ep.09 カモンマーチ
球場とは言ってもとても簡素な作りで、ほとんど屋外運動場のようなものだった。
両校の応援と、父兄らしき人や他校の野球部が大勢いて、それなりに観客が来ていた。
かくいう俺は一塁側近くの外野席のようなところに座って、遠くから試合を眺めることにした。
どうやら、奈央たちの高校は一塁側のスタンドのようで、なかなかの大所帯だった。
俺は、「そもそもこれ何回戦なんだ」とか疑問に思いつつ、
頭からタオルをかぶって、おばさんからもらったポカリをグッとあおいだ。
昼前の陽の高い時間帯で、球場には屋根も何もないから、
頭上からは嘘みたいに真っ白な日光が降り注いで、今にも焼け焦げてしまいそうなほどだった。
「ミーンミーン」と遠くから聞こえる蝉の声がやけに喧しくて、しばらくぼーっとしていた。
不意に、三塁側から「パパパーン!」と「ねらいうち」の演奏が勢い響いたので、
「始まった!」と顔を上げた。
遥か遠くで、球児たちが元気いっぱいに躍動している。
どちらの高校が打っても球場全体に「ワアアアア!」という歓声が沸き起こり、
「パーパーパッパパー!」というブラバンの演奏が高らかに鳴り響く。
それは見ていてとても爽快なもので、全然関係ない俺でさえ、何か込み上げるものがあった。
自然と「よっしゃあああ!」「いいぞー!」と声を荒げてしまうほどだった。
時折響いてくるブラバンの演奏がまた面白くて、エヴァの曲だとか、ドラクエの曲だとか、今はなんでもありなんだよなぁ、と聴いていて楽しくなった。
定番の曲もいいが、知っている曲が流れてくると、また不思議とテンションが高まる。
そんな風に、場の雰囲気に呑まれて俺も興奮していると、
『4番、ピッチャー、ニシ、くん』というアナウンスと共に、
先ほどのあの少年が打席に立った。
「ああ、ニシ君。エースで4番なのか。すごいなぁ」なんて思って、「そりゃ奈央が好きにもなっちゃうわけだ」と笑ってしまった。
今までの演奏よりも一層力強く「パンパーン!!」と『カモンマーチ』が鳴り響いた。
勢いのある曲で、応援する側もついつい力が入ってしまう。
「かっとばせー! ニーシ! ニーシ!」という応援が響き渡る。
そのけたたましい応援から、奈央の高校がことさらニシ君に期待してるんだな、ということが伝わってきた。
ニシ君が勢い良く空振りする度に、悲鳴にも似た「あ——…」という声が響いて、
「オッケー次々!!」という野球部の応援団の声が飛び交った。
俺も全然関係ないのだが、なぜだか彼にすごく打って欲しい気持ちが湧いてきて、「かっとばせーにーーし!!」と声を張り上げていた。
熱の篭った球場。
彼は「カキン!」と快音を響かせ球を跳ね返したが、内野ゴロに倒れ、あっという間にスリーアウトとなった。
試合は終始接戦で手に汗握るものだったが、その日「ニシ君」がヒットを放つことはなかった。
そして、奈央の高校は惜しくも敗北を喫した。
挨拶をし、一塁側スタンドに駆け寄ってくる野球少年たちは肩を落とし、崩れ落ちて泣いている人もいた。
スタンドの生徒たちも「ありがとう!」「おつかれー!」と声を上げていて、その健闘をねぎらっているようだった。
決して強豪の野球部、というワケではなかったようだが、スタンドの応援の必死さと一体感から、彼ら野球部が愛されているんだなぁ、ということが容易に推察できた。
奈央の通っている高校は、きっと素敵な学校なんだろう。
遠くから、「ミーンミーン」とうるさい蝉の声が聞こえて、スタンドの喧騒に混じりこんだ。
目の前には、泣く野球少年達と、あのニシ君の姿。
俺は心の中で「いいなぁ」と思った。
あの春高バレーの決勝を見に行った時の感情と、よく似ていた。
俺もできることなら、もう一度あの熱情の中に飛び込みたい。
