哲学者カント、79歳童貞
一箱のタバコを求め、私は現代風の恰好に身を包み黄色天使と街へ出た。
いやはや、昨日は酒に酔ってあまり観察できなかったが、ビルのある通りや商店街だけでなく、この住宅地も我が故郷ケーニヒスベルクの街並みとは全く異なっていることを改めて思わざるを得ない。
建物の形や色はバライエティーに富み、道路には柱が並び、そして我々の頭上にはロープが張り巡らされている。それぞれ電信柱と電線といい、電気を供給するための設備だそうだ。人や車の通りは比較的少ないが、看板や張り紙が目立つ。道路の標識、商店の広告、政治家らしい顔の写ったポスター、などなど。
なんだかせわしないなあ、というのが第一印象だが、まったくの無秩序、というわけでもない。統一性がなく統一されている、とでも言えようか。秩序がなさそうに見えてそれが秩序だっている。ちょっと落ち着かないが、それがこの国の街なのだろう。
それは置いておいて。
キョロキョロ。
私は周囲を観察する。街の建物よりも私の目をひく物体があるからである。
ジーっ。
その、なんだ、周りの女性、その服装が気になってしかたがないのだ。
「ちょっと、あのおじさん、こっち見てない?」
「てかウチらガン見されてるんですけどワラ」
私の熱い視線を浴びた二人の若い女性が、何かを呟いて去って行ってしまった。
「なあ、黄色天使よ。その、女性のファッションが劇的に変わったのはわかった。わかったのだが、ちょっと開放的すぎはしないか?」
私の時代、女性は腰にコルセットを巻き、袖の長いドレスを着て肌を隠していたのだ。それが今や、なんだこれは。
太ももが丸見えの短いズボン、コルセットどころか布を諦めておへそなんて出している。うわ、あの子なんて、下着が見えてるじゃないか。おいおい、いいのかこれで。
私の質問に、黄色天使はなんでもないような事のように答える。
「教育が進んで、男性ありきの価値基準も少しは見直され、動きにくい服装からも解放された、ということじゃないですか?これ、あなたのいう啓蒙ではないですか」
ふむ……啓蒙、か。私の思ってたのとは少し違う気もするが……
「啓蒙その後の解放。ゆえの開放的服装、ということか……しかしこれは、ちょっとやりすぎじゃないか?」
私は道徳的人間である。であるのだが。それなりに人の欲望というものも持ち合わせているのだ。目の前に薄着の女性がいれば、見ちゃうじゃないか。
「そんなに気になりますか。女性の太ももなんて、200年前にもあったでしょう?」
黄色天使が言ってくれる。確かにその通りなのだが……
「200年前にも女性はいたのだから、女性の太ももは確かに存在していたな。しかし、実はな……」
ごにょごにょと、私は黄色天使にちょっと恥ずかしいことを白状した。
「え!イマニュエル、童貞なんですか?それどころか、裸の女性も見たことがない?」
「ちょ、大きな声を出すな。周りに聞こえるだろう。確かにそうなのだが、私だってまったくモテなかったわけではない。ケーニヒスベルクの女性の間ではな、私もダンディーなVIPで通っていたのだ。サロンではそれなりに人気もあったのだ」
「えー、じゃあなんで童貞なんですか」
「……私は、とある女性に長いこと想いを寄せていてな。叶わぬ恋だったのだ」
そうして、私は黄色天使に我が人生ただ一度の恋を語って聞かせた。
◇◇◇◇
女性という存在が私の学者人生において大きな役割を果たさなかったのは事実である。それを華のない人生と言う者もいるかもしれない。
しかしそれは哲学者には何も珍しいことではないのだ。プラトン、ライプニッツ、デカルトにホッブス、ロック。それから私の超えるべき壁であったヒューム。男色嗜好、絶食系男子、唯の偶然、理由はいろいろだが、みーんな、結婚しなかった。みんなだ。だから私が結婚しなかったのも、なんにも問題ないのだ。
私に深い愛情を注いでくれた女性といえば、まず母親である。母の深い愛は生涯忘れなかったが、私が若いうちに亡くなってしまった。それから早く結婚していった妹たちとは疎遠になった。最も血気盛んであった学生時代には経済的理由から女性に現を抜かすことなど不可能であった。大学を卒業した後も、時間的余裕が女性との交友をゆるさなかった。私は家庭教師として東プロイセンを転々とした。
