ep.14 逃げ水に撒いた笑顔
集合が解かれると、簡単なウォームアップがあって、各々が対人を始めた。
先生に「見てあげて」と笑顔で言われて、俺は「はい」と答えて、対人している様子を見て回った。
対人を見ていれば、フォームの癖とか、トスアップの精度とか、基本的な事がわかる。
全体的に悪くはないし、女子なので基本はしっかりできていたが、やはりそこまで上手い、というわけでもないなと感じた。
奈央は自分の事を「上手くない」と言い切っていたが、この中ではキャプテンを務めることもあって、やっぱり頭一つ上手いように見えた。
「はい!」と掛け声をあげて、ひときわ頑張っているようにも見えた。
バシン、というボールを弾く音と、キュキュキュ、とシューズの擦れる音が響いて、心地よかった。
奈央が「3メンするよ!」と叫ぶと、「はい!」と掛け声が上がって、コートの中に三人が入った。
俺はコートの中央に誘導され、ボールを出すように言われた。
見知らぬ女子が3人、俺の方を見て真剣に構えていた。
割と力を込めてボールを打ったが、綺麗にレシーブが上がってトスが返ってくる。
「やるな」と思って、今度は後ろのコースへ打つ。
綺麗に上がって、またトスが返ってくる。
俺はテンションが上がって「いいねぇ!」と叫んだ。
三人は「来い!」と声を張り上げた。
少し意地悪をして、今度はレフト方向からインナーへきつい球を打った。
反応はしたものの、手元がおざなりになって、ボールはコート外へと飛んでいった。
俺は「なるほど」と思って、瞬時にアドバイスをした。
「基本はできてるから、自分のとこに飛んできたボールは綺麗に上がるけど、きついコースや、予想外の所に飛んで来ると、上手くいかないね? いつでもひじを曲げないで、綺麗に面を作って受けることを意識してみて」
俺がそう言うと、ミスをした子は顔をあげて「はい!」と構えた。
「いいやる気だな!」と思って、再びフェイントのような球を同じコースに出した。
先ほどの子は素早く動いて、綺麗にボールが上がった。手前にいた子が「オッケイ!」と言ってトスを上げる。
そのまま、後方にいた子に向かってレフトからのウイングスパイクを想定した球を打つ。
バシン、と無回転で綺麗にレシーブが上がって、再び流れるように俺の方にトスが返ってくる。
コーチ役だというのに、俺は楽しくなって無我夢中になった。
「ああ、これはバレーだ」
「仲間に囲まれて、声を上げて、無心にボールを追いかける、これだ……」
そんな気持ちが込み上げていた。
休憩時間になると、すっかり俺も汗だくになっていて、腰に巻いたコルセットが蒸れるのが気になった。
腰に少々違和感はあったものの、けっこう動いた割にこんなものか、とも思えた。
簡単な休憩が明けると、奈央が勢いよく「サーブカットいくよー!」と声を上げた。
「はーーい!」と掛け声が溢れて、皆コートの中へ並ぶ。
俺はその様子をコート外から眺めていた。
「いきまーす!」「こい!」「ナイスカットー!」と声が止むことはなく、
女子とは言え賑やかでやる気のある部だなぁと思った。
全体的な力は強豪に比べればそこまでではないが、チームとしての雰囲気はとても良かった。
この中でキャプテンをやっているのだから、やはり奈央は頑張っているのだな、と思った。
サーブカットの後はスパイク練習だった。
椅子で座っていた先生に「スパイクはよく見てあげて欲しい」と言われたので、俺はネット近くの邪魔にならない位置に立って、フォームなどをよく観察していた。
数人は、しっかりとミートして打てていたが、他の子は高さも足りず、ボールを最高打点で上手く捉えられていないようだった。
俺は「ちょっといいかな」と言ってすぐに皆を集めた。
奈央が「集合!」と声をかけて練習が中断された。
「みんな、スパイクを打つ時に一番大事なのは、何か分かる?」
俺がそう質問すると、答えづらいのか誰からも返事が返ってこなかった。
奈央が小声で、「高さ……?」と答えた。
「うん、高さも大事。でもいくら高くても、タイミングが合わなきゃ良いスパイクは打てないよね」
俺がそう言うと、みんなうんうんと頷いて納得しているようだった。
「奈央、一回打ってみて」
奈央がなかなか良いスパイクを打っていたので、俺は手本を促した。
俺が下投げでボールをトスアップすると、奈央は高く跳んでネットの向こう側にバチン、と良いスパイクを打った。
俺が笑いながら「ナイスキー」と言うと、他の子たちも少し笑った。
打ち終わった奈央は、心底恥ずかしそうにして自分の服を引っ張っていた。
「奈央のスパイクの良いところは、滞空時間だよ。滞空時間が長ければ、ボールを一番高い場所で叩きやすくなる。それに、相手のブロックがよく見えるし、もっと言えば相手のコートの状況まで見えてくる」
俺がそう話すと、みんな目を輝かせてこちらを見た。
「スパイクで一番大事なのは滞空時間なんだ。それを意識すれば、かなり変わるよ」
俺がここまで話して、一人の女の子が申し訳なさそうに「あの……」と声を上げた。
「どうしたら、滞空時間を上げることができますか?」
俺は待ってましたとばかりに、この質問に答えた。
「“ワイヤー”だよ」
俺がそう言うと、みんなぽかんとして首を傾げた。
「自分の頭のてっぺんに、ワイヤーが付いてるって想像してみて。そんで、ジャンプした瞬間に、真上に思いっきり引っ張られてるってイメージするんだよ!」
