闇に紛れるは
私は頭の中が真っ白になりながらも、なんとか上半身を伏せた。
途端、風切り音が聞こえて、何かがものすごい勢いで頭の上を通り過ぎていった。
──ギャアアアアアッ!!!
「・・・ひっ!!」
耳が壊れるかと思うほど甲高くて大きな悲鳴・・・というか吼え声が響く。私は生暖かい液体が身体にかかるのを感じながら、強く強く瞼を閉じる。
すると、急に身体がふわっと浮いた。
「わっっ・・・・!!!」
「動かないで!!」
びくびくしながら眼を開けると、さっきの男の子の顔が凄く近くにある。
こ・・・これはまさかお姫様だっ・・・・
て、そんなこと考えてる場合じゃないっ!!!
「な、なんで・・・???」
「それはこっちの台詞。・・・逃げるから、大人しく掴まってて!」
そういわれて、私はふとさっきの怪物をちらりと視界に入れた。──絶句、した。
さっきまで彼の腰に下がっていた細身の剣が、怪物の3本あるうちの、中央の首に思い切り刺さっていた。真っ赤な血が噴き出して、白い身体がまだらな赤に染まっていく。
私は震える手で顔をぬぐってみた。
どろ、と私のものじゃない赤い液体が手を汚している。
「・・・・・・っ!!!!」
とっさに、私は彼の服を強く、強く掴んだ。
怖いよ・・・・・・っ!!!!
「・・・・。・・・・掴まってて!」
おんなじ言葉を繰り返して、彼は私を抱き上げる力を強めて、痛みに吼えている怪物に背を向けて駆け出した。
「え、ちょ・・・・・っ!!」
あるのは真っ暗な闇。
ためらいなく彼はそれに突っ込もうとしている。
「怖いいっ!!!!!!!」
次の瞬間、私達はむせ返るように黒い空間の中に吸い込まれて・・・・・・・・
青空の、風薫る草原に立っていた。
「は・・・あれ?あ、あれ?」
抱っこされたまま、私はきょろきょろと辺りを見回す。
怪物はどこにも居なくて、あるのは地平線まで見えるんじゃないかって思うくらい広い緑の草原だけ。
紫だった雲も、今はどこにも見当たらなくて、太陽の光が直接降り注いでいる。
顔をぺたぺた触ってみると、さっきのどろりとした感触はもうなくなっていた。
血も、まるで最初から存在してなかったみたいにさっぱり消えてる。
「こ、これ・・・」
「さっきの血はあの空間だけで実体化するものだから、こっちに戻ってきたらなくなるんだ」
私の気持ちを察したのか、彼は私の言葉を最後まで聞かずに答えてくれた。
ありがたいなあ・・・。今の私じゃ声とか震えてちゃんと言葉にできないだろうし。
「大変だったね。大丈夫?」
「う、うん・・・・たぶん」
「そっか」
彼は優しく微笑んで、頷いてくれた。
・・・なんか、ほんと・・・・優しいな・・・。
よく考えたらさっきすごく失礼なこと言っちゃったのに。
・・・・一応謝っとこう。罪悪感が・・・
「さ、さっきはごめんなさい・・・」
「へ??」
きょとん、とした表情だ。
「だ、だって私あなたのこと、・・・えっと、電波・・・じゃない、変な人呼ばわりしちゃって・・・」
しかも全速力で逃げちゃったし。
「あーーーーー・・・・」
彼は複雑そうに苦笑して、頬をかいた。
だけど、苦笑いはふにゃっとした笑顔に変わった。
「ううん、そりゃ知らないひとに声かけられたら警戒だってするよ。俺も無遠慮だったし、ごめんね」
「そそそそそ・・・そんなことないよっ!!」
ぎゃ・・・逆に謝られた・・・。
どんだけ寛容なの・・・。
ほんわかした空気が流れた後、ふっ・・・と彼が真剣な表情をつくった。
まっすぐな視線で、私の目を見てくる。
「そういえば・・・、君なんで『白兎』に追いかけられてたの?」
「は・・・?うさぎ?」
いつそんな可愛いのに追っかけられたっけ。
真剣な顔してふざけてんのかな・・・。やっぱり。
すると、私の顔を見た途端彼がうろたえた。
「あー、あー・・・えーとえーと・・・その、何て言ったら良いかな・・・」
あ。顔に出てたみたいだ。
「えーと・・・”ここ”が、君の知ってる世界じゃないってことはもう解るよね」
「うん・・・なんとなく」
途切れ途切れ、しかも凄い話しにくそうに彼は言葉を紡ぐ。
ひょっとしたら彼にとっては常識みたいなことなんだろう。
「”ここ”は、・・・何て言ったらいいかな・・・とりあえず、たくさんの”世界”がお互いに干渉しあわないように管理するためにある”世界”なんだ・・・えーと、わかる?」
「・・・・・・」
わかんない。”たくさんあるセカイ”・・・?
