ep.08 二人きりのドライブ
それから数日は、奈央と上手く顔を合わせることがなく、二人で対人したあの時の事を、ずっと謝れずにいた。
なぜだか俺はそれが気がかりで仕方なくて、勉強にも身が入らなかった。
数日後の朝、居間に降りるとやけにバタバタして落ち着かない様子だった。
「お母さん! なんで起こしてくれなかったの!」
「やーね。何度も起こしたじゃない。アンタ、大丈夫だって言うから」
「もう! これじゃ間に合わないよ!」
寝坊してしまったのか、奈央がえらい剣幕でおばさんと口論していた。
「ほんとね。この電車には乗れないから……そうすると30分以上あくわね」
おばさんが、壁に貼られた時刻表らしきものを見ながらつぶやく。
「集合時間に間に合わないじゃん……お母さん車で送ってよ」
「だめよ。私今日早番だからもう行かないとだから」
「はー? 何で今日に限ってぇ!」
「おじいちゃんとおばあちゃんは病院に行っちゃったし、だめだからね」
「マジ有り得ない! じゃあ本当に遅刻じゃん!」
その口論は収まる気配もなく、俺は階段の脇から眺めていた。
機をうかがって、どうしたのかと事情を尋ねてみる。
「あの、どうしたんですか……?」
「奈央、今日野球の応援だったらしいんだけど、見ての通り寝坊しちゃったのよ」
「ああ、なるほど」
俺がそう納得すると、おばさんはまた奈央の方を見た。
「野球の応援くらい、ちょっと遅刻したっていいんでしょ?」
おばさんが呆れた様子で奈央に問いかける。
「だめ! 絶対に行かないとなの!」
まるで見に行かないと死んでしまうとでも言わんばかりに、奈央の語気は荒かった。
「何をそんなに怒ってるのか知らないけど……無理なもんは無理よ」
おばさんにそう言われて、奈央は涙目になって肩を落とした。
俺もさすがにそれが見ていられなくて、一言聞いてみる。
「あの、車を出せば間に合うんですか?」
俺の言葉を聞いて、奈央がはっとした表情でこちらを見た。
おばさんまで、きょとんとしていた。
「俺、車の免許ありますし。送っていけないことはないですけど」
俺がそう言うと奈央はまた一気に勢いづいて、
「ね、ね、お母さん! いいよね!?」とまくし立てた。
「あのねぇ、#NULL!君に迷惑でしょ……」
「でも他に車出せる人いないんだし、いいじゃん!」
「はーもう。この子ったら……」
おばさんはそう言って、微妙な面持ちで俺の方を見た。
「そういう緊急事態だったら、全然いいですよ! 大丈夫です、安全運転で行くんで」
俺の答えを聞き、おばさんは「はあ」とため息をついた。
「それじゃ悪いけど、このわがままな子連れてってもらえるかしら。本当に気をつけてね。急がなくていいからね」
おばさんは念入りにそう言うと、俺に車のキーを手渡した。
奈央も慌てた様子で、急いでカバンやら荷物を持ってくる。
出かける間際、おばさんが俺と奈央に、「暑いから」とペットボトルのポカリをくれた。
車に乗り込むと、案の定中は蒸し風呂のような熱気に包まれていて、奈央が「早く冷房、冷房」と俺を急かした。
「すぐにはクーラー点かないから、ちょっと窓を開けておこう」
そう言って窓を開けると、外から「ジジジジジジ…」とやかましい蝉の声が聞こえた。
入ってくるのは蝉の声ばかりで、ちっとも風は来なかった。
初めて乗る車だったので最初は緊張したものの、しばらく運転していればすっかり調子をつかみ、俺の中にも余裕が生まれてきた。
「おばさんの車を借りてきたみたいだけど、いいのかな」
「お母さんは自転車で仕事に行くから……大丈夫です」
「そっか」
車内に二人きりという事もあって、なかなか会話は続かない。
俺は「奈央に謝らないと」と何度も思ったが、それもなかなかに口にできなかった。
「あの、なんか……迷惑かけちゃってすいません」
「え、何が? 別に、全然いいよこのくらい。こっちも篭もりきりだし、良い気分転換になるよ」
「そうですか……ありがとうございます」
俺はその奈央の受け答えが妙にモヤモヤした。
「その敬語みたいなの、やめない?」
「え?」
「言うて二つくらいしか変わらないし、親戚なわけだし」
「あ、じゃあ……はい。分かった」
「うん、それでいいよ」
奈央は戸惑いつつも、俺の提案を受け入れてくれた。
俺はなんとなく、それがちょっとだけ嬉しかった。
「あのさ、この前はごめんね」
「え、何が? 何かあったっけ……?」
奈央は本当に何のことなのか分かっていないようだった。
「この前、家の庭で対人した時。突然やめちゃってごめんね」
「ああ……あの時の」
ここまで言って、やっと合点がいったようだった。
「あれは、私も変な事言っちゃったかなって思ってたし……」
「ううん、そんな事ないよ。あれは俺が悪いんだ。……だから、ごめん」
奈央もなんて答えていいのか分からないようで、「いや、そんな……」と言ってしばらく黙ってしまった。
俺はまた変な空気にしちゃったかな、と思って胸が騒いだ。
「もし」
出し抜けに、奈央が口を開いた。
「うん?」
「またああいう事があったら、対人してくれない? 一人でやるより、ずっと練習になったから」
「ああ——いいよ。いい息抜きになるから、声をかけてよ」
俺がそう答えると、奈央は「うん、よろしくね」と笑みを浮かべて手元のスマホをいじり出した。
奈央のその表情を見て、なんだか安心した。
良かった、謝ることができて。
結局思いつめていたのは俺の一方的な感情で、
奈央はずっとずっと、心の広い子だったようだ。
横を見ると、助手席に座る奈央の髪の毛に、キラっと光る髪留めが見えた。
よく見れば、何かオシャレをして、薄く化粧をしているようにも映った。
「その髪留めは——」
「これ? ええと……」
「いいんじゃない。似合ってると思うけど」
「え、本当に? 変じゃない?」
俺はそんな奈央を見てちょっと笑ってしまって、「大丈夫、変じゃないから」と答えてあげた。
奈央は、手に何か大事そうに持っていた。
野球のユニフォームの形をした、お守りのような——そんなものだった。
「それは、お守りか何か?」
「まあ、そんなところ」
俺は「ははーん」と思って、微笑ましい気持ちになった。
奈央がどうしてそこまで時間どおりに行くことに固執していたのか、分かった気がした。
そう気づくと、自分でもにやけを抑えるのに必死になってしまって、少し大変だった。
三十分も車を走らせていれば、目的地である野球場に近づいてきた。
球場の敷地に入って、「駐車場はどこだ—」なんて言いながら進んでいると、
奈央が突然「あ、ニシ君!」と外を見て叫んだ。
俺が「は?」と言って聞き返す前に、奈央は「ここでいいから! 止めて止めて!」と座席を揺らした。
「帰りはどうすんの?」
「終わったらチョクで学校戻るから、別にいい!」
奈央は「ありがとね!」と言って勢い良く車から飛び出して行き、球場脇にいた数人の野球少年たちの元へと走っていった。
そして、先頭に居た精悍な顔立ちをした少年と話しているようだった。
「なるほど——あれが、ニシ君ってわけね」
俺は、「お守りちゃんと渡せたかな〜」なんて思ってニヤけつつ、車を駐車場に停めて球場へと向かってみた。
なぜだか知らないけど、俺は妙に楽しくなってしまって、ちょっとウキウキした気持ちで球場へと歩いて行った。




