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ハルの卒業論文の提出は12月18日だった。
何度も担当教授の指導を仰ぎアドバイスを得て,期限間際まで,ああでもないこうでもないとこねくり回したが,3日前ぐらいになると諦めがつき。提出してしまうと気分がすっきりして余裕ができた。
そんな頃に,祥子からまたメッセージが飛んできた。
「バー!リベンジ!」
今度は自分も文字を打って返した。
「いつ?」
「12月23日。集合は7時,N橋駅にて。いかが?」
祥子の打つ文章は女子にしては絵文字が少ない。相手がオレだから気を抜いているのかもしれないな。
「了解。」
祥子のことは言えないぐらい,自分も絵文字なんか使わない。むしろ,文字数は常に必要最低限だ。
祥子が指定した同じ日に,安藤がまた飲み会に行こうと誘ってきた。
「もう,女子との交流会は遠慮するよ・・。」
「そんなんじゃないって。男女比も関係なくクリパだよクリパ。学生最後のクリスマスだろ?仮装してくる奴もいるし,おもしろいって。余計なことは考えずただ楽しむための・・・。」
安藤が盛り上がっているのを,ハルは手をあげて制した。
「いやいや先約があるんだよ。」
「えっ?ハルが?なんだなんだなんだぁ?うちのゼミじゃないよな?サークルか?バイト仲間か?女か?」
「・・・一応,女。」
「うわぉ。」
「そんなんじゃないって,知ってるだろ?祥子だよ。」
「う・・・ぅぉぅ。ハルやっぱ,あの美女とつきあったのか・・・。」
「いいや?」
「だって,クリスマスに2人で・・。」
「クリスマスじゃないし。一日前。あ,そうか。これってつきあってるって言う?いやいや違うだろう。そんな顔すんなよ。彼女じゃないって言ってるじゃないか。んん?安藤おまえ,紹介して欲しいのか?」
「いや!・・いや,そういうわけじゃ・・ないけどさ。」
「その気があるならいつでも言ってくれ。推薦してやるぞ。」
「いや・・ええと,そうなのか?」
「うん。遠慮するなよ。祥子性格も悪くないし。気に入らないことがあってグーで殴られても知らないけどな。」
「・・グー?」
「そう。グー。」
「ハルって,・・謎だよなぁ。」
「そうかぁ?自分ではよくわからんな。祥子には単純って言われたけどな。」
「じゃあこれ,別件だけど,卒業までにさ,温泉旅行しようや,飲み会に行ったメンバーと,他にも一人ものの野郎を誘って。」
「ああいいよ。」
「あの時の,飲み会の女子たちも誘っていいと思うか?」
「ええ?そりゃちょっと違うんじゃないの?」
「もちろん別で行くんだけど,よく似た日程で旅行するらしいからさ。都合が合えば目的地も合わせちゃって合流しないかって感じのお誘い。」
「へぇ。」
「あのグループとは何人かが,接点があるからな。」
「ふうん。でも,接点のない顔ぶれが浮くんじゃないのか?」
「そういうやつらこそ乗ってくると思うんだよな。オレは。」
「はぁ。そんなもんか・・。オレはどうでもいいよ,好きにしてくれ。」
待ち合わせの23日。駅の構内はどこも人が多かった。クリスマスソングや鈴の音があちこちからこぼれて聞こえて,目立つ店は赤や緑の装飾とイルミネーションが派手に施されている。街ゆく人々も気のせいか楽しげで浮足立って見えた。
ハルは地下鉄に乗ってN橋駅へと向かった。
場所を打ち合わせしていなかったので,居場所を知らせようとしてスマートフォンを取り出し,東出口の改札前にいると打とうとしたら,向こうが先にこちらを見つけたらしく肩を叩かれた。
「お待たせ。」
「おぅ。」
「さ,行こうか。」
「・・・。」
そう促されたが場所を知っているのはオレだ。駅からすぐそば。
祥子は,今日も少しウェーブのあるセミロングの髪をふわりとさせて,きれいに化粧をしていた。ジョギングシューズではなくヒールを履いて,意識しているのか天性の素質なのか,歩く姿勢や動作がきれいだ。
そう思った後,自分は少し背中が丸まっているな・・と気がついた。歩きながら少し背筋を伸ばしてあごを引いた。
「それにしても,うまく化けるよなぁ・・。」
「・・ハル。思ったままを口に出しちゃダメだよ。もうちょっと素直に言えないのかなぁ。上手に表現すると自分が得なんだよ。はい,きれいだねって言ってみなさいよ。」
「はぁ・・。」
「またお泊りに行くってダダこねるよ。」
「あーわかったわかった。きれいですー。」
ハルが感情のこもらない“きれい”を発音したところで,店の前に着いた。
入口の様子は,以前行った時と変わらない。
扉を引いて開けると,静かな音楽が流れていた。中も・・変わらない。
「いらっしゃいませ。」
と若いバーテンが声をかけてくれた。
店内のボックス席は大学生や,若いサラリーマン,カップルが座っていて思っていたより人がいた。学生が来ても違和感もないカジュアルな雰囲気。かといってコンパみたいに騒ぐような者はおらず居心地がいい。
カウンター席が空いていて,そちらに勧められるままに座った。
「へえ~。」
祥子は,さまざまな種類のお酒の瓶が並ぶ店内をめずらしそうに見回して,カウンターに肘をつく。差し出されたおしぼりを広げながら,カクテルのメニューを見た。
そして「どれがいいのかなー。」とつぶやいた。
「・・ハイボール。」
ハルは,祥子のことは構わず,自分の注文だけをした。
「かしこまりました。」
カウンターの中に,少し年配のバーテンダーさんがいて,迷っている祥子に声をかけてきた。
「あなたのお好みで何かお作りしましょうか?」
「わぁ。なんか素敵ですね。わたしバーって初めてだからそういうの嬉しいな。」
「では,アルコールは強くても大丈夫?甘いのや爽やかなのもありますよ。」
「んー・・・アルコールは平気。私強いのよ。すこし甘いフルーティーなのがいいかな。」
「じゃあオレンジ味はいかが?スクリュードライバーってご存知ですか?」
「あ,それ聞いたことある。」
祥子がワクワクと目を輝かせているのを横目で見ながら,ハルは口数が少なかった。
注文を終えた祥子がうかがってきた。
「何を考えてるの?」
「んとね。考えないようにしてるわけ。」
バーテンダーがくるくるとタンブラーをステアしてオレンジの飲み物を祥子に出した。
「あれ,シャカシャカってしないんだね。」
「するのとしないのがあるんだよね。」
と,ハルはバーテンに聞いた。
「じゃあ,この次はシャカシャカするの見たいです。」
「かしこまりました。」
「飲みすぎるなよ。」
「わかってるよ。でも,飲みに来たんだから飲むわよ?」
祥子がタンブラーに口をつけた。
「あーおいしぃ。でも,これ,ごくごく飲んじゃだめだよね。度数が高そう。」
「・・無理するなよ。」
「わかってるよ。私が強いのは知ってるでしょ。」
「・・・。」
祥子がこちらに顔を向けた。
「あのさ。」
「なんだよ。」
「ハルったら・・・。」
祥子はまたカウンターの中に視線を戻した。
「・・・別にいいけどさ。」
「だから,なんだよ。」
「また,痛いんでしょう。」
「・・!?」
祥子にそう言われて,あ・・と気がついた。
自分の左手がみぞおちの辺りをなんとなく押さえていた。
・・しまったと思った。
「・・いや。あの。」
手の位置の言い訳はできなかったが,左手の力を抜きその手でタンブラーを持った。
「マスター。つまめるもの欲しいです。」
とごまかすように頼んだ。
「ごはん食べて来たんじゃないの?」
「軽く食べたよ。」
メニューが差し出されたので,ナッツとフルーツを頼んだ。
「ダメねぇ。ハルは。」
「あー。」
「がんばんなさいよ。」
「・・そうだな。」
「ハルの場合,無自覚だから始末に負えないね。」
「・・・。」
祥子がもう一度顔を覗き込んてきた。
「私はもう,前を向けるようになったよ。」
「そうなのか?」
「ハルはどうして,このバーに来ようと思ったの?」
「・・・。ここしか知らないから。」
「ううん。それはね,きっと意味があることなんだよ。」
「どんなだよ。」
「わたし,分かるよ。何かの思い出があるんでしょ?」
「・・・。」
「ハルは・・クリアして行こうとしてるんだよ。クリアと言うか,リセット?デリート?消去。塗り替え。書き換え。」
いつものように,祥子がわけのわからない適当なことを語りはじめたなぁ・・
とハルは思った。