記憶
祥子たちとの飲み会から一週間ほどして,学食で日替わり定食を食べていたら,安藤と偶然一緒になった。
「ようハル。元気か?」
「ああ。」
安藤はカツカレーの乗った盆を持って,ハルの向かいの席に座った。
「飲み会のあと,あの美女はおまえに追いついたのか?」
「美女?・・ああ祥子か。会ったよ。」
そう言えば,祥子はあの時,他のメンバーに昔の恋人だとか言ってオレを追いかけたんだっけな。
「でも・・・美女かなぁ。」
化粧していた時よりも,すっぴんの顔のほうが記憶に残ってるが,確かに化粧すると雰囲気は変ってたな。大人な感じに。
中身なんかは高校のころから全然変わらないと思うが。
「あの飲み会のあと,おまえちょっとした話題になってたぞ?」
「何が?」
「彼女らハルのこと,アンニュイ?な雰囲気をまとった,口数が少ない,穏やかな笑顔うかべた,謎の彼だってさ。」
「え・・。場の雰囲気を壊しちゃ悪いと思って,控え目にしてたんだがそれがその謎な雰囲気になったのか?」
「そう見えたらしい。」
「目がどうかしてるよ。」
「オレ的に№1と思った美女もおまえ追いかけて走って行ったし。」
「あれは,久しぶりに会った高校の同級生だし,うまく化粧して化けたからなぁ。美女と言えるかどうか・・祥子は陸上部だったから足が速いんだ。でも,追い払ったよ。」
そう,実際追い払った。追い払ったのに結局ついてきたけどな・・・。
「えええ?・・なんてこと言うんだ。昔の恋人だろう?」
真に受けるやつもいるんだなぁ・・。安藤,おまえはいい奴だよ。
「あれは,祥子の口から出まかせだよ。ああいう事を言うんだ昔から。あれだ,オレのツレのシュンっているだろ?あれも同じ陸上部だったから,聞きゃわかるよ。」
「ほんとかよ・・。」
「ちょっとは話もしたよ。なんて言ってたかな・・友達には情熱的な一夜を過ごしたって言うんだってさ。でも言っとくけど,おまえが期待してるようなことなんて何もなかったからな。」
「ハル,おまえ・・・。」
「・・何も隠してないよ?まだ気になる?」
「い,いや・・。」
「オレなんて,うらやまなくていいんだよ。でも祥子とは,また会うかもしんない。連絡するって言ってたし。」
「そうか・・。うまくいくといいな。」
「そんな話じゃないって。」
祥子に,安藤を紹介してやろうか・・と思いついたが,相性はどうかと考えているうちに面倒になった。
この安藤もそうだが。シュンや,バレーボールのサークルの連中も,1年からの付き合いの友人たちは,あまり恋愛に関する話をオレに振っては来ない。
オレが昔の彼女のことを引きずっていると思っているんだな。
自分自身は,そういう話題も恋愛そのものも,避けているつもりではなかったのに,回りの連中が勝手に気を遣っている。
気を遣うのは勝手だが,オレがいることで冗談を冗談にできなくなると会話も楽しくなかろう。こっちはこっちで気を遣ってサークルで遊びに行くのは遠慮することは多かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大学に入ったばかりの頃,いや1~2カ月ぐらい経った頃か。
高校時代からの部活仲間でもあるシュンから,バレーボールのサークルに入ろうと誘われたんだ。
「ハル!なあ,おまえヒマだろ?こっちのサークルもつきあえよ。」
「なんだよ?何のサークル?」
「バレー。」
「体育の授業でしかやったことないぞ。」
「いいんだ,素人ばっかだから。抜群にうまいより下手なぐらいで,ハルは運動神経いいし器用だから丁度いいよ。」
「どういう意味だよそれは・・。」
「ハルって人間関係うまくやるだろ?ムードメーカーっぽいのににぎやか過ぎない。いい雰囲気だからさ,ぴったりだと思うんだよオレは。」
「えー・・・何をおだててんだよ。」
「まあ,つきあってくれって。週一回あるかないかぐらいだからいいだろ?運動したいって言ってたじゃないか。」
「言ったけどさ・・・。まぁいいか,活動ある時教えろよ,都合よかったら行くから。」
「やった。頼んだよ。来いよ。」
「わかったわかった。」
無責任な誘いをしてくるのはシュンのいつものことだ。
今でも真剣に部活をやっている昔の仲間には申し訳ないが,自分の今までの結果や才能を顧みると,今までやって来た陸上を続けるのはこれからの学生生活における負担が大きすぎるように思えて,ためらっていた。
やって甲斐があるかないか,損得勘定だけではないのは分かっている。
