第8章 宇宙統一理論より 其の3 成長する宇宙
現在の我々の科学では、
宇宙の根本に存在するとされる力学を
4つの系統に分けて分類している。
以下、その「4つの力」である。
「重力」
これは物質がおたがいに引きつけ合う力である。
「核力」
原子核内に陽子や中性子を引きとめる力。実際には反発しあうはずの
複数の原子核内の因子を、1ヶ所に留めるために必要となる力。
「電気力と電磁気力」
この2つはすでに統合されている。しかし電気や磁力の出現原理は
重力や核力とは異なる要因とされている。
「弱い力」
原子核よりもさらに小さい素粒子やニュートリノといった
物質未満の状態を理解するための力学。
これが現代物理学が理解する、
あらゆる力学を追求した結果残された、
しかしなぜ存在するのかは不明な
「宇宙の根本に存在する4つの力」である。
このそれぞれの力学の原因、因子については
様々な仮説がたてられているが、
現状どれ一つとして
明確にその原理を説明できる力学はない。
重力を発見したのはニュートンだが、
それ以来どのようにして重力が物質に働くのか、
それを理解した人間はいないのである。
我々に電気製品は必需品であるが、
電子や電流が何を意味するのか理解する人間はいないのである。
重力や核力を知らず、
磁力や電子が何か、
何故重力圏においてニュートリノが質量を増すのか、
その全ての謎の本質は
我々の科学にはまだつかめていない。
少なくとも宇宙統一理論を名乗るのであれば、
これら「4つの力学」は全て統合できるものでなくてはならない。
そして標準理論では、
ビックバン初期のインフレーションとよばれる期間、
この4つの力は統合されていたものとして考えられている。
そのことを証明するために
現在はヒモやマクをはじめとする様々な理論研究がすすめられている。
けれどもそれらの探求にもまだ
明確な「解」はあたえられていない。
そしてこれらの努力は、
ビックバン理論を「完全理論」として証明する為だけに
続けられているのである。
そのことが宇宙理論研究にたずさわる科学者たちの
現在のもっぱらの仕事である。
しかし次元理論がふくむこの宇宙統一理論では、
これら「4つの力」は原子の創造過程までも含めて
全てが統合されることを示している。
これは先ほど紹介させていただいたように
宇宙統一理論では
「重力と核力」は最初に空間に開いた穴「空間穴」が
まわりの空間を引きつけるために働く力(空間の復元力)である。
つまり重力と核力は
「空間穴」の「内外」に同時に出現する。
そして電気や磁力として現れる「電子」とは、
その「空間穴」の外がわに集められた
「外側の空間の高密度状態」である。
したがって磁力や電流は「空間の高密度の状態」であり、
すなわち極せまい原子レベルでの空間の流動現象である。
電子は密度の低い空間へと流れ込み、
すぐに消滅する。
よってこれら4つの力は、
それぞれが粒子として存在するものではなく、
その全てが「空間の持つエネルギー(空間の状態)」として
検出されるべきものである。
まずこの「電子空間」は、
空間穴自体の強さと周りの空間の密度によって
存在できる空間が限定的である。
空間密度という我々のまだ認識していない概念。
エーテルを必要とした統合性も今ならば理解はできるものだ。
さらに原子の創造過程を理解すれば、
太陽周辺の空間密度と、地球周辺での空間密度の「差」によって、
ニュートリノはその質量を同様に変化させる事なども容易に想像がつく。
これは太陽からはなれて空間密度が薄くなるにつれ
次第にほどけていくはずのニュートリノが、
地球の重力圏の高い空間密度の為に再び収縮される現象である。
(次元理論でのニュートリノは、
空間穴を失い広がりゆく空間の高密度状態をさす。
これは素粒子も同様である。局地的にみれば、空間穴を失い
原子や素粒子がほどけていく過程が太陽風である。)
したがって次元理論により、
宇宙の根本に存在する「4つの未分割の力」は
すでに誰もが理解できる形で「統合された」のである。
我々が認識していないのは「空間密度」、
つまり「4次元空間」と「5次元空間」の重なりによる
異なる「空間の流れ」である。
このようにして我々は、
電気や磁力を「空間の高密度状態」として
認識することができるだろう。
「より高密度の空間」は「低密度の空間」への欲求を持つ。
原子に付随する「電子」が粒子ではなく「空間」として存在することは、
すでに原子物理学によっても確認されたことではなかったか。
空間であるからこそ「電子」には、
その「大きさ」を特定することは誰にもできないのだ。
さらにこれは「光」と同様に
「空間波」としての「電磁力」の存在も示唆する。
光が空間波である可能性は時間波の件でも述べさせていただいたが、
電気や電波の伝達速度も光速度と等しいことに注目していただきたい。
私はこの空間波にも
「縦波と横波が存在するのではないか」と推測している。
つまり空間波の縦波とは、
太陽風のように新たな空間の出現によってまわりの空間が押しだされ
空間自体が弾力をもつために発生する「空間流」である
(5次元世界の外側へと拡大する流れ)。
これはあるいは質量にむかって逆に流れる「重力波」(空間のゆがみ)
として認識されるものかもしれない
(4次元空間の重力の中心へと向かう流れ、
5次元世界はこの4次元の空間流にのる)。
そして空間波のもつ横波とは、時間波、光、電波などのように、
空間の永久振動としてつたわる「空間流」である。
もちろん「光」は現在「光子」という素粒子として認識されており、
重力によって曲がることなどが知られている。
けれどもこの光子が重力によって影響をうけるのではなく、
そこに存在する空間が重力によって収縮されるために、
そこを通りぬける空間波も「同時に曲がる」とする解釈が成り立つ。
もし仮に、重力によってこの「光子なる素粒子」が
捕らえられてしまうのであれば
「光速度の不変性」はここで破られてしまうだろう。
けれども光は重力の影響をうけても、またうけなくとも、
「同じ空間(時間)距離に対してはつねに等速ですすむ」のだ。
そしてこの「空間と時間」そのものが、重力によって
収縮されてしまう(空間密度の相違)ものなのである。
つまり相対的にみれば、異なる光速度は存在する。
けれどもこの「異なる光速度」も、
同じ「空間密度」の中でみれば常に「等速」なのである。
さらに「時間波」も空間波である以上、
同じ空間波である「光」とは同じ性質をしめすことだろう。
太陽の中心と表層では
時間の流れる速度は異なるはずなのだ。
無論、地球の中心と地表でも
その流れの相違は顕著に現れるはずである。
著者が宇宙物理学における数列を「時空」として認識するのは、
このような所以である。
4次元時空を基準とすれば5次元物質世界の「同じ大きさ」は
極大から極小まで常に変化をつづける構造であるし、
5次元物質世界の「同じ大きさ」を基準にすれば
質量をもつ空間は常に広がりつづける(遠ざかる)ことになり、
我々の宇宙は恐ろしく複雑な「空間の起伏」をもつはずである。
物質が存在する以上、それは重力を生み
空間は流動する。
重力は空間を引き寄せて、
核融合反応は空間を広げる。
宇宙が膨張するなどというこれまでの解釈は間違いで、
外側だけでなく実はその内側にも
我々の宇宙は無限大の拡大を続けているのである。
宇宙は成長する。
だから小宇宙として存在する生命や我々人間も
「成長することができる」のである。
これが大統一理論なのだ。
では「光」が重力の影響をうけず、
ただ空間距離に対してのみ絶対的に運動する空間波であるとして、
なぜブラックホールの中から「光」は
抜けだすことができないのだろうか。
一般的な認識としてブラックホールは、
我々には見ることのできない一切光を発しない天体である。
しかしブラックホール本星では、
創造を絶する原子活動がいとなまれているはずであり、
本来はもっとも激しく強く輝く天体でなければならない。
あるいはこれも空間自体が
光速度でブラックホールにのみこまれていくため、
とする解釈も成りたつことだろう。
だがそれだけでは、ブラックホール自体は
光速度で「近づく天体」ともならなければいけないのだ。
現在、我々の銀河系の中心部には
巨大ブラックホールが存在するとされている。
けれども銀河系が、
1年間に1光年も縮むというような事実は報告されていない。
このようにブラックホールとは、
ただ光速度で空間を引きよせるだけの天体ではない。
ではなぜ光は、
ブラックホールから永久にぬけだすことが出来ないのだろうか。
その結論はいたって簡単である。
それはブラックホール自身の発する「太陽風の累計速度」が
光速度をこえればよい、というただそれだけのことである。
質量をもつかぎり物質は、永久に光速度に到達することはできない。
物質はその移動速度を上げれば上げるほど、
徐々にその質量を増加させて
光速度に近づくにつれて無限大に重くなる。
(つまりビックバン初期の光速度を超える質量の膨張などありえない)
けれども太陽風という「空間の流動現象」においては、
空間は質量をもたない。
そのために空間に加速度が加わりつづければ、
太陽風の累計速度はやがて光速度をも超えていくだろう。
さらに先ほど述べたように、
重力による空間の収縮速度も同時に光速度へと到達するという、
このような状態になれば「巨大な太陽」は、
現在我々がブラックホールと認識する天体になる。
そこには我々から見て相対的に「光速度0(動かない光)」、
すなわち「見えない」という状態が出現する。
そしてブラックホール本星は本来決して小さな天体ではなく、
ただ空間自体がはげしく収縮(膨張)するために、
我々からは小さいと認識されるだけの天体となるのだ。
つまり実際には明るく、
かつ膨大に広がりつづける空間(内側に向けて)をもつ
巨大な恒星系がブラックホールなのである。
全ての恒星が「遠ざかる太陽」であるように、
ブラックホールの本星も我々の宇宙からは
「光速度で遠ざかる太陽」なのである。
このように次元理論であれば、
我々の宇宙に「特異点」という無秩序は存在しない。
太陽などの無数の恒星群では、
核融合反応や原子核の収縮反応によって新たな原子が生まれる。
それは同時に、原子とその時空を
新たな空間(5次元)へと戻す作業である。
そしてこのとき原子から発生した新たな空間は、
「太陽風」として現在もそれぞれの太陽系を広げる。
ブラックホールもこの例にもれることなく、
ただ発生する太陽風の累計速度が光速度に達しただけの、
ひとつの巨大な太陽系の姿にすぎない。
そしてブラックホールのもつ大質量の重力のために、
周辺の空間の収縮速度もやはり光速度へと到達する。
このような状態になればブラックホールは、
「その中心へと空間を広げつづけるだけ」
という恒星系をつくりだせるのだ。
そのために光でさえ抜けだせないブラックホールの周りでも
エネルギーは噴出し、
巨大ブラックホールのまわりでは銀河系が形成されていく。
ブラックホールに向けて質量が流れ込み、
物質が消滅に向かうのではなく、
ブラックホールが質量を育てているのだ。
もちろんそのエネルギー(と物質)を放出するのは、
ブラックホールの入口付近でおきる
「原子核収縮反応(物質の創造)」である。
ブラックホールや太陽も、
質量と空間を生みだしつづけるという点では
「同じ恒星」であり、
その存在にかわりはない。
つまりブラックホールに落ちこんだ物質は、
たとえ重力に引かれ光速度にたどりつけたとしても、
ただ光速度でひろがり続ける無限大の太陽風に出会うだけである。
このようにブラックホールの外がわからは、
ブラックホール本体とは永久に接触することはできない。
これはその空間の外がわから見れば、
その物質がブラックホールの直前で停止しているような状態として
認識されることだろう。
すなわちブラックホールの本星は、
無限大の空間の彼方に存在する。
それは既に別の世界の宇宙である。
したがって5次元世界は常に広がりつづけるものであり、
4次元世界・時空を一枚の平坦なタイルとしてとらえれば、
5次元世界はタイルの上にも下にも、
無限大に存在することができるのだ。
この宇宙はそのはじまりも、
そしてその果ての宇宙にも、
特別な世界などはどこにも存在しない。
さらに宇宙の外側へと目を向けてみると、
我々にはこの宇宙の果てのさらにその向こう側の世界は、
決して見ることはできない(もちろんそこにも別の宇宙が存在する)。
それは宇宙の果ての向こう側の宇宙と我々の宇宙とは、
おたがいが相対的には光速度をこえる速さではなれていくからである。
これがその「それぞれの宇宙」が生みだす、
無数の恒星群あるいは銀河群の「太陽風の累計された速度」である。
質量をもつものは光速度をこえることはできない。
しかし空間にはもともと「質量」の概念はない。
したがってこの空間の流動現象のみが、
ゆいいつの光速度を生みだせる存在である。
ブラックホールがつくりだす空間の収縮速度、あるいはその膨張速度、
宇宙の果てとなる「我々の宇宙」の太陽風の累計速度(あるいは収縮速度)、
そのいずれもが光の速さではたどりつけない別の宇宙である。
したがってそこが「我々」にとっての空間の限界点である。
この「空間限界」が、我々の宇宙の外がわにも、
そしてその内がわにも同様に存在してしまう以上、
我々には「この宇宙」がもともと何処に存在しているのか、
一概に断定することは出来なくなる。
そしてこの「太陽風の累計速度」による空間限界点の拡大、
これが我々の宇宙の「加速膨張の謎」の答えである。
このように我々の宇宙に例外はなく、
ビックバン理論も広がる宇宙という現実に驚いた我々が
ただこじつけた、勘違いに過ぎないということがわかるだろう。
「時空から切りとられた空間が原子であり5次元世界である」
「次元理論」であたえられた宇宙への認識は、
ただそれだけである。
「原子核収縮反応理論(原子の創造理論※注1)」も、
同じ現象を理論的に説明したにすぎない。
けれどもこの認識が、
宇宙のあらゆる現実と全ての存在の謎を明らかにする。
ケースバイケースの仮説をとりはらい、
「空間には密度がある」というただ一つの認識だけで、
我々はこも宇宙の深淵にまでもせまることができるのだ。
どうかこの事実から、目をそむけないで頂きたい。
我々がこれまで理解できなかった現実を、
次元理論であれば明らかに統合していくことができるのである。
この宇宙は人間には理解できないほど複雑な仕組みをもつものではなく、
ただシンプルなひとつの原理のみで理解していくことができるのだ。
我々はこの宇宙の本当の姿に
はやく気づかなければならない。
そこから人間は生まれ、
そこに真実の科学があるのだから。
ではこの「原子核収縮反応理論(原子の創造理論)」が正しければ、
現実の宇宙の姿はどのように変わるのだろうか。
ここからはいくつかの事例を取り上げて
それを個別に検証していきたい。
全ての理論の根底にあるものは
「時空から切りとられた空間が原子であり、
それが我々の5次元世界である」
というただ一つの認識である。
「太陽に代表される恒星群では、
核融合反応によってたえず原子から新しい空間が発生し、
それが太陽風として現在、各星系間の空間を広げつづけている。
結果としてより遠くの天体ほど、
より速い速度で遠ざかるように観測されている」
宇宙の膨張は、
人類がかつて宇宙は1点に収縮されていたと思いこむもとになった、
既出の事実である。
そして宇宙の果ての加速膨張についての謎は、
今もなお解明されていない。
現代の我々がみる120億光年先の宇宙は
120億年前の我々の宇宙とおなじ姿である。
しかしその「果ての宇宙」から我々の宇宙を逆にみれば、
120億年前の姿に見えるのは、今度は我々の宇宙のほうである。
そして光速度に近い速さで遠ざかるように見えるのも、
やはり我々の宇宙のほうなのだ。
そしてその最果ての宇宙には、
実際には我々のみる120億年後の姿、
つまり今の我々の宇宙と同じ姿の宇宙がある。
これはこの宇宙には中心点などなく、
この宇宙は例えどの「点」をとったとしても、
現在の我々の宇宙とは
ほとんど何もかわらないということである。
物体の移動速度は光速度をこえることはできない。
しかし太陽風の「累計速度」だけは、
相対的にはやがて光速度をもこえていく。
いつの日か世界の最果てに位置する宇宙は、
我々の銀河系からは観測することができなくなり、
やがて最果ての向こうがわの世界へと、
その姿を移していくことになるだろう。
このように我々の宇宙は、
全恒星の質量をこえるような暗黒物質やダークエネルギーを
必要とはしない。
ビックバン理論では、最果ての宇宙にも
「現在の姿」が存在することを
明らかに失念している。
