第6章 宇宙統一理論より 創造される宇宙
次元理論では最初に
「無が存在する事を理解して頂きたい」とお願いした。
しかし実際のところ
それ以外に信じるべき事など何一つないのだ。
全ては順を追って解読すれば、
誰もが理解できる現実である。
あなたの目の前に現実世界が広がること、
その全ての理由が無に由来する。
そしてこの無というただひとつの世界から
現実が始まるということは、
世界がひとつの力学に統合されている、ということである。
では「宇宙統一理論」の解説に入るまえに、
あらかじめ「次元理論」による
「我々の物質世界における結論」を、
先に述べさせていただく。
我々の宇宙が「第5次元物質世界」であるのならば、
この物質世界の「起点」となる概念も
「実在する無の概念(実体)」でなければならない。
無と等価な実体であるからこそ
この起点となる概念も
無限大の連鎖をくり返すことが出来る。
その実体は「4次元世界・時空」の連鎖から生みだされ、
かつ無限大にひろがる新しい次元世界を
構築するはずである。
「宇宙統一理論」は
この「次元世界の基本原理」の上になりたち、
その上で「現実の宇宙の構造」を
明らかにできるものでなければならない。
もちろんその理解は、
宇宙に存在する「あらゆる力学」を統合する。
はたしてそのような「万能理論」が、
ほんとうに完成したのだろうか。
この章からはやや天文学的傾向がつよくなり、
多少専門的な予備知識も必要となるかもしれない。
私としてはできるかぎりその問題を読者の皆さまと共有し、
皆さま自身で宇宙理論にたいする評価が下せるように
執筆していくつもりである。
天文学は本来、専門家のための学問ではなく、
「我々にこの世界の構造を理解させるための科学」
である。
そこで私は次元理論によって
天文学や宇宙物理学といった高度で難解な科学を、
いま一度「我々」の手へと取りもどしたいと思う。
読者の皆様も次元理論を理解していただくだけで、
この宇宙のなりたちを自分自身で理解する事ができるはずなのだ。
「次元理論」がその可能性をしめすことは重要である。
何故なら「世界原理」では、
この世界を理解するのは「すべての我々」でなければならない。
これはモナドを理解することは、
モナドから理解されることと同じだからである。
(モナドには窓がない・ライプニッツ)
現在の物理学では、
この宇宙には4つの力(4種類に系統される力学)が
存在すると言われている。
これはあらゆる力の正体を見きわめた結果残された
宇宙の原初にあるとされる根本的な力の概念である。
核力・原子核を一つにまとめる力
重力・物質が物質をひきつける力
電磁力・電気や磁力の力
弱い力・主にニュートリノなどの超微粒子における反作用
この4つの力の概念を一つにまとめることの出来る理論があれば、
それが現状もとめられる宇宙統一理論である。
私にはこの4つの力学の統合のみで
宇宙理論が統一されるとは到底思えないのだが、
事実、この宇宙のいたる所で計算違いの現象が観測され、
理論通りの天体の運行の方がまれだと言わざるをえない状況がある。
私はこの4つの力の統合だけでは
宇宙統一理論の完成とはならないことを
先に申し上げておきたい。
このように我々の科学で、
それぞれの力の分類ができたとしても、
人類にはその力が何故存在するのか、
どの様にして存在するにか、
その根本を理解することは出来ない。
大木を知らない人間が、
その葉から、枝から、幹から、根から
元の木の姿を探しても、
種を知る人間には及ばない所以である。
つまり重力の正体を探る以前に我々は、
「物質の正体は何か」を理解しなければならないのだ。
物質は何故存在するのか、
その前提を理解出来ないままに
「物質は存在する」として力学を考えるなど、
それは科学ではなく空想に近い。
我々の宇宙では、
力は物質と一緒にうまれる。
この両者は同じものなのだ。
それが答えである。
そしてそれ以前に存在する時空には、
空間(今)の存在しつづける(時間軸)
位置座標に対するブレ(点は位置を持たない)が、
すでに「揺らぎ(点の連鎖)」として存在している(第5章)。
もちろんこの「空間の揺らぎ」も力学ではあるが、
これは前述の4つの力が宇宙に発現する以前からの
宇宙に存在する力学なのである。
つまり我々が力の発現の
その前に理解しなければならないことは
「物質の誕生」とその原理、仕組みである。
次元理論による「物質の誕生」が正しければ、
その仕組みの中に4つの未分割の力も
必ず統一された同じものとして
現れてくるはずである。