高校時代には楽しんでやれたが,もう「走って競うことに満足した。」というのが答えかもしれなかった。
田舎の実家から学校まで通えば2時間余りかかる。一人暮らしを始めたばかりで,仕送りはもらっていたが,生活の余裕が欲しくてバイトをしていた。
週に2回の家庭教師,それから未成年だから飲めもしないのに居酒屋の店員。これが意外と面白かった。学校とバイトと自炊で生活は忙しかったから,サークルの活動が熱心でないのがありがたかったし,体を動かすのは好きだったからリフレッシュにもなった。
シノブとはそのサークルで知りあった。知り合ったと言っても関係は一方的で,シノブにとってバレーをしたことのない一年のハル達などは取るに足らない存在だっただろうと思う。記憶にも残っていなかったかもしれない。
シノブは中学から高校までバレーボールをしていたようで,男女混合の和気あいあいとしたサークルの中で,空気を読まずにセンターから手厳しいスパイクを打って来る,おもしろい存在ではあった。
夏休みに,そのサークルのメンバーで合宿旅行に行くことになった。
合宿と言っても,気楽なサークルのことで,バレーボールもするにはするのだが,こんなサークルに入るようなバレーの経験者は,試合で勝つことを目指すのに疲れている感じだったし,それプラス素人の集まりだったから,半分はお遊びのようなものだ。
面白おかしくバレーのゲームをし,ミスをしたとき笑いが取れるように罰ゲームを決めてあって,それに当たったものが罰としてミッションが与えられることになり,『シノブのバイクの後ろに乗る』という罰ゲームにあたったのがハルだった。
シノブ本人は遅れて参加してきたから,自分がそんな罰ゲームにされているとは知らなかったと思う。とにかく,その運転が罰ゲームにふさわしい程ひどく荒っぽくて恐ろしい目にあった。
そんなことがあってシノブに顔を覚えられてから,話しかけられることが増えた。
「ハルは,女の子と仲良くなりたくてサークルに入ったのかと思ってたけど,結構まじめにバレーボールやってるんだね。最近ちょっとうまくなったんじゃない?」
「オレ,体を動かすことに関してはストイックですよ。自主トレまではしないけど,サークルの活動してる時間ぐらいは大まじめにバレーしてますから。」
学年が上だからその頃は一応敬語を使ってた。そしてその言葉に嘘はない。
どうせやるんなら,活躍したいじゃないか。試合にも勝ちたいと思うし,スパイクも打ちたい。本職の男子が打つスパイクは無理でも,お遊びで打ってくるぐらいのボールならレシーブしてみたいと思う。ましてや女子のスパイクぐらい。
でも,本当にストイックなのは,シノブのほうだったと思う。
自分には身長も実力も才能もないと言いながら,バレーボールが大好きだった。
背が低いせいで,部活をしていた時には打たせてもらえなかったから,ポジションはセンターを望んだ。
レフトやライトではいくらジャンプしてもシノブのスパイクはネットを越えられなかったからだ。
転がりながらボールを拾って,コートを走り回って,たまにセンターに上がるトスを嬉しそうに打ちこんだ。いつも笑顔で,大声をだしていた。
コートの外でも,行動的で,姉御肌で,面倒見が良くて,先輩たちからは可愛がられ,後輩たちからも慕われていた。・・と思う。
・・もう記憶の中にしか存在しないから,少々美化されているのかもしれない。
その頃のシノブは4年の先輩と付き合っていたはずなのだが,就活やら卒論やらで会っていないという話しをしていた。
ヒマなシノブは,ハルがバイトしている居酒屋に飲みに来たり,サークルの帰りに食事にさそわれたり,いくらニブいオレにでもわかるぐらいに,気に入られていた。
シノブはハルの部屋にも押し掛けて来たりするようになって,だんだん親しくなった。
つきあっていた先輩とも別れたと言った。
季節が冬になった頃に,ハルとつきあうようになった。
男勝りだと思っていたのに,意外と怖がりだったり,背の低い事がコンプレックスだったり,くだらないニキビひとつを気にしていたり,年上だというだけで人前では偉そうなくせに,突然甘えたがったり寂しがったり。
好意という感情がこちらにまっすぐ向いていることや,求められるということ。
頬や耳に触れると柔らかかった。そういう経験の一つ一つが新鮮だった。
・・ハルは,シノブといる事で,女の子を好きになることを,覚えた。
そして4月。
ハルが大学2年になった時,シノブはバイクの事故で死んだ。
そこからしばらく,ハルの時間は停止した。