そこでは我々の宇宙の「過去の姿」も、
同時に写るはずなのだ。
また「遠ざかる太陽」の実例として、
くじら座の変光星ミラの性質を紹介したい。
ミラはその光度の変化にともない
我々の太陽系から離れていく(遠ざかる)速度も
同時に変化させている。
これはミラ内部の核融合反応の強弱が、
空間の発生量を同時に変化させている証拠である。
ミラは決して地球からだけ
律儀に遠ざかっている訳ではないのだ。
次元理論以外にこの現象を理解出来る理論は存在しない。
「超新星爆発を起こした恒星系では、
いちじるしく質量と空間が増大し、
地球型惑星は木星型惑星に、木星型惑星は小型恒星へと、
その姿を変えていく」
現在は恒星系のほとんどが
「連星」の構造をもつことが知られている。
しかし既存の理論ではなぜここまで星々が連星系として誕生するのか、
その謎にせまることはできない。
しかし次元理論では、太陽の死をさかいに、
地球はやがて木星型惑星に、
木星はやがて他の太陽系へと成長するという未来図を予測する。
超新星爆発のような宇宙規模の大爆発では、
発生する空間波も尋常な量ではなく、
この大規模な空間波からは同時に膨大な量の原子と空間が生まれる。
これによって恒星系全体の質量と空間は
一気に拡大する。
この新しく誕生した原子群を身にまとい、
全ての星々は一様に成長するのだ。
そしてその恒星系は奥行きを増し、
あらゆる方向から遠ざかるのである。
これはもちろん、超新星爆発をおこした恒星本体にも
当てはまる現象である。
小さくなる訳ではない。
遠ざかるのだ。あらゆる方向から。
したがって空間が広がりつづけるからといって、
我々の宇宙は決して虚無へとむかっているわけではない。
事実、太陽系創生における地球シミュレーターの計算では、
木星や土星等の形成には時間、質量ともに不足である
という結果をしめす研究所もあるのだ。
つまりその場所には、
前世代太陽系の地球型惑星がもともと存在したのである。
その星がコアとなり、
新しく誕生した原子、ガス群をまとい巨大化する。
それが恒星系における自然な木星型惑星の誕生である。
このように我々の太陽系の構造は、
この宇宙全体から見ても決して特別なものではない。
やがて我々の太陽は今よりも明るく輝き、
かつては木星であった小型の恒星が太陽のパートナーとして
新しい連星系を誕生させることだろう。
その時代には地球が新たな木星型惑星として、
次世代の太陽系の創造を目指すのかもしれない。
もちろん現在の太陽にも、
その兄弟や親となる恒星系が存在するはずである。
次元理論による結論は、
「質量は成長する、宇宙も成長する」という見解である。
我々の宇宙は閉じているのでもなく、
開いているのでもなく、
常に成長を続けている。
そして最後に、
「原子核収縮反応による最初の宇宙の創造は、
今なお成長をつづけるこの宇宙のいたる所で同時に進行する。
つまり『いつが宇宙の始まりなのか』という問いかけ自体が、
この宇宙においては意味をなさない」
というものである。
これはあらゆる次元世界がもつ
「はじまりも終わりもない永遠の世界」という属性を、
我々の宇宙にあてはめた時の言葉である。
これにより我々は、
あらためてこの宇宙が次元世界であることを
認識することができるだろう。
私は時間波による原子核収縮反応は、
主にボイドとグレートウォールの境目付近で発生し、
重力波による原子核収縮反応は
主に恒星とブラックホール周辺で活発におこなわれている
と推測する。
結果としてグレートウォールから溢れでた大空間流は
宇宙の大規模構造としてのボイドを広げる。
このように我々からは一見平坦にみえる「宇宙の果て」も、
じつは別々の方向に存在する
ことなる宇宙の姿である可能性が高い。
以上の事例はまだ一部分である。
けれども次元理論の「空間と質量は同一の概念である」という
シンプルな原理にもとづいて、
物理学的に未解決な現象が次々と説明づけられたのである。
その現実はもはや否定できるものではない。
次元理論に今後の検証に耐えぬく力があれば、
まさに大統一理論ともよぶにふさわしい宇宙理論が、
ここに誕生したことになるだろう。
宇宙統一理論は