では最初に、次元理論による物質の起源、
「物質は空間から創られる」というその原理を紹介しよう。
彼らは空間から生み出され
その結果消滅することも出来る、
世界(時空)から切り取られた
独立した新しい空間(あるのにない実体)である。
我々の「存在する宇宙」は物質世界であり、
これは次元理論が明らかにした「4次元時空から生まれた」、
新しい別世界の次元概念である。
今の連鎖としての時間軸と「同じもの」である
時空(物質)の連鎖としてのカタチを伴った
「奥行きのある空間世界」。
「同じもの」として存在する現実の「存在する空間」、物質。
まず時空と呼ばれる4次元世界とは、
振動する空間しか存在しない空っぽの、
容積だけの世界である。
ここにはまだ物質という概念(区切られた空間)はなく、
この4次元世界を背景として
我々の宇宙は切り出されていく。
この4次元世界の「空間」には
通常「時間波(前述)」や「重力波(後述))とよばれる
「空間自体のゆらぎ」が存在する。
ここでいう「時間波」とは先述の
「恒久的に存在する空間自体の振動」である。
物質が一切存在しない4次元時空では、
時間の概念を伝える媒体は「空間」以外にはなく、
空間の時間軸(空間の連鎖)にたいする存在位置の「ぶれ」は、
空間に最小限の「ゆらぎ」を創りだしている。
そして空間の波やゆらぎが
「とくに強い」という条件下、
あるいは「波長におとずれる必然的なゆがみ」において、
空間波のぶつかり合いは
「空間の重なりあった部分」と
その周りの「空間に開いた穴」とを同時に出現させている。
そこが注目すべき点である。
この空間の重なりあった部分が「原子核」であり、
存在したはずの空間(原子核として重なった空間)を失うことによって
「核の周りの空間に開いた穴」が「空間穴」とよばれる構造である。
このとき出現した原子核を取り囲む「空間穴」の構造が
我々の宇宙に「あらゆる存在」を発現させる「全ての力の源」である。
空間に開いた穴「空間穴」は、
その空間の穴をふさごうとする「空間の復元力」をもつ。
これはいわば、空間が空間として存在し続けようとする、
つまり「無が無であり続ける為に発現する反作用」である。
そしてその「空間の復元力」によって「空間穴」は、
「原子として重なってしまった本来の自分の空間」
をよびもどそうと働く力を持つ。
この時「空間穴」が「空間を引きつける力」は、
原子の外側の空間やほかの原子(原子も空間である)にもおよび、
ここに「質量は重力をもつ」という概念がうまれる。
けれども実際には「原子が重力をもつ」のではなく、
失われた空間(空間穴)の「空間の復元力」が
「重力」なのである。
つまり「空間の復元力」は本来「重力」として外側に働くものではなく、
「空間穴」から原子核内へとむけられた
「原子として重なってしまった自らの空間を引きもどすための力」である。
そしてこれが我々が「核力」として認識する概念である。
したがって「核力」と「重力」は、
空間の復元力の表裏一体の「同じ力」である。
それは球面形に存在する「空間穴」が、
その内がわのおなじく球形の「原子空間」を、
「あらゆる方向から同時に引きつける力」である。
そのために球形に切り取られた「原子空間」は
結局どの方向へも動くことはできなくなり、
結果として「原子核」と「空間穴」は
同時に存在しつづけている。
このように原子核のまわりには、
今までの我々には認識することのできなかった
「失われた空間」が存在するのだ。
そしてこの「空間穴」こそが、
原子を生みだして核力と重力とをつくり上げた、
「空間を引きつける力学」の正体である。
つまり「重力」は、
物質同士でひき合うための引力ではなく、
空間自体に作用する「あらゆる空間を引きつける力」である。
この独立した「空間を引きつける力」によって
世界には「存在する物質の概念」が生まれる。
現在この重力が
核力にくらべて随分弱い力だと認識されているのは、
重力が原子核周辺の空間自体を収縮させていることに
我々がまだ気付けていない為である。
こうして我々の宇宙「物質世界」には
「原子」と「重力」そして「核力」が、
同時に出現する。
このように4次元時空から
「空間穴」によって切りとられた「空間概念」、
それが「原子」である。
原子には本来、重さや形はない。
それはただの空間なのであり、
そこに存在するのは力学だけなのだ。
その力学が存在を確定する。
我々が物質を認識できるのは
そこにこの空間の力学があるからである。
こうして物質は
存在することも消滅することも可能な
