哲学者カントはビールがお嫌い
過去エピソードを少しだけ編集しました。読みやすくなった、はず。
ずるずる。パリパリ。じゅわじゅわ。
ほふぅ。
私は今、アジアのスープヌードルと焼いたペリメニを一心不乱に平らげている。しかしうまいな。この時代のこの国の食文化には尊敬の念を持たざるをえまい。
「いや、うまいな、これ。うまいぞ。シオラーメン、ってのもだが、やっぱりこのギョーザ。ペリメニより皮は薄いが、肉が多くてジューシーだ。うまい。それしか言葉が出てこないくらいうまい」
「お口に合ったのなら、よかったです。あ、それと……」
棒きれ二つを手に取って、ラーメンを器用に食べている黄色天使がおもむろに聞いてきた。
「ビール、飲みます?」
黄色天使のその言葉に、私は若干の苛立ちを覚えた。
食事中に、ビール?
「ないわ、それはない」
麦から醸造されるビール、それはもう一つの「食べ物」と考えるべきである。
飲む食べ物、そんなものは、まず食欲を台無しにする私の敵である。ビールなんて飲んだら、旨い物が食べられなくなるじゃないか。そしてなにより、ビールなどというものは「ミルクの入らないコーヒー」と同じで、我々をゆっくりと死に至らしめる万病の元である。
そういうわけで、私はフランスはメドリック産赤ワイン、それからライン産白ワインを好んで口にする。しかしビール、お前は駄目だ。
まあ、食べ物や飲み物の好みなどは、結局のところ厳密な普遍性のない、あやふやな感覚である。好みは人それぞれ、と言えよう。しかしもしワインがあるのなら、私は喜んで口にしよう。
「ワインがあれば、いただこう」
私の問いに、黄色天使は興味深い返答をしてくれた。
「あー、ワインですか。お酒なら、注文できますが」
ほうほう、興味深いじゃないか。アジアでは、ブドウではなくライスでワインを作るのか。これはいい異文化体験になりそうな予感。答えはイエス、だ。
「いただこうではないか」
「ラーメンうまーペリメニうまー」
「ギョーザにはビールっしょ?」
「いやないわ。ビールはない」
「(しょんぼり)」
こんな話でした。
ビールやブラックコーヒーが毒だというのはカント個人の意見です。適量ならば、もちろん毒ではありません。当時飲まれていたビールは、現在主流のピルスナータイプではなく、重く腹に溜まるヴァイツェンでした。実際、「飲むパン」として口にする人もいたようです。その辺のことも、カントの好みに影響していたのかもしれません。
Vorländer, Karl (1924) 4.1 Kants Körper. Beginnendes Alter. In; Vorländer, Karl (1924/1992) Immanuel Kant - Der Mann und das Werk. 3. Auflage. Fourrierverlag.