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哲学者カントは栗色の髪のお姉さんがお好き(金髪元気少女もやぶさかでない)

 たばこを求めて街に出た私たちは、未だ女性についての議論を交わしている。


「女性の好みか。私にだって、ないわけではない」


「やっぱり、ありますよね。聞きましょう聞きましょう。どんな女性がお好みなんですか」


 黄色天使め、さっきまでは話半分で聞いていたくせに、今や「面白くなってきた」って顔に書いてあるぞ。


「まず前置きだが、私は性欲抜きで語るからな。性欲の発散……その、何だ、つまりはあの『最も甘い瞬間』とでも言おうか、それを求める事自体は否定しないが、そんなのは狩人の享楽、一瞬の楽しみで、語ってもしょうがないというのが私の意見だ」


 オブラートに包んだ私の詩的表現に、黄色天使は怪訝な顔をしてくれる。


「何ですか甘い瞬間って。ひょっとして、オーガズムのことですか」


「……だからあ、そうはっきり言うなって。まったく、ロマンのないやつ」


 この200年の間、人の会話も服装もずいぶん直接的になったことに私はまた驚かされる。まあ、しょうがないか。過去を懐かしんでも、現在は変わらないのだ。


「とにかくだ。性欲を越えた、より洗練された幸福、魂を揺さぶる女性の魅力、それは二つある。荘厳さと、美しさだ」


「……は?」


 黄色天使がこちらを見たままぽかーんとしている。うん、わかってくれてないようだ。


 そうだな、想像してくれ。牧歌的な風景だ。広い原っぱに一本、大きなドングリの木が生えている。空は青くいい天気で、心地よい風が吹いている。そのドングリの木の木陰に一人腰を下ろして一休みするとするだろう?その孤独な一時。それが荘厳さだ。

 対して美しさとは、花屋に並ぶ色とりどりの花。その華やかさといえる。


 夏の静かな夜、永遠を感じさせる月の光は荘厳で、

 照りつける太陽の昼は美しい。


 荘厳は落ち着きを与え、

 美しさは刺激を与える。


 そんなことを、例えを交えて黄色天使に説明してやったのだが。


「いや女性の好みの話ですよね。なんで自然の話ばっかりするんですか」


 ……まったく、この黄色天使はまったく。18世紀の高度な比喩的表現が通じないらしい。しょうがない。私も、もうちょっとはっきりと言ってやろう。


「そうだな、まずは荘厳さについてだ。栗色の髪、黒い目、それから、少し年齢を感じさせる女性は荘厳な雰囲気を醸し出しているな。そしてこのような女性は、特にドイツ語圏に見ることができる」


「栗色の髪で、黒目の、年齢を感じさせる、ドイツ語を話す女性、ですか」


 黄色天使が、繰り返す。そうだ、その通りだ。


「それから、金髪で碧い目の若い乙女、そうだな、特にフランス出身の乙女は美しいな」


「金髪碧眼のフランス少女は美しい、と」


 自然に例えると荘厳さは落ち着いた夜で、美しさは刺激的な昼、うんぬん……と、これまでの私の弁舌を踏まえて頭をひねっていた黄色天使は、突然なにか納得したような表情で、ぽんっと私の肩を叩いた。


「ああー、なんとなく、わかってきました。要は落ち着いたキレイ系お姉さんか、天真爛漫なカワイイ系少女かって話じゃないですか!なんて回りくどい言い方をするのです、イマニュエル」


 え、その理解、ずいぶん乱暴じゃないか?


「それで、栗色の髪のキレイ系お姉さんとカワイイ系金髪少女、どっちか選べと言われたら、どっちなんです?」


 もう黄色天使の中では、私が落ち着いたキレイ系お姉さんか、天真爛漫なカワイイ系少女好きのおじさんということになっているらしい。……まあ、否定できないのが悲しい事実なのだが。


「まあ、どっちも、と言いたいところだが、どちらか一つを選べと言われたなら、荘厳な女性すなわち栗色の髪に黒い目をした、落ち着いたキレイ系お姉さんになるな」


 計り知れないほど大きなこの世界についての数学的想像、永遠についての形而上学的推察、不滅の魂、崇高な真の道徳。それらはみな、荘厳さに属する。栗色の髪のお姉さんはその荘厳さを思わせるのだが、しかしこの若い黄色天使に言っても、変に歪曲されることは目に見えていた。


 どうせ性的趣向なんて主観的なものなのだ。100パーセント分かってくれるなんて、私だって思ってはいない。


 ただし一つだけ、普遍化できそうな人生の恋バナを私は会話のレパートリーとして持っていた。


「例えばだ、黄色天使。君と関係にある女性を、君は『美しいから』好きだとする。では彼女が病気になったり、年を取ったりして元々の『美しさ』に影が落とされたとしよう。君は、その女性をもう愛さないということがあるか?」


「……ないでしょうね。僕は共に時間を重ねてきた彼女を変わらず愛するでしょう」


「だろう?君にその愛情をもたらす要素、それこそが君と彼女の中にある『荘厳さ』なのだ」


「わかったような、わからないような……それで、例のケイザーリン伯爵夫人は栗色の髪の、目の黒い美人さんだったのですか?」


 ここで私はとうとう口をつくんだ。


 そして目的の地、たばこを扱う「コンビニ」に到着した。

「どんぐりの木陰がー、月の光がー、宇宙の広さがー」

「はいはい、きれいなお姉さんに弱いんですね」



※もちろんカントは「落ち着いたキレイ系お姉さんか、天真爛漫なカワイイ系少女」なんて表情は使ってはいません。しかし彼の論述を短くまとめるとこうなります。筆者によるやや乱暴な要約です。


※「年をとったり、病気になったりして元の美しさ云々」という話は、あくまでカントの論文からの要約で、筆者の考えではないことを強調しておきます。


※カントが女性の魅力について大いに語るその論文を書いたのは、彼が40歳を過ぎた頃。おそらく、ケイザーリン伯爵夫人は既に再婚してしまっています。独り身のカントが論文を書いている途中、彼女の事がふと脳裏に浮かぶこともあったのだろうか。そんなことを考えるとちょっと切ないですね。

そしてこの論文の中で、カントは日本人についても語ろうと試みています。でも、カントは当時の他文化紹介本を通してしか日本を知らないので、「サムライハラキリ民族で感情がなさそう」みたいなそんなことを短く書くに留めています。


Kant, Immanuel (1764) Beobachtungen über das Gefühl des Schönen und Erhabenen. In; von J. H. von Kirchmann (Hrg.) (1873) Immanuel Kants vermischte Schriften und Briefwechsel, Berlin.

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