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夢の向こう側、ぶどう畑の夏  作者: 富澤南
第1話 挫折
3/21

ep.03 オレンジコート

 三年生になった頃、俺に無視できない壁が立ちはだかった。

 受験シーズンの訪れだ。

 俺は大学進学を目指して、身を粉にして受験勉強に向かうことになった。

 元々部活には消極的で、難関大への進学を望んでいた義父からの影響が大きかった。

 義父と一緒になって母さんも「きっとそれがいい」と言っていた。



 いざ受験勉強を始めてみると、俺が今までずっとバレーボールを続けてきたことなんてまるで嘘のようで、何もかも最初からなかったんじゃないのか、と感じた。


 初めて綺麗にサーブカットを上げられたあの時の達成感も、

 先輩たちに囲まれて初めて公式戦に出たあの時の緊張感も、

 三枚ブロックを破ってスパイクを決めたあの時の高揚感も、

 みんなで組んだ円陣も、スクイズボトルの冷たさも、負けて流した悔し涙も、

 全部全部、夢だったんじゃないのか?

 ——と、そんな風に感じてしまった。


 机の前で問題集を解く時間は、孤独で、空っぽで、何もなかった。

 もはや、部屋の片隅にあった煤けたバレーボールだけが、かつての俺の存在証明だった……。


「バレーがしたい」「仲間と一緒に飛び跳ねたい」

「バレーができない俺なんて、何の意味があるのか?」

 そんな想いと必死に闘いながら、俺は一年間受験勉強に食らいついた。



 ただ、結果は残酷なもので、志望校に合格することはできなかった。

 色んなものを犠牲にして臨んだ受験だったはずなのに、俺の努力は実らなかった。

 そしてそんな俺に、義父は考える間もなく「浪人にしろ」とすすめた。


 それは俺のことを考えているとかそういう話ではなく——ただただ、義父の都合であった。私立は絶対NG、国立でも最低ラインを超えなければNG、俺の希望などあってないようなものだった。


 何もかもが上手くいかない現実に、俺はこの男を殴り倒してやろうとまで考えたが、「車の免許だけはとらせて欲しい」という希望を義父が飲んでくれたので、俺はなんとか浪人して勉強しようという気になれたのだった。



 その後義父のすすめで、俺は新宿の河合塾に通うこととなった。

 全国から意識高めの浪人生が集う、はっきり言って面倒な予備校だった。


 新宿への予備校通いは、本当に辛かった。

 どうして俺はこんなところで、やりたくもない勉強をしているんだろうか?

 何のために? 自分のため? 将来のため?