「あるのにない」実体としての概念を持つ。
物質と実体が同じものとなる理解。
我々の認識する存在と非存在が
この宇宙では同じものなのだ。
現在のところ原子の創造から重力の出現、
そして核力までを、
統合的にあつかえる理論は他に存在しないだろう。
そしてこのように原子としてあらわれた「重力」によって、
我々の宇宙には「空間密度」が出現し、
「太陽風」などの「空間の流動現象」も生みだされたのである(後述)。
「重力が空間をまげる」という現実は、
同様にこの「空間密度の相違」がつくりだした現象である。
そして先述の「重力波」という空間波も、
膨大な量の物質が大規模な重力をもつことによって発生する
「空間自体の収縮へとむかう流動現象」として
認識することができる。
つまり「原子」は、
「空間と空間の重なりあった部分」であり、
4次元時空に浮かぶ「一つの独立した5次元世界」である。
あるいは次元理論でこれまで取りあげてきた
5次元世界の「次元世界の起点」「実体」「存在する無の概念」、
それが「物質」なのだ。
したがって「次元共有の大原理」によって、
「今という存在しない時間」の次に創りだされる「実在する無の概念」は、
それが「原子」あるいは「物質」という「存在を確定された時空」である。
そして「原子」が恒星の核融合反応等によって消滅するとき、
原子核内にとじこめられた「空間」は、ふたたび開放される。
けれどもその放出された空間は
すでに「空間穴」によって切りとられた
「時空に重なったままの空間」である。
それはもはや「体積をもつ5次元世界の空間」であり、
純粋な容積しかもたない4次元世界「時空」の空間とは
「ことなる次元世界の概念」である。
したがって我々の宇宙、5次元「物質世界」は、
4次元世界「時空」の概念世界の中に浮かぶ。
時空は「形」の部分を持たない空間であり、
物質世界は「形」である。
物質世界の空間は
たとえ「形」から空間に戻っても
「大きさ(体積と容積)の概念」を持つ。
この「大きさの概念を持つこと」が
物質世界に「存在する」という部品を与えるのだ。
このように「時空」に包まれた形状で存在する
「体積と容積とをあわせもつ新たな空間概念」、
それが第5次元「物質世界」である。
(この空間概念が、かつての物理学ではエーテルと呼ばれていた)
これが4次元時空と5次元世界が重なって同時に存在する
我々の宇宙の多重次元構造である。
今はじめて、我々の宇宙の構造が明かされていく。
こうして4次元時空から切りだされ
「空間穴」からも開放された「5次元世界の空間」は、
今度は我々の宇宙の「広がり」そのものをささえている。
その「広がり」を我々は「太陽風」として認識しているのだ。
したがって我々の「5次元世界」には、
「完全なる真空」や「絶対0度の空間」はどこにも存在しない。
(これは空間密度が0、
すなわち4次元時空の持つ空間概念である)
我々の5次元時空の空間には、
少なからず物質と同じ概念、
「存在する」という固有の範囲がある。
これは「大きさ」として表すことができる
形や距離の概念である。
このように4次元時空では「点×線×面×空間」が
その構成要素であることにたいし、
「時空×物質(大きさ)」で構築される新たな次元世界の発現、
これが我々の宇宙「5次元物質世界」である。
「点×線×面×空間×積(容積・体積)」
そして物理学者のなかには、
すでに「5次元世界」の実在を主張する人々もいる。
(彼らもまだ現実世界を4次元世界として認識するが、
4次元世界が実在するためには5次元世界が必要だとする、
より正しい理解は提示する。
世界の多重次元構造を理解できない限り、
先立つ概念の特定は難問である。)
今、次元理論によって明かされた
「空間波が空間から原子を創る」という現実の物理学。
それによってわかる事とは、
ブラックホールの対の存在として期待される
ホワイトホール(存在するといわれるが未確認)は、
じつは太陽などの無数の恒星群であるということである。
これまでの物理学では、
我々の宇宙は「4次元世界」であるとされ、
質量やエネルギーは増加しないということがその原則とされてきた。
だがしかし、次元理論の「次元共有の大原理」の見知からすれば、
その前提は異なる。
「5次元物質世界」も次元世界である以上、
無限大のひろさと時間をあわせ持つこと、
さらに無限大へと広がる世界であることは必然である。
そして原子が「存在する無」である以上、
その次元世界の起点が無限大の連鎖として
質量と無限大の空間の「物質世界」を
