祥子
まだ1次会も宴たけなわだと言うのに,祥子は隣にひょいと座ったなと思ったらヒソヒソと話しかけてきた。
「ハル,ここ終わったらヒマ?泊まりに行ってもいい?」
「・・・。」
ハルは眉を寄せて,まず疑いのまなざしで祥子の顔を眺めた。
コイツは昔から普通は遠慮して言えないような事を口にして,人をギョッとさせてはおもしろがるやつだった。
ほら・・オレにはわかっているんだぞ。これは人を試すような魂胆を含んだ笑顔だ。
そんな冗談につきあうほどの度量は,悪いがオレにはない。
「ついてきたけりゃ,勝手についてきたら?アパートすぐそこだし。」
「ほぉう。私に尻尾振ってついてこいって?」
「・・・。」
「ハルってば,いつからそんな高飛車なこと言うようになったのよ。」
「高飛車なのはおまえだろ?」
祥子はさっきと同じように鼻の上にしわを寄せていたずらっぽく笑ってから,また席を移動していった
祥子のあの全身高飛車な態度は,高校のころからの延長だ。
クラスも部活も同じだったから共有した時間は長いが、あれから3年半の年月を重ねてますます可愛げがないな。
コイツだけは恋愛対象になりうる相手だとはどうしても思えなかった。
嫌いというわけではない,近すぎるのだ。
近いからといって妹や姉のようなものでもない。
男女間の友情なんて存在しないという話しもあるが,幼馴染か腐れ縁・・としか言いようがなかった。
それぞれに下心なり期待なり,表には出さない目論見があるのかないのか,2次会へと進む話が出た。
これ以上つきあう気力もなく潮時の気分だったから,それに素直に従って,
「悪いね,オレ明日早いから・・」と失敬することにした。
本当のことを言えば,翌日はバイトも学校もなかったのだが。
みなに見送られて,笑顔を作り,明るく元気よく手を振ってからくるりと背を向けた。
ふぅ・・笑顔を作るのはエネルギーを消費する。
秋になりはじめの生暖かい都会の夜。まだ人の多い歩道をハルはスタスタと歩いた。
普段は自転車でうろついているのだが,それほど距離もないし,飲んでふらつくのもいけないと思い今日は徒歩だ。
喉が渇いたな。自販機の前でいったん立ち止まってラインナップを眺めてみたが,コレと思う物がなかった。・・コンビニにでもよるか。いや冷蔵庫に麦茶か何かを買いおきしてあったように思う。
さっきから足音が追いかけてきているのに気がついていたが,わざと振り向かずに足音が追いつくのを待った。
飲み会の間,祥子はあの変なヒソヒソ話し以外はあまりこちらに近づいて来なかった。
・・・アイツ。「泊まってもいい?」だなんて。どういうつもりだ?
祥子はいつもあんな感じだったから,からかっただけとも思えるが,本気で泊まりに行きたいと言ったんなら・・やはりその魂胆がわからない。少し首をかしげた。
そのとき肩をポンと叩かれた。
「薄情ものめ。ついてこいって言ったくせに。」
ほら・・やはり。祥子だ。
「言ってないし。」
祥子が並んだので,一度とまっていた足が再び動き出した。
「久しぶりに会ったのに,もうちょっと愛想よくしなさいよ。」
「おまえに愛想よくしたって・・・」
「おまえって言うのやめて。」
「・・・。」
「しょうこ って呼びましょうよ。呼び捨ては許す。」
「・・・。」
しばらく沈黙のまま、ゆっくり歩く。
祥子としゃべるための話題なんて,探す必要もないな・・と思った。
家はもうすぐだ。ついてしまう。
祥子に話しかけられた時は売り言葉に買い言葉で適当な事を言ったが,本当は初めから祥子を自分の部屋に入れる気はなかった。ましてや,泊まる?
家が近づくにつれて歩調がますます遅くなる。
さて,どうやって追い払おうかな。
「ハルの家ってどこよ。」
こちらの空気を読む気もないようで,祥子は機嫌よくついてくる。
「祥子,もう帰れよ。」
「何よ。ついてこいって言っといて。」
「・・・だから言ってないし。」
祥子が不敵な笑いを浮かべた。何を考えてんだろコイツ。
「ハル,彼女いるの?」
「いない。」
「好きな子は?片想い?」
「そんなもの,いないって。」
「まじなの?あなた正常?21歳健康な肉体を持つ男子としてそれって大丈夫?」
「余計なお世話だ。帰れって。」
そんなことを言ってるうちに,アパートの前まで来てしまった。
「ここ?」
「チッ・・。」
「わかった,散らかってるからかっこ悪いんでしょう。」
「ちっがうわ。おまえ・・・」
「おまえって言うなってば。」
祥子はハルの頬をつねった。ハルはその手を軽く払ってぼやいた。
「・・痛いなぁ。」
「おまえ、おまえって言うからよ。さっ行こう。」
祥子はハルの袖口をつかんで,アパートの方へとひっぱって行った。
「ああもう・・・。」
祥子は,アパートの階段の前を行き過ぎた。が,ハルは祥子の手を振りほどき,階段をのしのしと上がっていった。2階の一つ目の端の部屋。表札に名前は書いていない。
カードキーを差し込んで,ドアを開けた。
祥子も何食わぬ顔でついてきた。
玄関に入ってすぐは通路になっていて,その片側は,洗面所とトイレとユニットバス。反対側は小さなキッチンになっている。その奥が生活空間。
ワンルームの少し細長い小さな部屋だ。冷蔵庫,電子レンジ,洗濯機とエアコン。これらの家電は元から備え付けだった。左の壁際にベッド。その反対側に机と本棚,カウンターがわりの食器棚それと高さを揃えた引き出しの収納。
クローゼットがあって,その前の梯子を上ればロフトになっていて,そこをベッドとして寝ることもできたが,結局収納にしてしまっていた。そのおかげで部屋にはあまり物を出さずに済んだ。
真ん中には小さいテーブル。ベランダつき。
祥子は靴を脱いで部屋の入り口から辺りを観察して言った。
「へえ,結構ちゃんとしてるじゃない。」
「フン。」
ハルは,今日祥子を前にして何度目かの鼻を鳴らした。
そして,財布やら鍵やらいくつかの手持ち品を,祥子が突っ立っているすぐ横の棚の上にあるカゴの中に放り込んで,シャツのボタンをはずしはじめた。
「オレ,シャワー浴びたいから,もう,帰ってくれよ。」
「どうぞ。行って来て。私の事は気にしなくていいから。」
「・・・。」
ハルが上半身裸になろうとしているのを気にもせず,祥子はキッチンの戸棚やシンク下をあちこち勝手にパタンパタン開けたり閉めたりしはじめた。
「・・・何やってんだよ。」
「お気になさらず。」
「オレの家だぞ。」
「わかってるよ?」
祥子はにっと笑った。
化粧はしていても,悪巧みしているような笑い顔は当時のままだ。
そしてケトルとコーヒーカップを見つけ出して,お湯を沸かし始めた。
ハルは半分あきらめの境地で祥子を置き去りにして浴室の扉を閉めてシャワーを浴びた。湯を出しっぱなしでガシガシガシと頭を洗って,体を洗って流した。
今,祥子が自分の家にいるっていう事が,どうも実感がわかなかった。
祥子となんて,高校を卒業して以来会う機会もなかったし連絡を取ったこともない・・何を考えていきなり家まで押しかけてくるかな。
少し熱めのお湯にかかりながら気持ちの整理をする。
とりあえずの困惑は憎まれ口を言うことでごまかしているが,何故,自分は祥子を部屋に入れたのか?この状況をどう受け止めたらいいのか,やはり考えはまとまらなかった。
蛇口をひねってシャワーの湯を止める。
外で物音は・・・と耳を澄ましたが何も聞こえない。
バスルームからから出たら祥子が消えているような気もした。
モヤモヤしつつもバスタオルで頭を拭きながら洗面所のドアを開けた。
祥子は・・・やはり,そこにいた。
帰れ帰れと言ったくせに,祥子の姿を見てどこかホッとする自分がいた。