 本当は、今頃大学でも大好きなバレーをやっているはずだった……。


 毎朝、西武新宿駅から大ガード下の喧騒を通り抜けるたび、そんなことばかりを考えていた。

 浪人したところで、バレーへの未練が消えるはずなかった。


 中学生の時からずっと思い描いていた夢。理想の自分。

 その夢と現実とのギャップは、19歳の俺を苦しめるには十分すぎるものだった。

 夢を失うっていうのは——本当に「つらい」の一言では片付けられない。



 浪人して、夏が過ぎ、秋が終わり、あっという間に冬が来た。

 さすがの俺も「今度こそは」と思っていた一月のこと。

 センター試験を一週間後に控え、世の中は受験に関係ない人達でさえも、なんとなく「受験ムード」に包まれ始める。


 そんな折、家の近所の体育館で「あれ」をやるらしいという噂を耳にする。

 それは、春高バレーの決勝だった。

 俺がずっとずっと追い求めていた、夢の舞台だ。


 その年は、なぜだか知らないが埼玉の片田舎の体育館で春高の決勝が行われていた。

 俺の家からも自転車ですぐに行ける距離だった。

 俺は行こうか行かまいか、心底悩んだ。


 センター試験は一週間後。世間の受験生は今頃死ぬほど追い込みをかけている。

 こんな時期に一日を潰して春高を見に行くなんて、正気の沙汰ではない。

 だが……もう、自分の気持ちに嘘は付けなかった。

 見たいものは見たいんだ。

 こんなにも近くに、俺の見れなかった夢の舞台がある。

 行かないなんて、そんなのは嘘だ。


 もちろん、罪悪感や焦る気持ちも当然あった。

 とはいえ——久しぶりに「あの空気」を感じられると思うと、嘘のようにワクワクしている自分がいたんだ。




 会場である所沢市民体育館に着いてみると、中は超満員だった。

 中学の時にも一度春高の決勝は見に行ったことがあった(あの時はさいたまスーパーアリーナだったな)が、その時以上に混雑していた。


 注目の対戦カードは、星城高校VS大塚高校。

 大エース擁する優勝候補の星城と、変幻自在の大塚がどんな戦いをするのか。

 俺はこの決勝の試合に、本当にワクワクしていた。

 応援の歓声も、会場の熱気も、とても真冬とは思えない。

「これだ! この感覚!」と笑顔になるのを抑えきれなかった。


 笛が高らかに鳴り響き、試合開始を告げる。

 両者、力強いスパイクを決めて一点入るたびに、割れんばかりの歓声が起きて「ドドドドドン!」と応援の地響きが湧き上がる。

 体育館全体が、興奮の渦に飲み込まれていく。

 俺も一緒に「オッケーー!」と叫んでしまう。


 三冠のかかった星城に世間の注目が集まる通り、試合はやはり星城有利に進んでいった。

 そんな中、俺は近くにいた高校生の会話が耳に入った。



「大塚のレフトエース、身長175ないらしいよ」

「らしいねー。ほんと、どんだけ飛ぶんだって感じ」

「しかも二年生って、すごいよなぁ」



 俺はこの会話に耳を疑った。

 確かにコートを見てみれば、オレンジコートで躍動するその姿は、どの選手よりも小柄に見えた。

 そして、誰よりも高く飛んで、その小さな体で大きなブロックを打ち抜いていく。

 春高バレーの決勝の舞台で、誰よりも小さいはずの彼は、誰よりも高く飛んで輝きを放っていた。


 彼が決めるたびに、チームが沸き立つ。

 風が吹く。

 熱気が走る。


 俺は、この時見た大塚高校のエースの姿が、目に焼き付いて離れない。


 それはまるで俺に、「できないことなんて何もない。諦めなければ誰だって輝ける」と言っているかのようだった。

 その眩しすぎる光景を——俺はまぬけに口を開けたまま眺めているばかりだった。



 試合も終盤に差し掛かると、1プレー1プレーに悲鳴のような歓声が湧き起こる。

 会場の全員が息を呑んで見つめる中、最後は星城のエースのサーブが突き刺さった。

 このサービスエースによって、星城高校が優勝を掴み取った。


 オレンジコートの真ん中で、感極まって抱き合う星城高校メンバー。

 かたや、がっくりとうなだれ、コートの外に並んでそれを見つめる大塚高校。

 まさに明と暗。

 しかし、負けてもなお表情を崩さず、凛と相手の栄誉を称えるようにコートの外に佇むその姿は、美しささえあった。


 全てをやり切った者たちの姿。

 それはきっと俺の見たかった景色であり、夢だった。


 俺は強く憧れた。心の底から、憧れた。

 優勝した星城高校にも、散ってしまったがコートに沢山の風を吹かせた大塚高校にも。

 この身が引き裂かれそうなほどに憧れ焦がれ、もう戻れないバレーの日々を思い出した。



 俺もあんな風に飛んでみたかった。

 どうして俺は——なぜ俺だけが——。

 そんなことを思ってしまった。

 憧れの舞台で輝いていた彼らを見て、キラキラした感情が込み上げた裏で、何もできない自分に対する絶望の念が、心にずっしりとのしかかった。


 俺の人生のオレンジコートはどこだろう?


 きっと何処にも答えなんてない、こんな馬鹿げた自問自答を、繰り返した。



 そして俺は、そんなバレーへの情念を忘れられないまま、一週間後のセンター試験を迎えてしまった。

 案の定、失敗した。

 その後の二次試験も、そのまま上手くいかなかった。


 惨憺たる結果。

 自分でも心底バカだなって思う。

 バレーを諦めて勉強に専念しているのに、その勉強すらおぼつかない。

 俺は何者にもなれない、なんて半端者なんだろうと、自分でもほとほと嫌気が差した。


 この結果を知った義父から強く叱責を受け、俺はそのまま二浪した。

 自分の行く先も、将来も、何もかもが不透明なまま、失った夢の幻影だけが心にいつまでも残って、俺は再び浪人の一年を迎えたのだった。



 義父も何かを感じ取ったのか、さすがに新宿の予備校は負担が大きいだろうと言って、二浪目からは家の近所の予備校に通うこととなった。

 この差配は俺の気持ちを幾分か楽にしたのだが——すでに手遅れだった。


 俺の腐り加減は凄まじく、予備校に通うフリをして公園に行って呆けていたり、ゲーセンに一日中篭っていたりした。

 時には、夜も友達の家に泊まると偽り、秋葉のアニクラに行って朝まで騒いでいる、なんてこともあった。


 バレーに夢中だった頃の自分なんてすっかり影を潜め、もう本当に、ただの「ダメ人間」でしかなくなっていた。

 それを自覚する度、昔の自分や、昔の仲間、美香のあの一言、そして、春高のオレンジコートで羽ばたいていた、あの小さなエースの事を思い出した。



 もう俺には何も出来ない。

 あんな風に輝けることは、一生ない。

 そんな気持ちだけがいつも心にあって、俺の心臓をきゅっと締め付けている気がした。



 夏前になり、義父が予備校に連絡を入れたことによって、俺がすっかり授業をさぼっていることがバレてしまった。

 義父は怒るという感情を通り越して、もはや呆れ返っていた。

 そりゃそうだろう。二浪したうえ、予備校にすら行かず、毎日ふらふらしていたんだから。


 そこで——義父から思いもよらない提案を受けた。



「お前は東京にいるから、勉強に散漫になるんだ」

「夏の間、ひとりで田舎に行って勉強に集中してこい。俺の実家に泊めてやるから」



 それはまったく予期せぬことで、俺はこの提案に驚いたが、自分でもちょうど東京から少し離れたいと思っていた。

 全然知らないところに行って、少し何も考えない時間が欲しかったんだ。

 こんな屑みたいな自分を見つめ直す、そんな時間が——。


 俺は義父の提案を受け入れて、二浪目の夏、義父の田舎に行くこととなった。

 季節は七月も中盤。まさに、夏の始まりの頃だった。


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