その過程で知り合いになったのが、ケイザーリン伯爵夫人。
私は彼女の息子たちの家庭教師として雇われた。当時、私は確か20台後半だったな。若かった。彼女は私とほぼ同い年でな。やさしくて聡明な、美しい女性だった。
家庭教師として屋敷に足を運べば、当然、会話をする機会も増える。少しずつ、私は彼女と仲良くなっていった。私は恋に落ちたよ。あんなに知的でやさしい女性には会ったことがなかったからな。コロッといってしまったのだ。それがちょっと遅い、私の初恋だった。そして死ぬまで引きずる、最後の恋でもあった。
ある日、彼女は私をスケッチしてくれてな。ふふ。絵の上手な女性だったのだ。そのお礼といっては何だが、彼女がゴッドシェッドの作品をフランス語に翻訳する際は、私が助け船を出したりもしたものだ。あれほど清い、精神的な交流関係があろうか。
しかし繋がりはあくまで精神的なものに留まった。彼女は随分年上の伯爵殿と結婚していたのだ。言ったように、息子だっていたしな。……家庭教師の中には、不義に及ぶ者もいたみたいだが、私が不倫に手を貸すはずもなかろう。
家庭教師を辞め、ケーニヒスベルク大学の教授として招聘された後も、私はケイザーリン伯爵夫人のサロンには足しげく通った。彼女は、私のためだけの席を常に用意してくれていた。
一時期、彼女は未亡人だったことがある。彼女の年老いた、最初の夫が亡くなった時、彼女と私はまだ40手前。チャンスはあった、と今でも後悔している。ああ、彼女が別の伯爵と再婚してしまったと聞いたとき、私の心は深く沈んだものだ。
彼女の荘厳さ、美しさ。そして何より、聡明さたるや。
東プロイセンに彼女よりも知性のある女性は存在しなかった。彼女が一番であった。彼女のその存在は、私の人生の終わりまで心に深く刻み込まれ、他の女性を愛するなど、私には不可能であった。
◇◇◇◇
「……まあ、そんなところだ」
「叶わぬ恋、ですか。でも他にも魅力的な女性だっていたでしょう。好みのタイプとか、ないんですか?」
おいおい、こっちは人生をかけた崇高な愛の話をしているというのに、普通の恋バナみたいに……まあいい。
「私にも好みがないわけでもない。そうだな……」
「日本では、30まで純潔を貫けば魔法使いになれると言われています」
「まだまだ甘いな、日本。79まで貫けば、哲学者だ。私は『上で』待ってるからな?」
「……」
カントがケイザーリン伯爵夫人と深い関係にあったことは確かなようですが、「カントが童貞であったかどうか」、「ケイザーリン伯爵夫人の翻訳作業を手伝ったかどうか」。この二点についてはカント以降の学者やファンによる「おそらくそうであろう」という推測のようです。例えば童貞については:
「彼はついぞ結婚しなかった、そしておそらく、彼は童貞のまま亡くなった。カントが一度でも服を着ない女性を見たことがあった、という記述は存在しない。 […] そうして、かの哲学者は独り身を貫いた。セックスもなく、ストレスもなく、愛の苦悩もなく」(Verheiratet war er nie, und vermutlich ist er jungfräulich gestorben. Es gibt keine Anzeichen dafür, dass Kant je eine unbekleidete Frau gesehen hat. […] Also blieb der Philosoph allein - kein Sex, kein Stress, kein Grämen.)
In: Immanuel Kant:Zauber der Vernunft.
https://www.stern.de/kultur/buecher/immanuel-kant-zauber-der-vernunft-3066724.html
2019.7.8
Vorländer, Karl (1924) 2.2 Zweite Periode der Magisterzeit. In; Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourrierverlag.