とある日本の大学生、哲学者カントと夜の散歩をする①
視点が大学生の律くんに移ります。
「ありがとうございましたぁ」
ラーメンとペリメニ、もとい餃子を食べ、お酒も十分楽しんだ僕たちは、会計を済ませ、そろそろお店をお暇することにした。
「Das hat mir sehr gut geschmeckt. Reiswein war etwas exotisch, aber fein köstlich. Danke」
カントおじさんが丁寧にお礼を言う。伝わらないというのに、律儀な人だ。
「ははっ、よくわかんないけど、美味しかった、ってことかな」
ラーメン屋のおじさんが笑顔で察してくれる。
「ええ、とても美味しかったそうです。それじゃあ」
「はいよ、もう暗いから、夜道気を付けて」
ラーメン屋を後にして外へ出ると、辺りはもう暗くなっていた。季節は夏。生暖かい空気を肌に感じながら、僕たちは足を進める。
怪しげなおじさんを拾ってしまったかたちになったけど、悪い人ではないみたいだ。それに僕は寂しい一人暮らしだし、お客さんが一人滞在するくらいは、どうってことなかった。……そんなに長い間、置いておくことはできないけど。
◇◇◇◇
「……だからぁ、その、ビッグバン仮説?とかいうの?結局は仮説だろう?自分で見れないじゃん。宇宙の始まりなんて。科学は発展したかもしれんが、真実ってのはな、結局のところ、物体とそれを見た人々の間の考えが一致するかどうか、なんだよ。『自分で確認して』、周りの人間と話し合い、意見を一致させることができなきゃ真実足りえんのだ」
帰り道。酔っぱらって、気分を良くしたおじさんは、急に宇宙とか生命の始まりについて語り出した。
そこで僕が現在一般に受け入れられている科学的仮説を教えてあげると、案の定噛みついてきたのだ。
「それで?原初生命の誕生?お前はなにか、我々人類も、『偶然』、海底火山かどこかから発生した小さな原初の生命が、『偶然』進化を続け、『偶然にも』理性を操る生命体に進化した、と考えているのか?なにそれ、へんなのぉ」
へんなの、なんて言われてもなあ。
「そんなの、『内部まで精巧に造られた腕時計が波打ち際で偶然自然発生した』っていってるようなもんだぞ?我々のような知的な、それも不滅の魂を持った生命が、どうやって無機物の世界から『偶然』生まれるのだ。むしろ、この宇宙と我々をデザインし、創り出した『作者』がいると考えたほうが自然じゃあないか?」
自然の作者たる神の存在を堅く信じたカントおじさんにとって、現代の科学的仮説は、なかなか受け入れがたいもののようだ。
生きる時代、信じる常識が違う、と言ってしまえば、その通りなのだけれど。でも、そのことは、カントおじさんも分かっているようだ。
結局のところ、確認できない事柄に関して、僕たちは「信じる」ことしかできないのだ。
「で、『お前は』どっちを信じるのかと聞いとるのだ若者よ。私は、お前の意見が聞きたいのだ。科学者の間で受け入れられている仮説、ではなくてな」
そんなこと、急に言われても。生命や宇宙の誕生について、確信に足る何かを、僕はもっていない。
「はぁ……(酔っぱらったおじさんって、これだから疲れる……)」
僕がため息をつくと。カントおじさんは、今度ははっと何かに気付いた様子で急に足を止め、頭上に広がる夏の夜空を見上げた。
「なあ、黄色天使よ」
まったく、今度は何を言い出すのだろう。
「ここが未来の地球というのはわかった。ビルに自動車に飛行機、旨い食事を見せられては、疑うこともできまい。でもな」
と、カントさんは続けた。
「実は私、それでも半信半疑だったんだ。ここが日本だ、ということがな。そもそも私、東プロイセンから出たことがなかったしな。外国の街並みなんて知らんしな。しかしたった今、私は確信したぞ。あれを見ろ。わかるか?あれが何か」
そう言ってカントさんは、僕たちの前方、夜空のやや地平線近くの方を指さした。
僕の街は海に面している。街の灯りや騒音はあるけれど、それでも星は瞬いていて、僕たちの眼前に広がる海からは、ざざぁという波の音が聞こえてくる。
「……うーん、赤い星、ですか?なんなんです?あれ」
僕は星のことはさっぱりなのであった。そういえば、カントおじさんは天文オタクだったと、伝記か何かで読んだことがある。
「あれはな、アンタレス。さそり座の心臓に位置する星だ。北半球では夏の夜、だいたい南から西の方角に見ることができるのだが」
だが?
「私の生きたケーニヒスベルクでは、見ることが叶わなかったのだ。緯度と、大陸の位置の関係でな。あの赤い星を一目見たいと、何度夢見たことだろう。そして今、あの星は私の前で確かに輝いている。しかも、あれほどの高さでだ」
えっ、おじさん、涙ぐんでる?
「さそり座だけではない。大三角に、カシオペア、おおぐま座。りゅう座、ヘラクレス……街の灯りで天の川が見えないのが残念だが、星座の配列はまったく当時のままではないか。私は今、200年もの間、私が眠っている間も、星々の運航は変わらなかったことを目の当たりにしているのだ。そのことに、私は感動を禁じ得ない。そして、私が地球のどのあたりにいるのかも、あの赤い星を通じておのずと知れるというものだ」
酔っぱらって、現代科学に楯突いた、200年前から来たらしいおじさんは、そう言うと深くため息をついた。なんともまあ、星座を通じて自分の位置に納得するなんて、ロマンチックなやり方だ。
「天の光はすべて星。人の営みに関係なく、ただ自然法則にしたがって永い永い寿命を全うするそれらは、生前も、そしていまも、私の心の拠り所なのだ」
「(やだ、おじ様、ステキ……)」
こんな話でした。
カントが実際にさそり座の赤い星、アンタレスを見たかどうか、それは実際のところ分かりません。フィクションと捉えてください。
筆者がスマホの星座アプリで確認した限り、カントが住んだケーニヒスベルク(現カリーニングラード)からは、初夏の夜9時から11時ころ、南東から南の方角、地平線ぎりっぎりに見えるか見えないか。
ケーニヒスベルクからその方角にはヨーロッパ大陸があり、邪魔をしています。そして高緯度のケーニヒスベルクは、夏は夜でも明るめのはずだから、条件は良くないと思われる(どれほど明るいかはわかりません。残念ながら行ったことがない)。
「見えなかったんじゃないのかなあ。それをカントは悔しがったんじゃないのかなあ」という筆者の予想です。
カント哲学における“真実”について。KrV B848/A820
知覚、悟性、認識、理性の区別は、めんどうなのでここではごくあいまいにしています。