握手
店から出ると,まだ時間も早く,このまま別れるのも名残惜しい気がして,ハルは安藤にも今日誘われていたことを思い出した。
「祥子。ごちそうさま,これからクリスマスパーティーなんて行ってみる気ある?」
「・・ハルの知り合いの?」
「安藤からも誘われたんだ。祥子からの連絡のあとだったから約束があるって断ったんだけど,仮装するやつもいるとか言ってたから,おもしろいかもしれない。」
「安藤君?知ってる人がいるなら行ってみてもいいよ。帰るにはまだ早いしね。」
「ちょっとまって,電話して都合聞いてみる。」
安藤に電話をしたら,出るまでに時間がかかった。きっとにぎやかにしているんだろう。二つ返事でおいでおいでと歓迎されて向かうことになった。
会場へたどりつくと,祥子とも面識のあった顔ぶれが何人かいて,そいつらが祥子をとりかこみ,ドリンクやフードをどうぞどうぞと世話を焼き始めた。
美女と言われているだけのことはあるな。とハルは苦笑いをした。
「一度断ったのに,急に来て悪かったかな?」
と,祥子の分の会費もまとめて安藤に渡すと,
「とんでもない。大歓迎だよ。」
と言いながらも,なんだか複雑な表情をしている。
「ハルと祥子さん・・やっぱ親密っていう雰囲気があるんだよなぁ。」
やっぱり・・つきあってるんじゃないかと疑ってるんだな。
「今日,おまえが祥子を送ってやってくれる?託すよ?」
「えっ!?」
「無理なのか?酔ってんのか?」
「多少は・・飲んでるけど。」
「じゃあダメか。」
「いや。いやそんなことはない。・・ハルは?送らないの?都合悪いのか?」
「別に都合悪くもないけど,安藤おまえ,祥子の事が気になってるんだろ?オレ,安藤なら安心して祥子を任せられるなって思ったんだけど?」
「いや・・あの・・いや・・ええと。ハルは祥子さんの保護者?」
いたずらっぽく笑うハルに安藤はしどろもどろになっていた。
「オレが保護しなくちゃいけないようなか弱い女子じゃないだろ。あ,シュンもいるじゃないか。どういう集まりだ?これ。」
「友達の友達とかもいるんだよ。30人以上にもなると,もう幹事するのもカオスだよ。」
「飲む前に会費だけは集金しとけよ。」
「当然だよ・・。」
その時,向こうのほうから「あーーーっ!祥子!!」というシュンの声が聞こえた。
今,祥子がシュンに見つかったらしいな。
ハルは,調子に乗ってまた祥子の逆鱗に触れて殴られても知らないからな,と笑った。
パーティーはすでに盛り上がっていたのだが,陽気な学生の集団は,終電近くまでその熱気が冷めることはなかった。
帰りは,安藤が祥子を送って行くのかと思ったら,幹事をしていたせいで他のグループのやつらにおまえはこっちだと二次会へと連行され,涙ながらに「祥子さんはハルに任せる・・。」と言いながら引きずられて行った。
そのかわりに,調子のいいシュンが「オレが見張っとく!」と言って,ハルと祥子の間に入ってついてきた。
「シュン,おまえのツレはいいのか?」
「いいんだよ,他にもいっぱいいるから。しかし,こうやって3人で歩くのも,なつかしいなぁ。なぁ祥子。」
「・・お前ほんとうに調子いいな。この3人の顔ぶれで歩くことなんて,ほとんどなかったじゃないか。専門もクラスもちがうし帰宅方向も違ったのに。」
「細かいこと言うなよハル。・・おまえとしゃべるのも久しぶりだしな。サークルにも来なくなったしなぁ。」
「4年生でサークルに行ってるやつなんていないだろ。」
「そうなんだけどな。」
シュンは高校の時は110mハードルが専門だった。
歩きながら高校の頃の,それも自分の都合のいい話ばかりを,ハルや祥子の反応も構わずにしゃべり続けている。
「でも,短距離って言うのは,華があるよな。注目も集まるし勝負も一瞬で決まるだろ。ハードルを越える時のフォームって,かっこよかったよな。」
ハルがそう言うと,シュンはまた違うことを言った。
「長距離走る方が,じっくり見てもらえるじゃないか。応援のやり甲斐もあるし。だって声が届くだろ?自分を応援している声を聞いて,なにくそっって頑張れたりしないのか?なんかこう・・応援に答えたい!って言う気持ちが表情に出ててさ,足がもうこれ以上動かない感とか,心臓の破裂しそう感まで,伝わってくる気がしたけどなぁ。」
「・・シュンって意外と臨場感のある言い回しができるんだな。」
「いやいや・・短距離だったら,頑張ろうって思っても盛り返すまでに終わっちまうだろ?応援してくださる皆さんに,いいとこ見せらんないんだよ。」
「ははは・・。シュンは結構イケてたと思うぞ。走っている時だけを見れば,中身がこんなお調子者だとは誰も気づかないだろうにな。」
「ハル!澄ました顔して!上げたかと思ったら落して,ひどいじゃないかぁ。」
「今日は,祥子はおとなしかったな。シュンがさわいでも殴らなかったしな。」
「いつまでも昔のこと言わないでよ。そもそもシュンはちょっと太ったんじゃないの?もう走れないでしょ。」
「えー・・太ったかなぁ。そうかなぁ。まぁ,もう走らなくてもいいからなぁ。」
「でも・・やっぱりあなた騒々しいわ。昔の私だったらいいかげん黙ってろって,びしっと言ってるかもしれない。」
「えー,祥子まで・・。そんなこと言うなよ。祥子の顔見てからは控え目にしたんだぞぅ。」
「呆れた。控え目であれなの・・。」
祥子は,以前来たときに見かけた近所の公園のところまで来て,ふたりに礼を言った。
「ハル,シュン,送ってくれてありがとう。今日は楽しかった。ここでいいよ。」
「家の玄関まで送るよ?」
「いいのよシュン。もうそこだし見えてるから。」
「女性の家は詮索しちゃダメなんだぞ,シュン。帰れって言われたら帰るの。」
「そ,そうなのかー。」
「シュンったら,そんなにわかりやすくしょぼんとしなくてもいいわよ。」
「なぁなぁ。いつかまた,集まろうよ。」
「そうね。」
「そうだな,陸上部のみんなで,な。」
「みんな,遠くへ行っちゃったからなー・・。ずっと先かもしんないなぁ。」
祥子が手を差し出してきた。
「じゃあ,元気でね。」
「祥子,またなぁ。また会おうなぁ。」
と,シュンが横から割り込んで祥子の手を握ってぶんぶんと上下に振った。
祥子のこめかみがピクリとしたように思ったので,思わず笑いそうだったが,シュンの気がすんでからハルも祥子と握手をした。
祥子は笑いながら歩き出した。
しばらく歩いてから祥子が途中で振り返って手を振った。
シュンが大げさに手を振っている横で,自分もバイバイと手を振った。
駅へと引き返す道々,シュンがしつこく高校の頃の話をしていて,それに相槌を打ちながら,自分も同時に,毎日走っていた頃のことを思い出していた。
喉の渇き。
汗。
脱水症状起こしかけたこと。
駅伝に出て,タスキを渡したこと。
これ以上もう走れないと思った事。
雨の日にずぶぬれでもテンションが高かった事。
腹がすぐ減って教室で早弁をした事。
部活の後で買い食いした店のこと。
電車で居眠りをして乗り過ごしたこと。
最後の合宿で,長距離のメンバーみんなで監督を担ぎ上げて海に投げ込んだこと。
いたずらをしあったり,笑って,ふざけて,監督に怒られて・・。
真剣に走って,時には勝って喜んで。
惜しい負け方をしたら悔しがって。
仲間の応援をして,励まし合って・・・。
インターハイの県予選の時,
800mの決勝に残った時だ。
そのレースで6位内に入れば,ブロック大会に行けることになっていた。
「ハルー!!ファイトー!!」
トラックの,すぐ内側から祥子の声が聞こえたんだ。
トラック競技と同時に,フィールドでは,女子走り高跳びが行われていた。
黒のユニフォームを着て,ショートカットで,真っ黒に日焼けしていた祥子の,ハリのある声が,たった今,聞こえたかのように脳内で再生された。
まだすこし酔いが残るシュンの,ループする話を聞きながら,ハルは小さくふふっ・・と笑った。
何となくだけれども,当分,祥子とは会わないような,そんな気がした。