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夢の向こう側、ぶどう畑の夏  作者: 富澤南
第5話 花火とひまわりとショートヘアの君
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ep.17 ストローハット

 奈央はもしかしたら、夕飯の場に顔を出さないかもしれないと思っていたが、俺が居間に下りると、その団欒の中には奈央がいた。

 奈央は少し目を腫らしているように見えたが、家族の中でいつも通りにご飯を食べていた。


 ただ、テレビを見ながら力なく笑っている奈央の姿が、俺の胸をざわつかせた。

 自分でもよく分からないが、”つとめて”いつも通りにしている奈央を見て、少しだけ辛くなった。


 夕飯を食べた後、部屋で窓を開けて扇風機を回して勉強をしていた。

 すると、外から「ドドドン!」という音が聞こえて、麓の方角で花火が打ち上がるのが見えた。

 こんなによく見えるんだな、と感激して、すぐに一階へと駆け下りた。


「花火、始まりましたね!」

「そうね、よく見えるでしょ」

 台所にいたおばさんに、思わず話しかけてしまう。

 縁側では、おじさんとおじいちゃんがガラスの灰皿を置いて、二人でビールを飲んでいた。

 テレビの前で、奈央が浮かない様子でスマホをいじっていた。


「そういえば、今朝ぶどうが取れたんだけど食べてよ」

 そう言っておばさんは居間のテーブルにぶどうを3房ほど出してきた。


「これって、もしかして隣の畑のやつですか?」

 俺が興奮して聞くと、おばさんは「そう。#NULL!君が奈央と一緒に水あげてくれたやつ」と言って笑っていた。


 目の前に出てきた瑞々しいぶどうを見て、なんだか嬉しくなった。

 横にいた奈央に「な、これなんてぶどうなの?」と聞くと、「巨峰だよ。一番美味しいやつー」と力のない返事をされた。


「これって、俺らが水あげたやつだよな? それが食べれるって凄くね!」

 俺が興奮してそう言うと、奈央は笑っていた。

「何言ってんの、大げさだなぁ」


 でも俺は確かに、奈央と二人で水をあげた日の事を思い出していた。

 あの時、奈央は無邪気爛漫に笑っていた。

 すごく楽しそうだったと思う。

 ここに来てから、本当に色んな奈央の表情を見てきた。


 大口を開けて楽しそうに笑う姿や、いたずらっぽくにやにや笑う顔、

 バレーに対する真剣な眼差しや、落ち込んで影を落とした表情、

 そして土砂降りの中で見せた泣きっ面に、満面の笑顔……。

 その全てが俺の心に強く残っていて、その全てが奈央だった。

 そして、その沢山の表情に、俺は動かされ、変わってきていた。



 でも今の奈央の表情は…いつもと変わらない様子を見せている奈央の表情は…

 俺の心に残したくないな、と感じた。

 そんな瞬間、奈央の口からぽろっと言葉がこぼれ落ちた。


「花火……行きたかったな」


 その言葉を聞いて、心臓が大きな音を立てたのが分かった。

 色々と考えてしまう前に、すぐに口から気持ちを吐き出す。


「じゃあ、行こうよ」


「は? 何いってんの?」

 奈央が、右手にぶどうの実を持ったままこちらを見た。


「行きたいんだろ。まだ全然間に合うじゃん」


 こちらを覗き込む奈央の瞳をじっと見て、俺は言い放つ。


「一緒に行こう」


 奈央は俺から視線を外して下を向いた。

「で、でも……#NULL!だって勉強があるし、もうこれ以上色々迷惑かけれないよ」


「そうじゃないんだ!」

 俺は強い口調で言い切った。


「俺が行きたいんだよ。誰でもない、俺が。俺が奈央と一緒に行きたい。だからさ、一緒に行こうよ」

「う、うう……?」

 奈央は返答に困ったららしく、目をきょろきょろと泳がせた。


「行こうぜ。自転車で下ればすぐだろ。な、奈央?」

 奈央は少し「んー……」と首を傾げて考えてから答えた。


「いい、よ……」


 俺はそれを聞いた瞬間、ぱっと心が晴れて「おっしゃ!」と口走ってしまった。


「いいけどさぁ……ちょっと待ってね」

「どうしたん?」

「準備するから、待ってて。分かるでしょ」



 そう言われたものの俺は落ち着かず、一人で外の玄関先に座って、遠くに打ち上がる花火を眺めていた。

 ドン……パラパラ……という音が光から数秒遅れて聞こえてくる。

 遠くで小さく瞬くだけの花火は、見ていて物悲しく感じた。


 リリリリ……という虫の声と、縁側で話すおじさんたちの笑い声も聞こえた。

 蒸し暑くて、Tシャツ1枚とステテコという軽装だったのに汗が滲んだ。


 俺はぼんやりと、考え事をしていた。

 これから奈央はどんな格好で出てくるんだろうなぁとか。

 奈央と二人で花火を見るのはちょっと照れ臭いなぁとか。

 これから、俺はどうしていこうか……とか。


 頭の中がこんがらがって、これから麓の花火大会に行く、それも奈央と二人きりで……というのが信じられなかった。

 しばらくすると、玄関の戸が開いて奈央が出てきた。


「おまたせ……」

 そこには、気恥ずかしそうに立つ奈央がいた。

 その姿を見て「おおっ」と声が漏れた。


 奈央はシンプルなカットソーとスカートで出てきて、長い髪に帽子を被っていた。

 普段は部活着か制服、部屋着しか見たことがなかったので、私服を着ている奈央は少しだけ垢抜けていて、新鮮だった。


「なんだ、その帽子は」

「ハットだよ、ストローハット。バカ」

「それを被ってくのか?」

「もう、あんま茶化すなら行かないよ」


 そう言って奈央がむくれてしまったので、俺も「嘘だよ、似合ってる」と気恥ずかしい事を言ってしまった。自業自得だ。



「そんなにオシャレして行く必要あるか?」

「だって学校の誰かに会うかもしれないし。変な格好してるの見られたくないでしょ」

 俺は確かにな……と思いつつ一つ引っかかった。


「え、でもさ。俺と一緒にいるとこ見られていいの?」

「大丈夫でしょ別に。それに#NULL!は学校の人じゃないし、東京に戻っちゃうんだから」

「ああ、そうか……」


 俺はそれを聞いて思い出してしまった。

 最近は過去を振り返って落ち込む事もほとんどなくなっていた。

 その全てが今の暮らしが充実していて、楽しかったからだ。


 でも、俺は夏が終わったら東京に戻らないといけない。

 ここでこうしていられるのも、あと少しだけだった。


 こんなまったく知らなかった田舎の世界で、のびのびと笑って、ぶどうなんか食べて、奈央と一緒に過ごせるのも、奈央とバレーができるのも……。

 あと少しだった。


 この夏が終わったら、俺はどうなるんだろう?

 俺にはまだそれが分からなかった。


 自転車を出そうとすると、おじさんに声をかけられた。

「お、どこに行くで?」

「ちょっと、花火を近くで見ようと思いまして」

 そう言うとおじさんは酔っているのか。

「奈央が襲われないように守ってやってくれよ! あ、#NULL!君も何もすんなよ!」と声をあげて笑っていた。

 隣にいたおじいちゃんは神妙な面持ちで「気をつけて行くだぞ」と言ってくれた。


 俺はそれに「はい」と返事をし、奈央に「いくぞ」と声をかけた。


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