哲学者カント、旅立つ
1804年2月12日、東プロイセン、ケーニヒスベルク━━
私の名はイマニュエル・カント。79歳。いわゆる「今際の際」というものに立たされている。私の四肢は衰え、もはや立つこともかなわん。正直、口を開くのもおっくうだ。
幸い、頭の方はまだ働いてくれている。ちょっと私の人生、振り返ってもよろしいか。ちょっとだけ、ちょっと触るだけだから。
一言で総括するなら、いい学者人生だった。他の多くの哲学者のように、私も晩年まで執筆活動を続けることができた。
学問盛んな祖国プロイセン、ケーニヒスベルクに生を受けた私は、若かりし頃はニュートンやコペルニクスといった自然哲学の天才たちの研究に熱狂した。大学ではなぜか神学部に入ってしまった気もするが、ちょっとあの頃のことはよく覚えていない。大学の記録からも消えているそうだ。まあいい。
学生生活の中で思弁哲学や初歩数学にも手を伸ばしたが、父の他界により経済的窮地に立たされ、卒業後は弟たちの生活のために家庭教師として各地を転々。その後は大学の私講師や図書館司書をしながら食いつないだ。
そうして46歳の時、私は母校ケーニヒスベルク大学での論理学・形而上学の教授として招聘された。それは私の長年の夢であった。
それからというもの、私は故郷ケーニヒスベルクで人生の大半を過ごし、同大学学長や評議員としての煩わしい仕事も真面目にこなしながら、崇高な啓蒙思想や思弁哲学に我が人生を捧げてきた。この分野においていくばくかの業績を残せたことは、私の人生を少しは価値のあるものにしただろう。
ハーマン、ヘアダー、ヤコビ、ラインホルト……学者人生の中での論敵を数え始めたら終わりがない。彼らとの対話には時に心躍り、時に憤慨させられもしたものだ。
それぞれの論争や私の著作を振り返る時間は、私にはもう残されていない。それももはや、過去のものとなってしまった。
私は宗教的奇跡体験などは積極的には信じていない。しかし「全ての始まり」としての神、不滅の魂が行きつく死後の世界の存在を疑ったことはない。自由意志によって道徳法則を受け入れ、遥か遠くにただ思い描くことをゆるされる「神の子」を模範とし、道徳的人生を実践してきたと自負している。
さて、愛する読者諸君、そろそろ時が来たようだ。思い残すことはないといえば嘘になってしまうが、地上における道徳的世界宗教の実現は、君たち次の世代に任せるとしよう。
さらば、いざ行かん、神の国へ━━
「Es ist gut....」
「ほな、逝くわ。さいなら」
こんな話でした




