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MS03 「道具屋」

 その一本足の電気スタンドは先生の机の上にいつもありました。

 スイッチのある台座と電球の傘の付け根を金属の蛇腹がつなぐデザインで、卓上に置く電気スタンドです。ですが、台座についた三本の足のうち二本が折れてしまい、自分で立つことができません。だから書き物机の上で壁にもたれかけさせて置いてあります。

 銀色のスタンドは古い物なのは間違いありませんが、英国製の木製家具で統一された先生の書斎には似つかわしくありませんでした。


「昔、勤務先の近所にあった神社の縁日に道具屋がでていてね」

 いつもの散歩の途中、あの電気スタンドの話になったことがあります。先生はドイツ系アメリカ人と日本人のハーフです。白いものが混じったヒゲの生えた彫りが深い顔立ちに、神社とか縁日という単語はあまり似合いませんでした。丘の上にある休憩所で先生は話し始めました。


「道具屋?」

「骨董品の露天市といえば格好もつくだろうが、正直なところガラクタをかき集めて並べているといったところでね。昔はああいう露天商を天道干しと言ったそうだが、路地裏でボロボロの煎餅布団でも欲しているようなみせだったね」

 先生は楽しげに笑いました。先生は私の父親より年上ですが、笑い顔は同い年の男の子のように見えます。

「仕事帰りにたまたま立ち寄ったんだ。その頃、私は大学病院で働き始めたばかりで、暇な時間ができたのも久しぶりだった。とくに何かを買うつもりもなく道具屋の商品を見ていたんだが……いや、これが本当に酷い品揃えでね。どう見ても切れなさそうなノコギリとか、首のとれそうな雛人形とか薄汚れた笛とかそんなものばかりなんだ。そのなかで見つけたのが、あの電気スタンドだ。その頃から足が一本しかなくてね、店の横の塀に立てかけてあった。私は店主にそんな物が役に立つのかと尋ねたんだ。店主は丸坊主で和服の男でね。年はよくわからなかった。当時の私より年上だとは思うんだが、言動はまるで子供でね。大きな丸い目がキラキラ光っていたのが、すごく印象に残っている。その店主が言うんだ。この電気スタンドは、とても偉い奴なんでっせ、と」

「電気スタンドが……ですか?」

「なんでもこのスタンドは誰かが困っていると助けたくなる性分だそうで自分の足を二本、人にあげたんだそうだ」

「足を?」

「一本は怪我をした子猫に。もう一本は近所の女の子にあげたそうだ。だから、一本しか残っていない。こんなにいい奴だから是非買ってくれと言うんだ。そのうち、助けてくれるかもしれませんぜ、とね」

「それは……」

「そうだな、バカな話だと思う。それにちょっと不謹慎な話だね。響子くん」

 先生は遠くを見つめました。森の奥、川の流れが聞こえる方向です。

「だが、その男の話を聞いていると可笑しくてね。買うことにしたんだ。値段も300円だったしね。そのままじゃ立てにくいから、支えにこの塀も買いなはれ、と言われたのは流石に断ったがね。それ以来、私の机の上にあの電気スタンドがある。支えを作ってやらないといけないのは面倒だが、照明としては十分に役にたった。店主のいうような奇跡が起こせるのかは不明だがね」

「……その力を使ってみようと思ったことはないのですか?」

 私が尋ねると、先生は少し意外そうな表情を浮かべました。メガネのレンズの向こうで、青みがかった瞳が私を見つめます。

「おや、君がそんな話を信じるのかね。まあ、医者をやっていくなかで、何度か考えたことがある。本当に魔法のような力があるのなら、それを使って患者を助けたいと。だが、あの電気スタンドの足をへし折るのはやめにした。最後の一本まで奪うのは可哀想だからね」

「そうじゃなくて……その……」

 先生は自分で車椅子の向きを変え、泣きだした私の肩に手を置きました。

「悪いことを言ったようだ。すまない。君を傷つけるつもりはなかった。あの電気スタンドは私のライバルのようなものなんだ。あいつが自分の足を犠牲にして人を救ったというなら、私もそれに負けないような医師になろうと心のなかで言い聞かせてきた。だから、最後の一本は使わない。それは医師としての私のプライドの問題なんだ」