「空間の重なり」が物質(新しい次元世界)であるという
現実世界の確かな構造を提示する。
当然ながら空間には、
「重さ」という概念はない。
そして「重さ」をもたない空間がいくら重なりあったところで、
そこに「重さ」が生まれるわけもない。
けれども宇宙統一理論では「空間の重なり」がうまれた結果、
この宇宙には同時に「失われた空間」(空間穴)が出現する。
この「失われた空間」が自らの空間を呼びもどそうと働くために、
この宇宙には「力学」も同時に出現したのである。
つまり原子、あるいは物質は、
重さをもたない空間の一部分にすぎず、
そこには本来「重さ」という概念はないのだ。
しかしその空間に「重さ」をあたえたのは、
この時出現した「失われた空間」である。
そしてこの「失われた空間」が実在するために、
「物質」は生まれ、「重力」があり、原子は結合し、
あらゆる概念、Cmは生まれ、温度は誕生し、
ジュールは呼びだされ、磁力が出現したのである。
これが宇宙統一理論である。
この「失われた空間」以外に、
全ての概念を統合できる力学は存在しない。
これが「宇宙のあらゆる存在と全ての力が統合される」ということであり、
大統一理論の成立する証明である。
無と同一のものとして、
全てを等価として、
ひとつのものとして、
我々の宇宙は存在する。
その証明を物理学が確定するのだ。
次元理論では
「次元世界(完全無)の起点」となる無と同等の存在を
「実在する無の概念(存在する無・実体・モナド)」として定義する。
そして5次元物質世界における「実在する無の概念」
あるいは「あるのにない」という「次元世界の起点」、
それが「原子」(物質)なのである。
そしてこの原子を生みだした空間が、
もともとは「無」との共有によって生みだされた時空であり、
結局は「無」とも等しい概念世界なのだ。
すなわち「5次元世界」という我々の大宇宙も、
やはり同じ「無の集合体」(次元世界)である。
したがって我々が認識する「ここ」という場所は、
実際にはこの宇宙のどこにも存在しないものかもしれない。
あるいは「今」という時間も、
どこにも存在することが出来ない時間である。
とすれば、我々が確かに存在できる唯一の場所は、
自分自身の記憶、人間の記憶、人類の記憶、地球の記憶、
この記憶という概念世界の中のみかもしれない。
けれども命は、そして我々の自我世界は、
この場所が「確実に存在する世界であること」を理解する。
今を信じて、今を変化させながら、今を願い、
今という存在しない時間を生きつづける‥
それが世界のもつ「多重次元構造」であり、
無が存在するために現れた現実である。
確かに存在するものは「世界」ではない。
無は存在するものではなく、
力学なのだ。
連鎖して拡大するという
ただ一つの力学なのである。
その力学が存在として理解されるだけであり、
無であり、世界であり、「あなた」である。
だがまだ我々人間の存在とこの宇宙の間には、
もうひとつの壁がある。
その空白をうめることができるのは、
「命」という、物質とは異なる未知の概念世界である。
まずはこの宇宙と生命とをつなげ、
そのさきに命と自我世界とをつなげる。
そのことによってやっと、
この宇宙と我々人間はひとつになれるのである。
従って人間の存在(力学)を探求する我々が、
宇宙の次に理解しなければならないことは、
それが生命世界の
「命とは何か、どこに存在するのか」という謎である。
宇宙や地球を生みだした概念が
「無の集合体」であれば、
我々の命や自我世界も
その延長線上に存在する同じものである。
「物質の質量という部分を持たない時空(空間)という次元世界」
があるのならば、次は
「生命の部分を持たない物質としての次元世界」も
同様に存在するのではないだろうか。
我々が命や自我にたいして直感的に感じるはかなさは、
それは命や自我が「無の部分を持つ」概念だからである。
そして命や自我に同様に感じる可能性とたくましさは、
命や自我が「無」と同義の「無限大」の概念を持つからである。
今後の「次元理論」はそのあたりに焦点を向けて、
今度は「命の存在」そのものを科学する。
読者の皆さまはこのような現実世界にふれられて、