生み出しつづけることは当然の理である。
我々の宇宙では「質量と空間は増大する」。
無がベクトルであり
無限大の連鎖としてその概念を重ね続ける以上、
等価として存在する我々の宇宙が
拡大を続けるのは当然である。
もちろん「質量保存の法則」や「エネルギー保存法則」などの
すでに知られた原理も、
限定的にはまちがいのない事実である。
著者はそのことまでもを否定するわけではない。
けれどもそれらの原理や法則は、
物質世界である5次元世界における限定的な瞬間
(存在しない今)における原理や法則であって、
この宇宙そのものである
「次元共有の大原理」にたいしても適応するものではない。
無が拡大するベクトルである以上、
宇宙のベクトルも拡大を続ける。
「次元共有の大原理」は逆に、
「5次元世界における全ての原理や法則を生みだす大原理」であり、
けっして5次元世界の限定的な法則(人間が作成した)から
創りだされたものではない。
そもそも質量保存の法則を第一に「信じる」のであれば、
ビックバン理論など最初から信じてはいけないことだろう。
次元理論では最初に
「無が存在する事を理解して頂きたい」とお願いした。
それ以外に宇宙には理解するべき事など何一つないのだ。
全ては順を追って探求すれば、
誰もが理解できる現実である。
そして無という
ただひとつの現実から世界が始まるということは、
世界はひとつの力学に統合されるということである。
現在も物質と空間は
この宇宙のいたるところ拡大を続けている。
だからこそ次元理論(無は無限大に広がる完全無であるという理論)は
「宇宙統一理論」ともなりうるのである。
現代科学では物質の誕生をとりあつかう場合、
「0」から「プラス」を取りだすための「マイナス」の概念、
つまり反物質の存在を必要とする。
その上で次元理論は
「マイナス」という概念は存在しないという結論を出した。
(現在、反物質とされる物質は、たとえ対消滅を起こさなくても
外部からのエネルギー供給をやめた途端、
勝手に消滅していまう人工物である)
なぜなら次元理論では、
次元世界をひろげるための創造は
「0の探究」という方法をとるからである。
たしかに次元世界の概念も「数列」として理解すれば
わかりやくなるのは事実だろう。
私もここまでに1次元世界は数列世界であると明記してきた。
それはこの方が「とらえやすい」からであり、
つまりわかりやすくするための「工夫」である。
1次元世界を数列世界ととらえることによって、
以降のあらゆる次元世界でも数列は活用できるものとなり
「数列世界である方」が人間にとっては都合がよかったのだ。
これが「数学や物理学の原点」である。
けれどもこの場合の「数列」や「点」、
それに「線」という概念は、
人間が発明した道具にすぎず、
この宇宙に数列世界が存在するわけではない。
実在する1次元世界にも「0となる起点」は存在するが、
これは「数列における0」ではなく
正しくは「点」それ自体であり、全ての点が0なのだ。
「0という点」あるいは「点という0」
これこそが1次元世界の、
あるいはこの宇宙のすべての起源である。
したがって「0という点」に近づくためにこそ
この世界は無限大に拡大する。
そして「0という点」が構成する世界であるからこそ
1次元宇宙は無限大の長さをもち、
空間世界、時間世界、物質世界と、
あらゆる次元世界は無限大へと向かうのである。
そしてこの「0という点」を確定させる唯一の存在が
「存在する無」というあらゆる存在にとっての「0」である。
現実世界に「1という点」を我々が勝手においたとしても
「マイナス1」という値は、
我々が理解する上での概念として出現するだけである。
「マイナス1個のリンゴ」のように
「マイナス」の世界は存在せず、
概念世界としても実在するものではない。
したがって知識を探究する我々にとってより重要なことは、
数列や時間、そして空間、さらには物質世界、
これらの存在にたいする理解を
まずは正しくもつことである。
つまり我々は
数字や数式によって理解することも大切であるが、
数字や数式を理解することも
それ以上に必要だったのである。
線や点、あらゆる単位、それらは単に先の偉人たちが見つけだした
便利な「しるし」にすぎず、
それが知識のはじまりとなる訳ではない。
その後「数式」によってたとえ大発見がなされたとしても、
それは「しるし」を前提にした場合の解にすぎず、
虚数世界やマイナス世界が現実に存在するわけではない。
けれども現実に「完全無」が実在すれば、