 屋敷に戻ろう。変な話を聞かせて悪かったね、と先生は言いました。

 私は頷き、車椅子を押しました。


 そうじゃないんです、と私は心の中で繰り返しました。


 世界的な外科医であった先生が歩けなくなったのは、私のせいです。

 私が小学生の頃、先生は信号無視で突っ込んできた車から私を助けようとして、下半身に深刻な怪我を負いました。それ以降、先生は車椅子で生活を送っています。私は申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、先生は入院している頃から私に優しくしてくれました。 

 退院後、私はお手伝いに行くことにしました。先生の家は町外れの森のそばにある古い洋館です。親の代から住んでいるそうなのですが、世界中を飛び回っていた先生はあまり利用してはいませんでした。手伝いと言っても掃除や簡単な買出しくらいしかできませんでしたが、先生が散歩する時に車椅子を押すのも私の仕事になりました。ただ、勉強を教えてもらったり、私が助けてもらったことのほうが多いように思います。

 その後、懸命のリハビリを経て、先生は仕事に復帰しました。車椅子の外科医としてメディアにも取り上げられましたが、先生としては不本意だったようです。どうせ、手術中は足は使わないんだ。歩けなくったって同じだよ、むしろ特製の椅子を作ってもらったから前より楽なんだ、と先生はぼやきましたが、それはやはり先生だからできることでしょう。医師としての先生の技術は怪我の前と変わりませんでしたが、それでも怪我をしていなければ、もっと活躍できたのではないかと私は思っています。

 以前より休みの日は屋敷で過ごすことが多くなったので、そんな時は私がお手伝いに行きます。そして、私が車椅子を押し、一緒に森を散歩します。この会話をしたのもそんな日の夕方でした。


「そうだ。あのスタンドだが、私が死んだら君に譲ろう」

 散歩からの帰り道、先生が唐突に言いました。

「縁起でもないことを言わないでください」

「いいじゃないか。あれだけだと立たないから支えもつけよう。……いいだろう?」

「……わかりました。大切にします」

「よし、決まりだ」

 先生はいたずらっぽく笑い、私に手を差し出しました。

 先生は何か約束をする時は必ず握手をするのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 私が医師を志したのは、先生に恩返しをするため……といえば格好はいいのですが、先生に憧れたのは間違いありません。私の家は経済的に厳しかったのですが、遠い親戚から遺産が入ったとかで、医大に進学することができました。後から聞いた話ですが、先生が学費を出してくれたのだそうです。それがわかった時に、先生はいたずらがばれた子供のような顔で言いました。

「ま、そういう訳だ。頑張って私を超えてくれたまえ。京子くん」

「……先生のようにはなれません」

「そうだな、君は君だ。君の良さがある。それを出していけばいい」

 別れた妻の間の子供は医師にはならなかったから、誰かが医師になる援助をしたいんだよ、と先生は言いました。私は感謝の言葉を伝えたかったのですが、泣き出してしまって言葉になりませんでした。


 外科医の道も考えたのですが、結局、私は小児科医を目指すことにしました。自分は先生のような医師になれないとわかったからです。それに私は子供にはなぜかやたらと好かれるのです。先生もそれがいいだろうと応援してくれました。君は人に愛される人間だからね、と。


 先生に最後に会った時、先生は自宅の改装工事を進めていました。先生はすでに医師としては引退をしていましたが、知り合いの医師とともに医院を作ることになり、自宅を医院に改装することになったのです。地域に密着した医院がないのが、この町の問題だ、と以前から仰っていました。屋敷はほとんどの部屋を使っていない状態だったので、いい計画だと私も思いました。


 その日、いつものように車椅子を押して、散歩をしました。

 先生はいつものように穏やかな表情を浮かべていましたが、心なしか疲れた様子でした。医院の工事で疲れたのだろう、とのことでした。いよいよ、臨床研修も終わりだが、気を抜かずに頑張るように、と私に言いました。医師としてのアドバイスは厳しいものが多かったですが、私はそのすべてを覚えています。散歩の終わりに先生は呟きました。