「・・・もー俺やっぱり説明苦手だ。えっとね、簡単に言うと、”世界”ってものは、君がいた”世界”の他にも無数に存在してるものなんだ。で、それらが他の”世界”に干渉しないように、それぞれの”世界”の中間にたって管理しているのが”ここ”」
すっごいまとめたみたい。
「うん、なんとなくわかった・・・」
本当になんとなく、だけど。
まあ、彼の言いたいことの大意は理解できた。
要するに、私が知っている世界とは違う次元に異世界が無数に存在していて、異世界同士が接触したりしないように管理する役割をあらゆる異世界の中間に位置する“ここ”が担ってるってことらしい。
私が納得したのを見届けてか、少しほっと安心した表情を見せる彼。続きを語り出した。
「で、“ここ”には異世界に通じる扉がたくさんあって、それを見張って守護してるのが番人・・・“白兎”なんだ」
「あの大きい白いのも“白兎”っていうの?」
なんか名前が可愛すぎるような・・・
「うん。だって身体が真っ白だし。・・・さっきの奴は眼がなかったけど、普通の“白兎”は眼が赤いんだよ」
・・・“ここ”での白兎の定義は、身体が白くて眼が赤い、ていうことみたいだ。
今思い出せば、私を“ここ”に誘い込んだあの鴉も真っ白で、赤い瞳を持っていた。
あの鴉が、私の世界の“白兎”だったんだ・・・
白兎は、なんで私を呼んだんだろう。
ただの女子高生が、こんなところに呼び出される筋合いなんてあるの?
ない・・・訳じゃないから呼ばれてるんだろうけど
私は“普通”だって信じていたいのに───
「・・・どうしたの?」
はっとして我に返ると、彼が私の顔をのぞき込んでいた。心配そうな当惑顔だ。
「・・・ううん、なんでも、ない」
そうだ、なんでもない。
今私にふりかかっている出来事は全て偶然。
考え込んだって答えは出ないはずだから
「なんでも、ないの」
そんな気なかったのに、私は同じ言葉を2回繰り返していた。
「・・・そっか。わかった」
彼は静かにうなずくと、それ以上なにも聞こうとしなかった。
その対応が、私にとっては嬉しかった。
しばらく黙ったままだったけど、急に思い立って私から沈黙を破った。
「あなたって・・・名前は?」
すごい今更なんだけど。それはもう今更なんだけど
私、彼の名前知らない。
彼も、何度目かのきょとんとした表情の中でいちばんのきょとんを見せた。
「い、今更・・・?・・・あっ」
多分彼も人のことは言えないはず。だって――
「俺も君の名前知らない・・・」
名乗った覚え、ないもの。
当惑顔が、こっちを見た。
「・・・ぷっ」
お互い噴き出した。
心行くまで私たちは笑いあって、暖かいものがこみあげてくるのを感じあった。
──この時間が、きっと愛しく感じるようになる。
そんな小さな不安には、気づかない振りをした――・・・
「貴方がもたらすのは救いかしら?それとも破滅?――私のアリス」
可憐な声が、風に紛れて呟いたのを聞いた者は、いなかった。