第6話 審判の瞳
視界に薄っすらと光が差し込み、閉じていた意識が覚醒を始める。
「ここは……」
「お気付きになりましたか?」
女性の心配そうな声が頭上から聞こえ、視線を上に向けると、綺麗な花を頭に飾った女性が心配そうな顔で、俺を覗き込んでいた。
……どういう状況だ? ふと、頭の後ろが妙に温かく柔らかい感触に乗せられている事に気付く。どうやら膝枕されている様だ。
「あ~……もしかして、介抱してくれていたのか?」
「はい、気が付いて良かったです」
そう言って、ドリュアス――いや、フランか……彼女は俺を見つめて微笑んだ。
しかし、同時に疑問が浮かぶ……俺の精気を吸おうとしていた相手が、何で俺を介抱している? そう疑問に思って聞く。
「何で介抱してくれるんだ?」
「それは、貴方が私の主となったからです」
「主?」
「覚えていらっしゃらないんですか? 私を真名で縛った事を……」
「真名で縛る?」
「ええ、貴方は私の本当の名を告げたでしょう? それによって貴方は私を縛り、しもべとしたのです」
そう言われて思い出す。そうだ……彼女に精気を吸われそうになった時、俺は左目の力を全力で使ったんだ。
そうして彼女の瞳を見ていると、今まで感じた事の無い程に左目が熱くなって、そうして気が付いたら、彼女の過去や本当の名前が垣間見えたんだ。
そして、思わずその名を呟いた。その瞬間、頭の中で何かが弾けた感覚が走って、そこで気を失った。
「フラン・リデュエール……これが君の真名なのか?」
「そうです。と言っても私自身も知らなかったのですけど……」
そう言って苦笑するフラン。
「ん? どういう事だ?」
「真名とは、世界に生まれ落ちた際に与えられる名で、世界しか知り得ません。よって、付けられた本人ですら、その名を知る事はないのです」
「じゃあ、何で俺はそれが分かったんだ?」
「それは、その左目のおかげです」
「左目……」
そう言って、指で自身の左目を瞼の上から触る。
「それは『審判の瞳』……その瞳の前では、全ての罪、全ての在り方を詳らかにされると言われています。相手の全てを識るという事は、相手の全てを支配すると同義です。故に我らはその瞳を恐れます」
真剣な表情で話すフラン。嘘を言っている様子はない。『審判の瞳』……随分と大仰な名前だが、それがこの左目の力の名前らしい……まさか、この目にそんな力まであったとは……。
少し驚きながらも、あまり顔には出さず問いかける。
「じゃあ、君はもう俺を害する事は出来ないのか?」
「ええ……それどころか、貴方が存在を完全否定すれば消し去る事も出来るでしょう」
少し悲し気な声で説明してくれる。何か沸々と罪悪感が湧いてくる。別に好きで覗き見た訳ではないし、真名を縛ってしもべするつもりなんかなかった。
それに殺されそうになったとは言え、消し去ろうなんて思っていない。だが、彼女は何やら覚悟をしている様な雰囲気を纏っていた。
何だろう、何やら凄まじく申し訳なさを感じて来てしまい……俺は思わず、彼女に謝罪の言葉を告げた。
「……え~と、ごめん」
「……どうして謝るのですか?」
俺が謝ったのが不思議なのか、キョトンとした表情で聞き返してくる。
「いや、故意ではないけど、俺の力で女性のプライベートを覗き見したみたいだし、自由を奪って怖がらせたみたいだから……」
その言葉を聞くと、フランは更に驚き、少し体を震わせながら目を伏せて呟く。
「女性……怖がらせた……」
「あ、いや……別に君を下に見たとかじゃなく!?」
怒らせてしまったと思い、慌てて誤解を解こうとする。だが――
「い、いえ、大丈夫です! 怒ってなどいません! (むしろ逆です……)」
と、フランは慌てて否定する。最後の呟きは小さくてよく聞こえなかった。なんか微妙に顔が赤い様な……。
「でも、無理やり真名で縛ってしもべにしたみたいだし……嫌だろ、そんなの」
「そんな事はありません! 確かに急な事で驚きましたが、強者に仕える事は私たちにとって、誇りであり誉です! どうかお傍に置いて下さい!!」
そう言ってズイッと膝枕している俺の顔に、自身の顔を近付ける。
「ち、近い近い!?」
「あっ!? も、申し訳ありません!」
バッと顔を上げ、顔を真っ赤にして謝るフラン。何か随分と可愛らしくなっちゃったな……あの妖艶そうな大人な女性の雰囲気は何処に行ったのやら……そして、少し気まずい沈黙が続く。
いつまでもそうしている訳にもいかないので、膝枕から体を起こして立ち上がる。が――
「おっと……」
と、立ち上がった瞬間、少し眩暈がしてフラ付く。
「だ、大丈夫ですか!?」
心配そうに俺を支えるフラン。
「ああ、大丈夫。ちょっと眩暈がしただけだ」
俺は体をしっかりと立たせ、居住まいを正してフランへと向き直る。そして、彼女に手を差し伸べた。
「それじゃあ改めて、神座 晃だ。これからよろしく頼む」