 君はいい医師になるだろう、と。

「そうでしょうか」

「自信を持ちたまえ。京子くん」

「私は先生のように人は救えません」

「そんなことはない」

 先生は手を伸ばし、きつく私の手を握りました。

「一つ話をしよう。君と出会った時のことだ」

「先生が私を助けてくれた時のことですね」

「……いや、それは違う」

 先生は小さな、小さな声で呟きました。

「あの頃の私は全てに疲れていた。妻とも離婚して、仕事にも意欲を持てなくなっていた。よくある話だ。私があの場にいたのは、屋敷を処分して一切合切を捨て去るつもりだったんだ。だから……」


「あの時、君のことを助ける気なんてなかったんだ」


「でも、先生は……」

「…………そうだね」

 先生は呟きました。

「私は動いた。何かが私を動かした。それがなんなのか今でもわからない。ただ……私は君を助けることができた。医師として動くことができたんだ」

 視線は合わせませんでしたが、先生が泣いていることはわかりました。私は先生が泣いているのを初めて見ました。

「君はこれから多くの人を救うだろう。……私がいうんだ間違いない」

 

 君には感謝している。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 先生が亡くなったのは、それからしばらくしてでした。癌が全身に転移していたのだそうです。何度か手術を受けたのは知っていたのですが、そこまで悪化しているとは知りませんでいた。私は医師として、それに気づかなかった自分の力のなさを恥じました。


 葬儀が終わった後、先生の息子だという人が私に話があると言ってきました。先生も若い頃はそうだったのだろう、と思わせるようなスマートな青年で年は私より5歳ほど年上でしょうか。IT系の企業を経営しているそうです。優秀な血筋というのはあるのだな、と私は思いました。

 私と息子さんは先生の書斎に入りました。

 書斎は最後に先生と会った時と同じで、あの電気スタンドも机の上で、変わらず壁に立てかけてありました。

「これか」

 息子さんは楽しげな表情で電気スタンドを眺めました。台座のスイッチを押したのですが、電灯がつかなかったので何度か押し直しました。

「それ……かなり前からつかないんです」

「そうなの?」

 よかった、壊したのかと思ったよ、と息子さんは安堵の表情を浮かべました。その表情が子供っぽかったので、私は笑ってしまいました。


「実は父から遺言を預かっている」

 息子さんは背広のポケットから封筒を取り出しました。

「遺言……ですか」

「そう、この電気スタンドを君に譲ると書いてあった」

 そういえば、そんな約束を昔したな、と私は思い出しました。

「確かにそんなお約束をしました。…………いただいてよろしいのですか?」

 息子さんは笑いだしました。

「何か?」

「いや、君は本当に父が言っていたとおりの人だな。壊れた古いスタンドだぜ?」

「ですが、先生はそれを大事にしていました」

「そうみたいだな」

 じゃあ、受け取るということでいいんだね、と息子さんが言ったので、私は頷きました。

「ああ、それとスタンドの支えも贈ると書いてあった。これも受け取ってくれるね」

「わかりました。……でも、それは何ですか?」

 息子さんは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、手を差し出しました。


「この家……今日から君のものだ」


 あれから3年経ちました。私は先生の家を改装した医院で働いています。先生のお知り合いの医師と二人で運営を行い、私はその小児科部門を担当しています。一応、医院は私のものなのですが、まだまだ勉強することばかりです。

 結婚もしましたが、夫は会社の経営で全国を飛び回っているので週末しか家には戻りません。私も仕事が忙しいのと、海外生活が長い夫は愛情表現が激しいので丁度良いバランスかな、とは思っています。毎日、愛の言葉をギターの弾き語りでささやかれるのでは恥ずかしくて死んでしまいそうになります。もちろん、妻として嬉しくないわけではないのですが。


 現在、先生の書斎は私が使っています。

 電気スタンドも机の上で、一本足で立っています。



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