「無限大に広がる世界」はつくりだすことができるのだ。
そして我々の宇宙「5次元世界」の場合には、
宇宙物理学があつかえる正しい数列は
「4次元時空」のことである。
この「時空」という数列は、
「5次元宇宙」のどこに起点をおくかによって
「どこまでも無限大に広がるもの」であるし、
「かぎりなく0へとつづくもの」でもある。
逆に「4次元時空」を5次元世界の起点としてとらえれば、
我々の「5次元宇宙」の方こそが
じつは無限大に歪曲した世界となり、
それはそのどちらにしても相対的に考えることしか
できない問題なのである。
無限大にひろがる「時空」が実在すれば
「物質世界」もまた無限大に存在する。
その結果我々の「5次元宇宙」は物質であふれ、
この宇宙は「5次元世界の空間」で満たされたのである。
これは膨張か定常か、の問題ではない。
我々の宇宙は永久の成長過程にある。
以上のように、我々の「宇宙は拡大する」。
このように次元理論が明かす我々の宇宙「5次元世界の空間」は、
「重力によって異なる空間密度が存在し、弾力をもつ容積そのもの」
である。
そして「異なる密度の空間」が存在するということは、
「異なる時間の流れる世界」も存在するということである。
この「時間軸」の流れは、
同じ「空間密度」にたいしては常に等速である。
たとえば地球上であっても、
地表と上空では時間のすすみかたは異なるはずであるし、
太陽系や銀河系でも時間の流れる速さは空間密度の「差」によって、
常に異なるものとして観測されるはずなのだ。
つまり観測点からみて相対的に空間密度が「密」であれば、
時間波はより収縮されたものとなり、
時間(波)の流れる速度もおそく感じられるはずである。
これは常により地表近くであり、
あるいは太陽方向であり、
銀河系の中心近くである。
逆に上空方向、太陽系の外がわ、
銀河系の外側周辺での空間密度は希薄となり、
相対的な時間の速度もまた速まるはずである。
(ボイジャーの加速など)
したがって我々の目には映らない「空間密度」も、
空間波(光の速度や時間、電波など)の「不変の速度」の「変化」よって、
その姿をとらえることは可能である。
このように
「この宇宙はなぜ存在するのか」
という究極の問いかけに対しても、
「空間からの原子の創造」という答えが今、
次元理論によって用意されたのである。
したがって次元世界では、
全ての存在が「無」が実在するために、
その「無」と共有することによって発現し、
我々のこの現実世界までをつくり上げてきたのである。
これが人類にとってのはじめての「宇宙統一理論」である。
こうして現在、我々の宇宙は存在する。
4次元世界「時空」があるかぎり
「物質世界」もまた永遠の創造過程にあり、
「物質世界」を伴わない「時間世界」もまた
実在することはできない。
(だからこそ時間と空間は、物質とも等価なのである。
このように宇宙統一理論が存在する証明が「等価原理」である。
速度は時間と空間の概念である。E=mc2)
この「次元共有の大原理」という
次元世界の必要十分条件の中にこそ、
我々の宇宙は存在する。
これも「あらゆる存在は完全無と共有する」という
「世界原理」なのだ。
我々が目にする「現実世界」は
「実在する無の概念」である。
たしかに存在するはずの「物質」も、
その本質は無限大につづく「時間と空間」である。
そして全ての時間と空間も
はじめから「実在する完全無」の概念に回帰する。
人間が認識できる範囲の「実在する無の概念」、
それを我々は「現実」と呼んでいる。
これが次元理論の解き明かした
「現実世界」の構図である。
「質量と空間の増大する宇宙」が解答とは、
宇宙統一理論がこれまでの誰にも理解されなかった
まさにその理由である。
おそらく読者の皆さまにも、まだ説明が足りていないことだろう。
そこで次章からももう少し、
この宇宙統一理論の探求をつづけたいと思う。
この世界の現実は、全てが「存在する無」から
理解をかさねてきたその結果である。
宇宙統一理論によってここから描き出される宇宙の姿は、
これまでの科学が残してきた疑問を全て紐解いていく。
皆様にもぜひ一緒に
その事実を確認して頂きたい。
それは次元理論の証明であり、
この世界に大統一理論が存在する証である。
次章は「遠ざかる太陽」である。
これは地球も太陽も太陽系の中心へと向けて
常に移動し続けているという話である。
これは地球の軌道が真円ではなく、
楕円形をえがくその本当の理由だ。
そして重力や太陽風の本当の姿を描く。
それは太陽系や銀河系の
存在する理由である。