そう言って笑うと、彼女は嬉しそうに微笑んで、俺の手を取って前にかしづき、恭しく忠誠の言葉を述べる。
「フラン・リデュエールです。我が真名に誓って、幾久しくお仕え致します」
こうして俺は、守護者ドリュアス――『フラン・リデュエール』をしもべにする事となった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
フランという心強いしもべを向かえ、この理不尽な状況にも一筋の希望が見えてきた。
土壇場で使った『審判の瞳』とやらの力で、何とか命拾いした。まさか、この目に真名を縛ってモンスターをしもべにするなんて力があるとは、思いも寄らなかった。
もしかしたら、あの最初に見かけたモンスターもなんとかなるんじゃないか? と思ったが、フランによれば、まだ頻繁に使うのはよした方がいいと警告を受けた。
理由は、まだ俺自身がその瞳を使うには力が足りていないからだという。
事実、俺のステータス表示のMPは、ゼロに近い状態(元々はゼロになっていた様で、フランの介抱のおかげで多少は回復したらしい)になっていた。使った直後に倒れたのはそれが原因との事。
おまけに、自分の場合は心の隙を突かれて、いとも容易く真名を看破されてしまったが、他の守護者相手にはそう簡単にはいかないだろうという話だった。
因みに、何で隙が生じていたのか聞いてみたが、何やら顔を赤くしながら誤魔化されてしまった。
それからフランには色々な事を聞いた。このダンジョンの事、守護者の事……そしてあの女の事。だが、あの女に関しては、『あの方』と呼んでいる以上の事は聞けなかった。
何やら話してはいけないという「呪」が掛けられている様で、無理に話そうとすると命に係わるらしい……流石に折角のしもべをいきなり失うなんてのは嫌なんで、聞かない事にした。
そうして、色々な話を庭園に備え付けられていたテーブルに着いて、興味津々で聞いていたのだが、その途中で俺のお腹がグ~と鳴る。
「あ……ごめん」
「いいえ、お腹がお好きなのですね?」
クスクスと笑い、指摘してくるフラン。
「ああ、元々ここには水と食料を求めて来たんだ。何か食べる物ってあるか?」
「ええ、少しお待ち下さい」
そう言うと、フランは蔦を庭園の四方に伸ばし、何やらガサゴソと辺りを探り始める。すると、蔦の先に様々な果物や果実を巻き付けて、テーブルの上に運んでくれた。
「おお~!」
感心して声を上げると嬉しそうに微笑んで、今度は蔦の先から木を生やし、それをあっという間にコップに生成すると、傍にあった泉から水を汲んで置いてくれた。
「さあ、どうぞ。主様」
「ありがとう。じゃあ、頂きます」
手を合わせて色とりどりの果物と果実を頂く。どれも見た事のある物ばかりだったので、抵抗なく口にする。
新鮮で瑞々しく、濃い甘みが疲れた体に沁み渡った。俺は木のコップに注がれた水も一気に飲み干す。
「ハァ~、生き返る……」
まさに言葉通りの気持ちが溢れる。ずっと飲まず食わずだったから、喜びも一入だ。俺は腹が満たされるまで、それらを頂いた。
「フゥ~、ご馳走様でした」
「ご満足頂けましたか?」
「ああ、フランは食べないのか?」
「大丈夫です。私のエネルギー源は主に養分や精気、後は日の光ですから……」
「でも、お腹空いたとか言ってなかったか?」
「……それはもう大丈夫です」
「そうなのか?」
「ええ!」
そう言って笑い、何故かペロリと自身の唇を舐めた。
まさか、俺が気絶している間に何かしたんじゃないだろうな? と不安になり、俺は疑惑の視線を向けるが、フランは首を傾げながらニコニコと笑顔を浮かべるだけだった。深くは聞かないでおこう……。
お腹が満たされ、何とか当面の安全も確保出来て安心した為か、急に眠気が襲ってきて欠伸をする。
「フワァ~……」
「主様、眠いのでしたら、今日はもうお休み下さい」
「……それもそうだな」
「では、寝床を用意しますね」
そう言って植物を操り、葉っぱのベッドを作ってくれる。だが――
「なあ、フラン……何でこんなにでかいんだ?」
と、突っ込まずにはいられない大きさのベッドが目の前に鎮座していた。軽くダブルベッドサイズはある。
「何でと仰られても、二人で寝るのですから、これぐらい大きくないと窮屈かと思いましたので……」
「……一緒に寝るのか?」
「ええ……お嫌ですか?」
そう言って悲しそうな表情でこちらを見る。
「あ~……まあ、いいか」
フランみたいな美人と一緒に寝るのは緊張しないでもないが、妹とは今でも時々一緒に寝てくれとせがまれたりするので、誰かと寝るのは多少慣れている。
それに、しもべになってからというもの、フランからは特別な絆の様な物も感じるので、妹(見た目は明らかにフランが上に見えるけど)の様に思えば変な気も起きないだろう……多分……。
そう思い込む事にして、俺は葉っぱのベッドに身を横たえ、隣でフランが寄り添う中、その日は眠りに落ちた。