彼女の価値:b
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そこは究極的に白かった。
私は真っ白な世界の中にいた。
地面も天井もなく、ただ完璧に真っ白で、自分がどうやってこの空間で自立を保ってられるのか不思議だ。
そう、私は浮いてる訳でもなく、立っているのだ。それだけはなんとなく解った。
さて、私はあの変なピエロに飛ばされたんじゃなかったのか?この訳の解んない状況は何だ。
何をするわけでもなく・・・っていうか何もすることが思いつかないままぼうっと突っ立ったままの私。
さてさてどうしよう、ほっぺでもつねってみようかと考えた時。
「 」
声が聞こえた。
振り向くと、そこには──・・・
「ああアリスそこにいたんだね捜したよすごくすごくすごくでも見つけたよぼくえらいでしょほめてほめてほめてほめて」
不安定な歪んだ声。女の子にも男の子のようにも聞こえる・・・
一気に体から温度が引いてくのを、しっかり感じながら、私は動くこともせずその声が壊れたように喋り続けるのを耳の端で聞いていた。
「ずっとずっとずっとずっと待ってたんだよぼくねぼくねぼくね寂しかったんだひとりでずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと」
いやだ。
これは、ひどい。
耳が、頭が、壊れる。
くるしいいたいかなしい
だれか
「ねえアリスどうしてぼくをおいていったのずっとずっとずっとずっといっしょだったのにどうしてねえアリスこんなに」
──だいすきなのに
耳元で囁いた、壊れた声。
がつん、と衝撃が走ったように世界にヒビが入った。
「ぼくのぼくのぼくのぼくのぼくだけの」
アリス
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変な、夢を見た。
なんか・・・。すごく嫌な夢。
薄暗くて埃臭い部屋の天井を見つめながら、私は汗で滲んでいる額を腕で拭う──・・・って。
天井?
がば、と起きようとして、私は体が何かで床に固定されてるのに気付いた。
なんだこれ。
あのピエロ、私をどこに飛ばしたんだ。
両手両足を動かそうとすると、がちゃがちゃと金属と金属の触れ合う音がするあたり、どうやら鎖か何かで繋がれてしまってるみたいだ。
・・・えっと、悪い冗談か何かかな。
いや、あの笑えないよこれ。
だーれかあああ!!!
助けを呼ぼうと息を思い切り吸い込んだとき。
「ったく、お前今日もノルマ達成できてないじゃないか」
ため息と一緒に、低い、イラついた声。
「しょうがないじゃないすか。今日あのメイベルがきてて大騒ぎだったんすからあ!」
続いて、必死に弁解する高めの、男の子の声。
「誰が来てようと一緒だろ。いつだってお前ひどいじゃないか。この前の集会だってお前が最下位だった」
「・・・で、でも今日は違うんすよう!上物手に入れてきたんすからあ!!」
何の話してるのかは全然解らないけど・・・。
人が、いる。
口が塞がれてないのが何より幸運だったかもしれない。
とにかく、私はただ焦って、薄暗い部屋の扉の向こうから聞こえてくる声に縋った。
とにかく、この状況を打開して・・・
シレンのいる場所に戻らなきゃ。
「たっ・・・助け、助けて、助けてえええええ!!!!」
ぴた、と外の会話が止んだ。
き、気付いてくれた・・・・・・?
