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夢の向こう側、ぶどう畑の夏  作者: 富澤南
第3話 もう一度
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ep.11 夢への扉

 奈央との対人を終えた後、昼飯を食べて、午後からは自分の部屋で勉強をしていた。

 すると、「ピンポーン」というインターホンの音が鳴った。

 奈央が下に降りる様子もなく、おばあちゃんもいないようだったので、「いいのかな?」と思いつつも俺が玄関の戸を開けた。


 そこには、短髪の見知らぬ少年が立っていた。

 この前、野球観戦の時に見た制服だったから、恐らく奈央の高校の生徒だ。


「あ、え? こんにちは……」

 彼は、いかにも「予想外の奴が出てきた」という表情で俺を見た。


「こんにちは」

「奈央さん、います?」

「あ、はい。ちょっと待ってね」


 俺はそのまま二階に上がっていき、奈央の部屋をノックした。


「なんか、男の子来てるけど」

 すると、中から「えー? どうせタクミだろ」と声がした。

 奈央はバタバタと玄関へ降りていき、「やっぱり。何の用ー?」と親しげに話し始めた。

 俺はその様子を、階段の途中からうかがっていた。



「いや、墨汁忘れたんで取りに来た。教室の入り口閉まってっから、こっちから入れてくれ」

「またそれ。ちゃんと持って帰れし」

「しょうがないだろ。先生はいねえの?」

「おばあちゃんなら出かけてるよ」


 どうやら彼は、ここの書道教室に通っている高校生のようだ。

 家の中に他に誰もいないからか、嫌なほど会話が聞こえてくる。

 奈央との様子を見ている限り、かなり旧知の仲なのだろう。



「ってかあの人誰? 兄ちゃんなんていないよな?」

「親戚……って感じかな。浪人生で、うちに勉強しに来てる」

「ふーん。めっちゃ背でかいからビビったわ」

 俺の話題が展開され、少し緊張して嫌な汗が出そうになった。



「そういやさ。野方先生来てたぞ、学校に」

「え、先生が? 今日うちら部活ないのに」

「職員室で偶然見かけてよ。産休決めたって言ってたぞ」

「えっ! それ、マジ?」

 奈央が急に大声を上げたので、俺の心臓がばくん、と飛び上がった。



「まだうちら何も聞いてないんだけど……」

「あーそうだな。次の部活の時に、言ってくれるんじゃないか。あのお腹なら無理もないだろ。今までよくやってたわ」

「うん。ほんと、そうだよね……」

 奈央の声は消え入りそうなほど弱々しかった。

 それに構わず、男子は奈央に言葉をかける。


「女バレ、大会あるとか言ってなかったか?」

「あるよ」

「大丈夫か? 先生いなくて」

「わかんない……」

 奈央がそう言ってから、しばらく会話が途切れた。

 教室の方から、ドタドタという足音が聞こえた。


 しばらくすると玄関の方から「じゃあな」と言って男子が出て行った。

 階段の踊り場でしばらく立ち尽くしていたが、奈央が戻ってこないので、俺は書道教室の方を見に行った。

 そこには、教室の中でぼーっと立ち尽くしている奈央がいた。



「どうしたの。ここ、暑くない?」

 教室の中は冷房もついておらず締め切られていて、ひどく暑かった。

 入り口横の小さな窓から西日が差し込んでいた。


「どうしよう」

 奈央は、困ったような表情で俺を見た。

「野方先生って、部活の顧問なの?」

「聞いてたの?」

「聞こえちゃった」

 俺がそう言うと、奈央は俯いて黙ってしまった。


 教室の中があまりに暑かったので、俺は西日の漏れる小さな窓を開けた。

「そこ開けると、虫が入ってくるよ」

「だって、暑いから」

 奈央の忠告を無視して窓を開けると、網戸が壊れて破れていた。

 でも、外の風が入ってきて、幾分かはマシになった。



「で、どうしたんだよ」

 吹き抜ける風を感じながら、俺は奈央に訊ねてみた。


「顧問の先生が、産休するんだって」

「うん、聞いてた」

「大会……どうしよう」

 奈央は下を向いたまま、顔を上げなかった。



「監督がいないっていうのは不安だけど、やるしかないだろ」

「うん」

「そんなに落ち込んでたって、仕方ないんだから」

「うん……」


 俺は奈央にそう声をかけると、台所に行って麦茶を飲んで一息ついた。

 部屋に戻ろうとすると、まだ教室の方に灯りが点いていた。



「いつまで、こんな暑いとこにいるんだよ」

「さあ」

「先生が休むのはショックだろうけどさ、自分達でやるしかないだろ?」

 そう言葉をかけると——奈央は涙を浮かべて俺を睨んだ。


「そんなこと分かってるよ!」

 その口調は荒々しいもので、俺にありったけの敵意を向けていることが分かった。


「私、キャプテンなんだよ? 上手くもないのに!」

 感情的な言葉の数々が、奈央の口から吐き出されていく。


「先生がいなかったら、全部私がやらなきゃ! 練習も試合の指示も、全部!」

 俺は、なんて声をかけるべきなのか、すぐには言葉が出なかった。


「最後の試合だから、全力でやって勝ちたかったのに……もう無理だよ……」

 奈央はそう言って、また俯いてしまった。


「だって、それがキャプテンじゃないか。しっかりしろって」

