腕枕
「風邪も腰痛も大丈夫です。ほっといてくれ。」
「そう言わずに。何もしないから。」
「それは,スケベなおっさんのセリフだ。」
祥子が近づいてきて,床に寝転がろうとしているハルの手を取った。
「?・・・ちょっと・・祥子・・。」
「何もしないって。寝よう寝よう一緒に。」
祥子に引っ張られて押されて追い立てられて,無理やりベッドに連れてこられた。
「・・・なんなんだよ,ほんとに。」
「ふふふん。」
祥子が先にベッドに入り,突っ立っているオレのスエットパンツを引っ張って,それがずるっと下がってトランクスが見えた。
「やめろ。スケベ。」
本当にその気はなかった。
なのに,ハルは引きずられて,何か疑問を感じながらもベッドに入った。
とりあえず祥子に背中を向けて寝転がった。
「・・・。」
自分のベッドなのに,どうも馴染まない。
狭いベッドだ。
動けない。
気を遣う。
背中に何かが当たる。
寝苦しい。
とにかく落ち着かない。
寝られるわけがないじゃないか!!
「むぅう・・。オレ,やっぱり向こうで・・・」
すぐにハルはベッドから降りようとした。
「待って。」
と,祥子がTシャツをつかんでいた。
「おっと・・・?」
ハルは中途半端に起き上がりかけていたが,祥子に引っ張られて少しバランスを崩し,祥子に背中を向けたまま体を肘で支え,もう一度横になった。
「ここにいてってば。」
祥子が背中からやわらかく抱きついてきた。
おいおい・・考えていることがわからないぞ。コイツ,こんな奴だったか?
何かあったのだろうか?
・・誰かにすがりたくなるような?
・・何かで傷ついたりしたのかな?
そう言えば今日,祥子のことを何も聞いていない。
どうしてここに来たのか,何を思っているのかも。
ちゃんと聞いてやってなかったと気づいた。
「何もしないって言ったんじゃないのかよ。」
ぶっきらぼうな事ばかり言っていたから,急に優しい口調に変えられない。
話しを聞いてやりたいとは思ったが,まだ背中を向けたままだ。
「何もしないって言うのは,ウソ。」
後ろから回された祥子の手が肩から首へと移動する。
ぞわり。・・手の動かし方がエロいよ。
「お願い。こっち向いて。」
そう言われて突き放せないぐらいには,祥子のことが気になっていた。
何があったのか,どんな顔をしているのか・・。
ゆっくりと向きを変えた。すぐそこに祥子の顔がある。
自分を見つめるその顔が何故か泣きそうになっているように見えた。
「何か,あったのか?」
祥子はハルの首に手を回した。
「とくになにも。」
そう言いながら,キスをしてきた。
自分にできることがあるなら助けになりたいという気持ちはあった。
でも,何も言わないなら応えることもできない。
重なった唇はあたたかかった。
「何か,・・あったのか?」
ハルはもう一度同じ言葉をくりかえした。
「なにも。」
祥子は自分から視線をはずし目を伏せた。
「ハル。」
「ん?」
「今,私とキスして,どう思った?」
「・・どうって?」
「ドキドキした?」
「いや,ドキドキ・・と言うより,何があった?って思った。」
「だろうね。」
「どういうことだよ。」
「感じないでしょ・・。」
「なんだそれ。」
「私も同じだよ。きっとハルとどんなことをしても,私,感じないと思うんだよね。」
「・・それ,ものすごく失礼な事言ってないか?」
「私の胸,さわってみる?」
「・・勘弁してくれ。」
「ほらね。ハルのほうが失礼だよ。」
「そうかな。」
「でもね。感じないかわりに嫌悪感もないんだ。ハルを抱きしめるのはなかなか心地いいもの。これ言ってしまうと本当にダメかもしれないけど,仮にハルにさわられたとしても,自分でさわっているのと同じって気がする。」
「・・・そそられないわけじゃないんだけどな。」
「ふっ・・まぁ,そういう事だから,気にせず一緒に寝ればいいんだよ。胸さわってもいいし,ハルがエッチしたいと思うなら私はOKだよ?」
「そういう事だからって言われても,まったく意味が分からんな。」
至近距離で,受け入れることも突き放すこともできずに固まっているハルに,祥子は小さなため息をひとつついてから,
「もう構えなくてもいいわよ。本当に何もしないから。普通に寝たら?」と言った。
「祥子は,おっさんだな・・。」
祥子が上を向いたので少し体勢が楽になり,ハルも体の力を抜いた。
そんなハルの腕を,今度は祥子は自分の頭を乗せて枕にした。
「ハルだったら,大丈夫だと思うんだよね。」
「なにが?」
「私が何を言っても,こうやって腕枕させてもらっても,何をしても,きっと拒絶はしない・・。私の事嫌いにならないでしょ。」
「嫌いかどうかはともかく,とりあえずいろいろ断ったつもりなんだけど?」
「ふふっ,・・・あのね。本来の私は人間の発するすべての負のオーラを怖れているんだけれど,唯一怖くないのがハルなの。親と一緒にいるより居心地いいぐらい。ハルが私に憎まれ口や意地悪なこと言っても全然平気だし,ハルに願い事を断られてがっかりしたとしても私が傷つくことはない。この違いわかる?私って,自分が発言したことやお願いしたりしたときに,誰かが拒否すると,人格まで否定されたように思っちゃうのよね。だけどハルだと傷つかない。ハルのどんな言葉も行動も私にとっては棘にはならない。・・それは本能レベルでわかってることなんだ。」
「・・・。」
祥子が小難しいことを話し始めたと思い,ハルは聞き手に回った。
「人間って薄情でしょう?自分に益しないものはどんどん排除しちゃう。まぁ一人では生きていけないわけだから他人とは接していくのは仕方ないんだけどさ,まずは警戒でしょ。それから評価。そして損得。支配。コントロールしたり。愛なんて,無償の好意なんて,どこにあるのかしらっていう世界だよ。陸上部だったとか,クラスメイトだったとか,そういう接点から信頼関係なんて築けるのは,ほんのわずかな可能性なのよ。」
「そうかな。」
「ハルはさ。ずっと変らずに私とおしゃべりしてくれるでしょう?たとえば,遠く離れたり違う学校に行ったりしたら私の事忘れる?現に高校卒業してもう4年目だけど忘れてないでしょ?」
「忘れないだろ,普通。」
「記憶に残っていても,友達でなくなってしまうことはあるじゃない。卒業してしばらくしたら,顔は覚えているのに電車で乗り合わせたってニコリともしないとかさ。そのうち自分に関係ないものからどんどん忘れていく。忘れなかったとしても形は変るんだよ。」
「・・・。」
「離れていても会わなくても,ハルだけはきっと変らず同じ存在でいてくれる。私,昔からそう思ってたの。」
「他にも,ずっとつきあっていけるやつぐらい,いるじゃないか。」
「いるよ。いるけど,ハルとは違う。人とつきあっていくには,防御も張るし気を遣って,常に距離を測ってないとダメなの。表面は和気あいあいに見えても,みんな大人になって・・それは大人の付き合いをしているだけなのよ。ハルには,そういう心配はいらないでしょう?」
「確かに・・オレは成長しないけどな・・。」
「ふふっ。・・意味が違うよ。」
「祥子は・・昔から小難しい事を言うやつだったな。」
「ハルが単純すぎるんだよ。」
と,祥子は静かに笑った。