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日暮れも徐々に迫りつつある中、シレンは通りの隅にある装飾品店に立ち寄っていた。
チャームやブレスレット、ペンダントにピアス・・・。
そしてあらゆる種類を揃えたリボン。
その中で、黒いビロードに白のレースをあしらった可憐なリボンを見つけて、店の女主人に手渡した。
代金を払いながら、“彼女”のことを思い浮かべる。
溢れるほどの髪をどうにかしようとむきになって何本も伸びる髪留めを無駄にしていた姿を頭に浮かべると、自然に笑みがこぼれてきた。
「・・・まったく、にやにやしちゃってさ」
呆れたような女主人の声にはっ、と我に返る。
顔に出てたらしい。
猫耳の、恰幅の良い女主人はごろごろと笑い、
「なんだい、彼女へのプレゼントかい」
「え、えーと・・・。その、彼女ってわけじゃ、その」
困ったように肩をすくめると、女主人はあははと大らかに笑いながら、長い腕を伸ばしてばんばんとシレンの肩を叩いた。
「やあねえ、照れちゃって可愛いんだから!きっと彼女喜ぶわあ!」
「は、はあ・・・」
あんまりシレンの言い分は聞いてくれないらしい。
「まあお兄さん可愛いし、おまけしたげるわ。彼女によろしくね!」
「はあ・・・」
ただ困ったような表情を浮かべ、シレンは包みに入ったリボンを受け取った。
無理やり置いてきてしまったから、そのお詫び・・・と言うわけでもないけど、お土産に、と思ってたんだけど。
まあいいか、と軽く女主人に会釈したときだった。
がつん、と後頭部に殴られたような衝撃。
「・・・っ!?」
ついしゃがみこんで膝をつく。
「ちょ、ちょっとどうしたの!?」
女主人の慌てたような声を遠くの方に聞きながら、割れそうに痛む頭を抑える。
──た、たすけてええええっ!!!
「・・・レ」
薄暗い部屋、むせかえるような黴臭い匂い。
シレンは、表情もなく立ち上がっていた。
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部屋に入ってきたヒト達を見て、私は一瞬目がとうとう駄目になったのかと思った。
だけどよく考えたらここは私の知っている世界じゃない。
だから、服を着た、見たこともない大きさの鳥とネズミが入ってきたのもきっと幻覚じゃない。
そんな私の心の中の葛藤には気づかず、2匹──いや、2人かも──は私の姿を確認して大騒ぎしだした。
「なんでこんな小娘連れてきたんだ!?何が上物だ、この馬鹿!」
ネズミが、相当なイラつきようで隣の首の長い鳥に怒鳴りつけた。
途端にしゅんとなる鳥。
弱肉強食の考え方ならネズミの方が弱いはずなのに、なんかすごい偉そうだ。不思議な力関係・・・。
だけど、かわいそうな鳥くんは震える声で精一杯反論し始めた。
「それはこの部屋が暗いからですよお!ほら、カーテン開けてじっくり見てください、ほらほら」
そう言って、鳥くんはいそいそとカーテンを払いのけた。それと同時に、西日の強い光が射し込んでくる。
「ほら、どうですかあ」
何がどうなのか解らないけど、眩しい!
ちょうど頭の辺りに日光が射して、白く視界が焼き付いた。
「ちょっと、カーテン閉め・・・」
「素晴らしい!!!」
私の声は興奮したネズミの地を這う低い声でかき消された。
顔をしかめてネズミを睨みつけると、ネズミはそんなことは知ったことかとばかりに私に近寄ってきて舐めるような視線で私を見る。
遂には、私の髪を滑るように触れてくる。
「何す・・・っ」
「この輝くような質感、滑らかな手触り、それに溢れんばかりの魔力!・・・完璧じゃないか!」
「でしょお?」
得意気に鳥くんは答えた。誉められて嬉しいのか、声色は更に明るい。
・・・っていうか私を無視すんなーー!
「ちょ・・・っ、あなたたち何なの!?取ってよこれ!放してよっ!!」
お腹に力を込めて全力で叫ぶ。
すると、2人ーーでいいのかなーーは、やっと私に気付いたように、同時に私を見た。
・・・そ、そんな意外そうに見られても困る・・・
しばらく考え込んでたネズミは、ぐっ、と腰を屈めて大きな鼻を押しつけてきた。
「すいませんねえお嬢さん。ウチの若いモンが粗相したようでね」
甘い猫なで声で囁くネズミ。
・・・ネズミに猫なで声っていう表現は合わないかもしれないけど。
「粗相って、ひどいなあ。このコが勝手にその部屋に転がってただけなのにい!」
「・・・お前、さっき苦労して捕まえたとか言ってなかったか?」
しまった、と羽根で器用に口を押さえる鳥くん。
だけど私にはもっと懸念する事実が解った。
あのピエロ、何してくれてんだあ!!!
「思いっ切り失敗しちゃってんじゃない!!」
「・・・いや、まあ失敗してるわけじゃない。今回は許してやろう。こんなにも素晴らしい逸材に出会えたのだから!!」
えらく上機嫌なネズミ様。
上機嫌ついでに放して欲しい・・・
「わ、私をどうするつもりなんでしょうか・・・?」
我ながら情けない声だ・・・
ネズミ様はふっと我に返ると、恍惚とした表情で私を見た。
「いや、お嬢様の髪をいただこうと思いまして」
・・・・
「・・・・・・は?」
なんか、意味不明な言葉が聞こえたような。
「お嬢様の、お美しいその髪をいただこう、と申し上げました」
「・・・い、意味解んないんだけど」
精一杯の反抗をすると、次は鳥くんが相当嬉しそうな声で、
「やだなあもう。わかってるくせにい、嫌味いってんすかあ」
「い、嫌味?」
意味、解んない・・・
「どんな宝石より、美しい髪は高価なんす。だって、そりゃーもおすんばらしい魔力を秘めてんすからあ」
続けてネズミ様が頷いて、
「そうですお嬢様。麗髪は魔術師がこぞって欲しがる術具。しかも消費物・・・」
・・・・・・え、ちょっ、それは・・・
「だから、お嬢様の髪をごっそ・・・いや、すこうしいただきたいんですよ。この貧しい私たちに、ね?」
「そおんなにいっぱいあるんですから、ちょっとくらいいいですよねえ。ね?ね?」
な、な、な、何がだ!!
「い、嫌だよそんなの!ちょっとだけって・・・」
必死に訴えると、鳥くんは羽根をぐわっと広げた。
「これぐらいいただければ─」
「ば、馬鹿言わないでよ!!!」
・・・そんなに抜かれたら根こそぎなくなっちゃうじゃない!!!
「馬鹿言うなお前。欲張るからいつまでもたっても昇進できないんだ」
これくらいでないと、と短い手を広げたネズミ様。
・・・いや、その前に。
「私は、あなたたちに何もあげるつもりなんかないの!!わかったら早く放してよ!」
私の意思を尊重してくれ!
だけどネズミは意地悪く前歯をちらつかせると、また鼻を寄せて、
「今のあなたに選択権というものが存在してるように思えますかお嬢様」
「・・・・・・っ!」
そうだ。
動けないこの状態じゃあ、いくら反抗しても・・・
「でっ・・・でもやだ!嫌なものは嫌!誰かっ・・・誰かたすけてええええええ!!!」
「無駄ですよお嬢様。ここは街の一番隅にあるような裏通りの端にあるんです。誰かきたとしても、多分私の仲間でしょうねえ」
「そ、そうですよう。だから、大人しく切られちゃいましょお?大丈夫、すぐ終わりますからあ」
「時間の・・・問題なんかじゃないで、しょっ・・・?!」
思わず泣いてしまった。
するとネズミは煩そうに、上着から銀のハサミを取り出すと、私に向けた。
「はい、はい。じゃあとっとと終わらせましょうお嬢様。おい、髪抑えろ」
「はあい」
「い、いやだ!やめてよ、だ・・・誰かああ!!」
ハサミが近づく。
ああ・・・なんで私外になんか出ちゃったんだろ!
シレンの言うこと、ちゃんと聞いとけば・・・
「よし行くぞ」
鳥に押さえつけられた髪にハサミの刃が添えられた。
もう駄目だ。ざんぎり頭にされちゃうんだ。
最上級の後悔と諦めを抱いて、ぎゅっと涙混じりの目をつむった時。
「その子を離して」
聞き慣れた声が、部屋に飛び込んできた──・・・