俺が自分の頭の上で引っ張られているようなジェスチャーをすると、みんなもマネして頭の上に手をやって、ワイヤーのイメージをし始めた。
俺は笑って、「そうそう! イメージが大事なんだ」とスパイク練習を再開した。
勢い良く、「じゃ、いくよーー!」と叫ぶと、それに呼応して「はーい!」という掛け声があった。
アドバイスをしたが、やはり上手く打てているのは先ほどと同じ子たちで、上手くいかない子は、なかなか上手くいかない。
でも、何人かは打ったあとに感覚を掴んだようで、「何か違うかも」と言って、笑顔で何度もスパイクのフォームを確認していた。
俺はそれを見て、「いいよ!」と笑顔で声援を送った。
俺がアドバイスをしたからと言って、それはあくまで理論やコツにすぎないものであって、すぐに何か変わるというワケではない。
ただ、上手くなれたり、何かに気づく「きっかけ」にはなってほしいと思った。
自分が選手だった時にも、「気づくのはいつだって自分。自分で気づいてから上手くなる」とよく言われたものだった。
だから、この子たちが自分で気づいて上手くなるきっかけになれれば良いと思った。
もちろん——女子の指導などは今までに一度もしたことがなく、自分の教えていることが本当に正しいかの不安もあった。
でも俺は、ただ今自分ができること、伝えられることを、精一杯にやってあげようとだけ思っていたのだ。
その日の奈央は調子が良かった。
何度も何度もスパイクを軽快に打っては、
「ワイヤーって聞いてから、ジャンプがしやすくなった気がする!」
と、笑顔で駆け回っていた。
このスパイクの練習から、チームみんなの笑顔が増えたような気がした。
そのあと、レギュラーメンバーがコートに入って試合形式の練習が行われた。
真面目にやっていながらも、終始笑顔が溢れていて、厳しすぎることもない。
その様子を、顧問の先生は椅子に座って笑顔で眺めていた。
「いい部活だな」
奈央がこの部活に最後までいたいと強く願うのも、よく分かる気がした。
俺が高校の時のチームも、こんな感じだった。
いや、もっと厳しかったが、雰囲気は似ていた。
あの時は、楽しかった。
みんなで夢に向かって、夢中で頑張っていたあの日、俺も今の奈央たちと同じような景色を眺めていたんだ。
夢というのは、そこにあって、追いかけるものだ。
それが叶う叶わないではなく、追いかけることに意味があったのかもしれない。
一つの夢が終わってしまったら、また新たな夢を見つける。
もしかしたら人生は、そうやっていくつもの夢を追いかけていくものなのか——?
俺はボールを叩きながら、体育館の格子窓から外を見てみた。
正午過ぎの真っ白な光が、校舎と校庭を包んでいた。
校庭では、サッカー部とハンドボール部が掛け声を上げていた。
その手前の校舎に続く道を、数人の生徒が歩いている。
俺は、やっぱりバレーがしたいんだ。
どんな形であれ、バレーのそばにいたいんだ。
今日、奈央の部活に来たことで、自分のそんな気持ちに気づき始めていた。
帰り際、歩くのも大変そうにしている先生に、
「明日から、よろしくお願いします」と頭を下げられ困ってしまったが、「はい、しっかり頑張ります」と力強く答えた。
体育館から出ようとすると、奈央に呼び止められた。
「ちょっと、帰り道分かるの?」
「あ……ちょっと自信ないな」
そう言うと奈央はあからさまにしかめっ面になって、「やっぱりー? もう、めんどくさ……」と言った。
「このまま友達と図書館行こうと思ってたのに」
「まあ、どうにかなるよ。大丈夫」
「いや、絶対迷うって。駅まで戻れないよ多分」
そう言うと奈央は部活の子たちの所へ行き、「一回帰ってすぐ連絡する」と話していた。
駐輪場で奈央に、「絶対今日で道覚えてよね」と釘をさされつつ、二人で自転車に乗って校門を出た。
瞬間、また空気が変わった気がした。
なんというか、時間の流れが元に戻った、そんな気がした。
振り返ると正面には校舎、横には先ほどまで俺がいた体育館があった。
「今日は調子が良かったよ」
少し先を行く奈央は、ごきげんな様子だった。
夏の太陽を思い切り浴びる中走っているというのに、元気そうだった。
「やっぱり、奈央はエースじゃん。上手かったぜ」
俺がそう言うと、振り返って「本当?」と笑みをこぼした。
「あの、ワイヤーだっけ! あれは面白かった。さすがだよね」
「あー、あれね。俺が中学の時、先生に言われたんだ。あれを聞いてから、スパイク打つのが楽しくなってさぁ。それをみんなにも味わって欲しかったんだよ」
俺がそう話すと、奈央はにやにやと笑った。
「ふふ。コーチが板についてきたんじゃない? 今日は楽しかったなぁ」
そう話す奈央の表情は、夏の太陽を反射して眩しかった。
「良かった。やっぱり、部活は楽しいのが一番だと思うよ」
俺がそう言うと、奈央は笑顔で頷いた。
「ねえ、#NULL!」
「なに?」
「来てくれて、ありがとう」
「え?」
俺が聞き返すと、奈央はもう答えることもなく、「ここからは坂道だから辛いよ!」と言って先に走っていってしまった。
奈央の後ろ姿が、逃げ水の中に溶けていった。
しばらく走ると再び坂道に差し掛かり、木陰の中で遠くからツクツクボウシの声がした。
夏だ。
もう、どうしようもなく、夏だった。