哲学者カント、シエスタをdisる
「ふあああぁ。よく寝たわい。お、ここは……」
目を覚ますと、私は馴染みはないが生活感のあふれる部屋に横たわっていた。
記憶はしっかりしている。どうやら、昨日の出来事は夢ではなかったらしい。人生を全うし、神の国へと旅立つはずであった私は、なぜか200年後の日本で意識を取り戻したのだ。
私のいるこの部屋は、偶然出会ったにも関わらず、寝床を提供してくれた律と名乗る黄色天使の住まいである。寝室を兼ねた居間、台所、トイレに洗面所。この時代、一人暮らしをする者のごく一般的な住まいだそうだ。
それにしても、床の上で寝るなど初めてのことだったが、ふかふかの布団のおかげで心地よい睡眠をとることができた。
時計は朝の8時ちょうどを指している。確か、昨晩寝入ったのが夜0時だったな。
「ふむ、いつも通り、8時間の睡眠」
時と場所変われど、私の生活習慣は変わらない。いつも通りの8時間睡眠の後、私は体を起こす。
「おい、起きろ、黄色天使。朝だぞ」
まだ寝入っている黄色天使を起こしてあげると、彼はまだ眠たそうに布団にくるまった。
「いや、まだ8時じゃないですか。夏休みなんですから、もうちょっとゆっくりしましょうよ」
「何を言うか。もう、8時だ」
8時間の睡眠。それは、理性的な生活をおくるために最適な睡眠時間なのである。理性的かつ理想的な一日の使い方。それは、24時間の内、8時間を労働に、8時間を休息に、そして残りの8時間を食事や運動、社交に使うこと。
多くても少なくても駄目だ。ワーカホリック?そんなものは、寿命を縮めるぞ?
中には、「人生の甘い楽しみ」として一日8時間以上の睡眠をとる者もいる。例えばほら、スペインのシエスタとかいうやつだ。あれはいかん。あんなのを繰り返していると、人生の数量を計算し損なう。
と、黄色天使に理性的かつ理想的な人生の使い方を示してあげたのに、彼はどうも不満げである。
「いやいや、でも、本当に毎日きっかり8時間寝てたんですか?」
「まあ、例外もなきにしもあらずだが、ほぼ毎日、私は8時間の睡眠をとってきたぞ。だいたい夜の9時前頃に寝て、朝の5時前には目を覚ましていたな」
「うわー、ありえない。せめてものお願いですから、ここでは8時起床でいきましょうね。いや、9時でもいいです。それにしても、気が立って眠れないこととか、なかったんですか」
「……8時で手を打とうじゃないか。これは私にとって最大の譲歩だからな?それから、気が立って眠れない、そんな時は、どうでもいいこと、例えばキケロについての雑学とか、なんかそんなことを考えていれば気がまぎれるというものだ。」
「あー、わざと難しい本を読んで寝入ってしまう、みたいなものですか。それ、今日でもポピュラーな方法ですよ。じゃあ、病気でなかなか寝付けない時は?」
「ふむ、風邪を引いて咳やくしゃみで寝付けない時、そういう時は『自由意志』の力で身体をコントロールするのだ。」
「コントロールって……?」
「口を無理やり閉じてだな、鼻だけで呼吸するようにしてやるのだ。すると咳も出なくなるだろう?初めは慣れんかもしれんが、なに、そうやるとすぐに空気の流れもよくなって、寝入ることのできる、というものだよ」
「……そんなきっちりかっちり生活してるの、あなたくらいですよ、イマニュエル」
そう言いつつ、黄色天使はぐっと背伸びをした。
さて、ボーナスステージ、二日目の始まりだ。気合入れていくぞ?
「おはよう愛する読者諸君」
「8時間睡眠こそ正義。アンチ・シエスタ」
「口閉じとけば咳も出んじゃろ(極論)」
晩年の論文でしれっとシエスタをdisるカントおじさんお茶目。
Kant, Immanuel (1798): Von der Macht des Gemüths durch den bloßen Vorsatz seiner krankhaften Gefühle Meister zu seyn. In: Journal der practischen Arzneykunde und Wundarzneykunst 5: S.701–751.
Leanza, Matthias (2009) Kants Schlafgewohnheiten – Krankheitsprävention als Selbsttechnologie. In: Sociologia Internationalis, Vol. 47 (2009) S.259-285
Vorländer, Karl (1924) 3.7 Kant zu Hause. In: Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourierverlag