。そのような状況を嘆いた私は、哲学部は実用性の尺度で測られるべきではなく、真実と自由への探求にこそ、その理念を置くべきという立場を取ってきた。


「上」の三学部、特に神学部は、倫理的、哲学的視点なくしては、独りよがりの狂信者集団になってしまうこと間違いないのだ。そして医学と法学部にも、哲学的視点は必要なのだ。


 そんなわけで、もちろん、私の辞書に日本創作大学なんとか学部なんとか学科なんて文字はない。いったい今日の大学はどうなっているのだ。


「なあ黄色天使、他の学問に対する哲学の優位性はどうなった?そもそも哲学部、あるのか?」


 200年も経っているのだ。学問を巡る状況も、目まぐるしく変わったに違いない。果たして哲学はこの先生き残ることができるのか、私は200年前から心配していたのだ。


「僕の大学には哲学部はありませんが、他の大学にはちゃんとありますよ。哲学部」


 よかった。まだあったか。哲学部。


「それから哲学と他の学部の関係、ですか。大学の歴史の講義みたいになりますが……」


 ほうほう、それは興味深い。


「イマニュエル。あなたが亡くなったすぐ後のことです。あなたのファンだったフィヒテやヴィルヘルム・フォン・フンボルトは、ベルリンに大学を開校しました」


「……なに、あのフィヒテが。帝都ベルリンに、大学だと」


「ええ、その際、あなたの直接の影響かは定かではありませんが、哲学的視点を大事にせよというあなたの理念も、大学のスローガンにしっかり盛り込まれていますよ」


 はあー。あのフィヒテが。大学を。私はあのややツンデレな若者のことを思い返した。

「朝五時のお茶とタバコ。最高である」

「おお黄色天使よ、なんなのだその今日の大学と学部の名前は」

「当時の哲学は『下』の学問であった。それは悲しいと思ったので、逆に哲学の優位性を説いてやった」


※カントが教授職を引退した頃のケーニヒスベルク大学の学生数は1000人以下。今日の大学の学生数を知ったら、カントもビビるかもしれません。いや「人類が啓蒙されてる」って言うかな。

(https://de.m.wikipedia.org/wiki/Albertus-Universit%C3%A4t_K%C3%B6nigsberg)


※19世紀半ばまで、大学といえば法学、医学、神学、哲学の4学部でした。その後自然科学が独立、学生数も爆発的に増加し、学部も多様化。アメリカでは私立大学も増え、大学院が「発明」されます。

日本では、19世紀終わりに設立された初期の京都大学が、学生の自主性を尊重するドイツ式の3年制大学の実現を目指しましたが、早い段階で頓挫。4年制のアメリカ式大学をモデルにすることになりました。

そんなわけで、カントの考える「大学像」と現代日本の「大学像」はだいぶ異なっています。

「日本創作大学環境創造学部大人も子供も生涯学習学科」は適当に考えました。そのような大学、学部学科が存在するか、筆者は知りません。もしあった場合、筆者に批判する意図はありません。


※カントの論文はできるだけ直接読みたいところなのですが、今回の話は二次資料を頼りに書きました。カントが大学について語る論文のタイトルは「Der Streit der Fakultäten (1798)」。筆者は読んでません。


Vorländer, Karl (1924) 2.2 Zweite Perioder der Magisterzeit. 4.6.Ende der Amtstätigkeit. In; Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourrierverlag.

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