 落ち込む奈央を見て、咄嗟に出た言葉はこんな素っ気ないものだった。

 そして奈央は、そんな俺を見透かすように言い放った——。


「#NULL!は上手いからいいよね! きっと私のことなんて分かんない! 失敗したり、思い通りにプレー出来ないことなんてないんでしょ!?」


 奈央の言葉が、俺の胸に突き刺さった。


「それは——」

「背だって高くて、レフトでエースだったんでしょ?」

「奈央——」

「こんな不安な気持ち、なったことないからそんな気楽に言えるんでしょ?」

「奈央、聞いてよ——」

 そして、一瞬だけ静寂が訪れた。



「俺はもう、バレーができないんだよ」



 その言葉を聞いて、奈央は口を開けたまま俺の方を見上げた。

「え……?」

「言ってなくて、ごめんね。俺、腰をやっちゃってさ。もう二度と思いきりバレーをすることはできないんだよ」


「え、だって。もうバレーは満足したって言ってたじゃん……」

 奈央は両目を見開き、呆然と俺を見つめていた。


「ごめん。あれは嘘だったんだ」


 奈央は、口をきゅっと結び、悲しそうに眉根を寄せた。


「俺はもう、バレーがやりたくてもできない。ボールに飛び込んだり、思い切り飛び上がってスパイクを打ったり……できないんだ」

「うそ、でしょ……」


 外から、「ミーンミンミン——」という蝉の声が入り込んできて、しばらく会話が途切れた。

 ヒリヒリとした空気の中で、俺は何も言えなかった。

 ただただ部屋の中が熱くて、背中にじわりと汗をかいていた。


「ごめん……私、知らなかったから」

 奈央は目を赤くして、震えるような声でそう言った。

 そんな奈央を見ていたら、俺も感情が込み上げてきて、全部話してしまおうと思えた。



「本当は、ずっとずっと夢があったんだ。春高に出て、あのオレンジコートに立ってさ——負けても勝っても、コートの中で沢山の風を起こすんだよ」

「風——」

 そう反応した奈央に、俺は笑顔で頷いた。


「そう、風さ。俺はここにいるぞ——ってね。そんで思いっきりプレーして、最後は仲間と思い切り抱き合うんだよ。そんなのって、すごく、すっごく、楽しそうだろ?」

 奈央は、黙って俺の顔を見ていた。


「全部やり切ったら、一体どんな景色が見えたんだろうな。その景色を見るのがさ、俺の夢だった——」

 奈央は親身に聞いてくれていたが、唇を噛んで俺の方を見るだけだった。

 その透き通った双眸からは、今にも涙が溢れそうだった。



 俺はしまったな、と思ってすぐにフォローを入れた。

「いや、ごめん。こんな事言われても、奈央だって困るよな」

 奈央はしばらく下を向いてから、口を開いた。


「うん。正直、私にはよくわかんない。だから——」

 一瞬、奈央が歯を見せて笑った気がした。


「明日私たちの部活に来てよ」


「え?」

 奈央の突然の提案に、俺は面食らった。


「どういうことだ?」

「#NULL!にバレーを教えてほしい。先生の代わりに、臨時コーチになってほしいの」


「一緒に、もう一度バレーしてくれない?」


 奈央は、凛とした目で俺を見た。

 まるで、新緑を跳ねる雫のように澄み切った瞳。

 そんな目で見つめられるのは初めてのことだった。


「そう言われても、俺がここに来た理由は——」

 俺が、ここに来た理由……。そんなものあったんだろうか?


「受験勉強で忙しいからダメ?」

 奈央は不安そうに表情を曇らせた。



 俺がここに来た理由——それは恐らく勉強だが——

 そんな事ばっかりやっていて、本当に意味があるんだろうか?

 その先には夢も目的もない。何もないのに勉強だけしている。


 たとえば——今この瞬間、奈央たちと一緒に頑張ったら、その先には何かあるんだろうか?

 何か、見えるんだろうか?


「大会まで、あと一週間だけ……部活に来てくれない? お願い!」

 気づけば、奈央のまっすぐな瞳が再び俺を捉えていた。

 奈央の言葉には、不思議な力が宿っているようだった。


 いつもの俺なら、間違いなく断っていただろう。

 バレーの事を思い出すと辛いから、バレーを避けて、忘れようとして生きてきた。


 それなのに。

 奈央とは一緒にバレーがしたいと思えた。

 もう一度やれるかもしれない、そう感じた。



「俺なんかで良ければ、力になる。コーチなんてやった事ないから、上手くできるか分かんないけどさ」

 俺がそう言うと、奈央はくすっといたずらっぽく笑った。


「ほら、やっぱり」

「何が?」

「#NULL!はまだ、バレーがやりたいんだよ。そうに決まってる」

 奈央が力のない笑顔で俺に語りかけてくる。


「#NULL!は、自分の大好きなバレーを勝手に終わらせようとしてない? “夢だった”ってなに? 夢なら、また追いかければいいじゃん。少なくとも、私だったらそうするけど」

 そう言うと、奈央は口元だけで笑って首を傾げた。



 俺は、けがをしてバレーと関わることを意識的に避けてきた。

 でも、それは間違っていたのかもしれない。

 そのせいで、いつまでたってもバレーを忘れられず、そのしがらみに足をとられ続けてきた。


 俺の本当にやりたい事は。いつまでも経っても変わらない夢は——

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