驚かれるのだろうか、それとも否定されるのだろうか。
おそらくその胸中は複雑なものだと、著者は推測したい。
実際に私自身が、この「次元理論」の執筆中に幾度となく、
これらの事実に対しては強い衝撃を受けたものである。
そしてそれを理解するのに時間も長く必要とした。
ましてや現代の科学の担い手である物理学者たちが、
自らの研究を手離してまで次元理論を理解しようとするなどと、
それは100年かかっても起こり得ないことかもしれない。
けれどもこの世界の現実を理解した上で、
この宇宙の構造も生命世界の仕組みもまるで同じではないか
と気づかれた読者の方も、
きっといらっしゃるに違いないのだ。
おたがいが「たしかに存在する」のに、
それでも「どこにも存在しない」という同じ世界。
人間と生命とこの宇宙がもつ不思議なつながり。
次元理論は冒頭でも述べたとおり、
この宇宙と我々人間の存在を結びつける「科学」である。
無と同じものとして、
その解答は最初から明かされている。
存在するものの本当の理由を理解することが
この学問の真髄であり、
人間の学びである。
ここまで「無」から「この宇宙の創造」までを
ひとつにつなげてきた次元理論は、
この先には一体どんな宇宙を何を見つけだしていくのか。
次元理論であれば
さらに深い知識へと我々を導くことが可能である。
いつの日か宇宙の真理が見つかるその日までに、
我々は出来る限りの努力と準備をしておかなければならない。
私は人間の可能性を信じる。
そして次元理論を通じてあなたとつながることを
信じている。
次元理論が正しければ、
現実世界はこのように「完全無」から発現した
「次元世界」である。
我々の目の前に「実在する無の概念」、
それを人間は現実世界と認識する。
だとすれば「完全無」、これこそが
この宇宙に存在するただひとつの真実であり、
「この宇宙には何も存在しなかった」
という次元理論の大前提とも、
矛盾するものではなくなる。
現実世界は概念か、
それとも概念から現実世界が生まれたのか。
いずれにせよ「存在する無」これこそが現実である。
次元理論ではあらゆる次元世界は現実世界であるために、
全ての概念宇宙が同時に「実在」する。
このように次元世界と次元世界の狭間に位置するものが
「次元共有の大原理」である。
これは
「あらゆる次元世界は概念を共有することによって共に実在する」
という次元世界の存在する理由であり、
全ての次元世界が無に部分を置く、
同じ「存在する無」であることの証なのだ。
全ては同じ世界の、同じ無である。
無の本質は力学である。
これまでの我々は、
この宇宙をすでに完成したものであり、
我々をただ受け入れてくれるだけの
空間として認識していた。
けれどもそれは間違いである。
無機物である時間や空間、そして物質や星々にさえ、
誕生や成長、増殖、さらには消滅という
まるで生命世界さながらの終わりなきドラマが存在するのだ。
この宇宙は存在するために必死であがき、
今なお成長をつづける次元世界である。
これはこの宇宙の空間と時間のスケールが、
我々人間とくらべるとあまりにも大きすぎたために、
これまでの我々には
理解できなかっただけである。
この宇宙は昔から言われているように、
まるで生きているかのように活動を続ける。
けれどもその事によって次元理論では、
この宇宙が生命体であるなどと結論づけることはない。
科学的見知をもつ次元理論では、
生命世界が誕生する以前の物質世界においても、
物質たちは疑似生命的な構造をつくり出し、
その中にこそ我々の世界が存在するという認識が重要である。
この世界の構造があるからこそ、
この宇宙を模倣として新たな概念世界が開けたのである。
なにより「存在する為に拡大を続ける」という生命世界の特性は
既に物質世界において確立されていたのだ。
このように統合された「宇宙原理」の中にこそ、
次なる次元世界へとつながる
重要なキーワードが隠されている。
(※注1
Views on universe unification theory considering atomic nucleus contraction
viXra:1001.0046 )