沢山の声援や光を一心に浴びて、仲間と抱き合って駆け跳ねて、勝ったら大喜びして、負けたら一緒に泣いて……。
それは俺の夢——。
もう一度だけ、あのキラキラとした輝きと熱さの中に、飛び込むことができたなら。
やり遂げられなかったバレーボール、部活。
例え途中で負けてしまっても、最後までやりきっていたら、仲間と一緒に走り抜けていたら……。
どんな景色が見えたんだろうか。
俺は、それを知らなかったから、見てみたいと思った。
ニシ君や、あの春高決勝で輝いていた選手たちのように……。
仲間と一緒に走り抜けた先には、一体どんな景色があるんだろう——
そんなことを、思った。
試合が終わって、両校の応援や父兄が球場からなだれるように捌けていく。
おばさんからもらったポカリはもうすっかり飲み干してしまったので、自販機でジュースでも買ってから帰ろうと思った。
球場脇にある自販機の前に歩いて行くと、何やら見覚えのあるものが落ちていた。
ユニフォームの形をした——お守りだ。
最初は目を疑ったものの、それは間違いなく、先ほど見た奈央の作ったものだった。
「どうしてこんなとこに落ちてんだ」
そう不思議に思って、手に取る。
お守りには、「NISHI」の名前と背番号の数字が縫い付けてあった。
結び紐が切れているという事もなく、ポケットからうっかり落としてしまったんだろうか。
それか、まさか捨てたのか……
先ほどまで全力で頑張っていたあの少年が、そんな事をするなんて信じられなかった。
拾ったものの、これをどうしようか。
奈央に見せた方がいいのだろうか。でも、もしかしたら渡せなくて、奈央が自分で捨てたのか?
渡せなかったとしても、自分で苦労して作ったものを捨てたりするだろうか……
考えたら考えただけ、どうしたらいいものか、分からなくなった。
とりあえず、そのままにしておくのもまずいので、自分のポケットに突っ込んだ。
これを持ち帰ってどうしたらいいのか分からないが、とりあえずは預かっておくことにした。
タイミングがあったら、奈央に訊いてみるのもいいだろう。
帰り道、陽はまだまだ高い位置にあった。
慣れない車を運転しながら、帰ったら勉強しないとな、と思った。
その日の夜、俺は早々に勉強への集中力が枯渇し、
台所で夕飯の手伝いなんかをしていたら、奈央が帰って来た。
鍵を忘れたようで、インターホンを仕切りに鳴らした。
その煩さに耐えかねたおばさんに、「玄関開けてあげて」と言われて、俺は玄関へと向かった。
ドアを開けて、「おかえり」と言うと、「ただいま」とだけ言ってすぐに階段へと向かっていく。
お守りの事、言った方がいいのだろうか、なんて考えていたら、
奈央は振り返って「今日はありがとうね」とだけ言って階段を上っていった。
疲れているのか、表情はとても暗かった。
「もうすぐ夕飯になるよ」と言うと、「うん」とだけ答えてくれた。
しかし、奈央が夕飯の場に顔を出すことはなかった。
「あとで食べる」とだけ言い、家族の前に顔を出すことはなかった。
俺はちょっと心配になったけど、女子高生なんてそんなもんだろうか、とも思った。
俺なんかが心配したところで、奈央もいい迷惑だろう。
それに俺は浪人生の居候で、わけもわからず突然家に来た奴だ。
そう考えれば、奈央は俺のことをだいぶ受容してくれている気がした。
もっと、根本的に拒絶する女の子だっているかもしれない。
突然現れた、こんなワケの分からない男と自然に暮らしてくれるのだから、奈央はかなり優しい子なんだろうな、と思った。
それも全て、俺がバレーボールをやっていたから、かもしれないが。
それならそれで、まったく構わないけれど。
その日——奈央のいない食卓で見た野球中継が、なぜだか無性に懐かしく思えた。