遭遇
ぼんやりとしたまどろみの中、私は鼻をくすぐる草の匂いで意識を取り戻した。
とても強い光が照っているのが、まぶたの裏側からでも十分わかる。
なんだか目を開けるのが怖くて、私は目を瞑ったままじっとしていた。
──光?
妙な違和感を感じて、私は怖さを押しのけ目を開けた。
「まぶしっ・・・!」
途端、強い光に目を焼かれ、手で両目を覆ってかばう様に隠す。
あーもう、なんで私外なんかで寝てたんだろう。頭重い・・・
・・・・・・・・・・・外?
がばっ、と私は上半身を起こした。
嘘、うそうそうそうそうそ。
目の前に広がるのはどこまでも澄み渡る蒼い空と、風に波打つ緑の草原。
ちょっと待って。私はなんでこんな場所にいるの?
意識が消える前に最後に見たのは、薄暗い、ほこりまみれの鏡の迷路の中だったはず。
賭けても、屋外じゃなかったし・・・、そもそもこんな場所、来た事ない。
しかも、頭が重いのは気のせいじゃないみたい・・・。
髪の毛が、異常に長い。
せいぜい肩から下にかかる程度だった髪が、今は背中を覆うだけに収まらず、座り込んでいる今の状態で地面にまで溢れていた。
なんか金色に見えるのは私の錯覚であって欲しい。
私は頭を抱え込んで、うーん・・・と呻いた。
今自分に何が起こっているのか全然把握できない。っていうか頭の中ぐちゃぐちゃで何から考えたらいいのかわかんない。
──よし、ちょっと落ち着こう。
まず、ここはどこなんだろう?
遊園地・・・じゃないよね。
ひょっとして・・・さらわれちゃった、とか。
そうだとしたら、いったい誰に?
そう考えた私の脳裏にあの奇妙な鳥が浮かんだ。
そうだ・・・。あの鴉を追いかけてから記憶が曖昧になってて・・・それで・・・。
・・・それで、どうなったんだろう。
全然覚えてない。
・・・・・・だめだ、考えても埒が明かなくなっちゃった。
とにかく、家に帰らないと。
「あ、ケータイ!!」
ふと思いついて、私はスカートのポケットを探った。
間もなく、小さなウサギのキーホルダーがぶら下がった私のケータイが顔を出す。
どこでもいい、電話をかけよう。その前に今何時なんだろう。
逸る思いを抑えながら、私はケータイを開けて待ち受け画面を確認し・・・・・・・愕然とした。
圏外。・・・・・・はまだ理解できる。そりゃショックだったけど。
私が驚いたのは、もうひとつのことだった。
右上に表示されているデジタルの時計が、ものすごい勢いで回っている。
時計と言うよりはまるでタイムウォッチみたいだ。
どういうわけか、待ち受けに設定しているフラッシュのアナログ表示の時計も、短針が長針を追いかける形でぐるぐる回転して、時間なんてわかるはずもない。
ともかく、ありえない動きだった。
そんな・・・故障?
高2になって機種変したばっかりなのに・・・。
メールも試してみたけどやっぱりだめ。webも通じない。
ため息と一緒に、私はケータイを閉じた。
・・・しかたない。
ケータイは通じないし、ここがどこなのかわからない以上は悩んでいてもしょうがないような気がする。
私はゆっくり立ち上がり、思い切り背伸びした。
なんだかずいぶん動いてなかったみたい。身体のあちこちが痛い。
ぼさぼさと跳ねる、今まで体験したことのない長さの髪を手櫛で整えて、辺りを見回そうとしたとき―
「ねぇ、君」
「! ! !」
ぽん、と肩を叩かれ私は飛び上がるように驚いた。
え・・・な、何!?誰!?
これ以上ないってくらいの速さで、私は後ろを振り返った。
いたのは、…男の子。
ちょうど私と年は一緒くらいだろう。
背は結構高めで、・・・なんだか不思議な格好だ。
白いすらりとしたシャツにゆったりしたマント、腰に差した華奢なつくりの剣・・・
ファンタジー小説とかゲームに出てくる勇者さんみたい。それに―
・・・うーん、かっこいい。
その端正な顔立ちにうっかり見惚れていると、男の子はきょとんと首を傾げ、
「・・・あの、俺の顔になんか付いてる?」
「あ・・・!違うの、ごめんなさい!」
私は慌てて手を振った。ああああ、変な子みたいに思われちゃったかも!
顔がすっごく熱い。
だけど、彼は私を見てまたきょとんとした後、あはは、と笑い出した。
「そんな慌てることないのに」
「だ、だって・・・」
・・・私、何初対面の人に笑われちゃってるんだろう。
妙に恥ずかしくなってきて、私は赤い顔のままぶすっと口を閉じた。
ひとしきり笑った後、彼は思い出したように真顔に戻り、「そういえば、君こんなとこで何してるの?」
当たり前って言ったら当たり前の質問だ。
何にもない草原で女子高生が1人ぽつんっていたらおかしいし。
「うーん・・・。わかんない」
だからといって私に理由が解る訳じゃないしむしろ聞きたいし。本当のことを言った。
問いただされるんじゃないかと思ったけど、彼は拍子抜けするくらいあっさりと、
「そっかあ」と頷いた。
なんか慣れてるみたいな反応だ。
「そっかあ、って・・・。聞かないの?」
聞いてみると、彼はクルクルと跳ねた黒髪をいじりながら、
「うーん。最近君みたいに異世界から迷い込んでくる人が多いから。君、どこから来たの?」
私は少したじろいだ。
変なこと言うな、この人。
異世界って・・・ファンタジーの読み過ぎじゃないの?
よく考えたらコスプレじゃない、この人のかっこう。
ひょっとして、ここなんかのイベント会場とか。・・・そうだったとしたらなんでこんなとこで。
私は慎重に答えた。
「と、東京だけど」
すると彼はきょとんとして、
「トーキョー?聞いたことないなあ」
と不思議そうに言った。
へ?
「と・・・東京解んないの?」
「知らないよ。あ、ひょっとして“騎士界ヴィンテ”の?」
どこそれ。
「あれ、違う?困ったなあ。服が“ヴィンテ”の服装に似てるからそうだと思ったんだけど」
本当に困ったような顔してる・・・。
困ってんのはこっちだってばっ!!
「まあいっか」
いや、よくない・・・。
「とりあえず・・・俺と一緒に来て。登録とかいろいろしなきゃいけないし」
「と、登録?」
冗談じゃない。電波の仲間入りなんか、ぜっっっ・・・たいヤだっ!
「じゃあ、いこ・・・」
彼が伸ばしてきた手を思いっ切り振り払い、私は彼に背を向けて全速力で駆け出した。
「あっ」と驚く声が後ろの方から聞こえる。
―この草原さえ、出てしまえば。
脇目もふらず、走りまくる。
「待って、ちょっと!」
「やばっ」
お・・・、追っかけてくる!
後ろの方で彼が叫んだ。
「この・・・草原は危険なんだっ!戻って!」
「あなたといる方が危険なのっ!!」
「それ、どういうこと!?」
もう知らない。あんな人、私関係ないし。
終わりの見えない草原に、足がだんだん悲鳴をあげてきたとき。
かさり。
「?」
前方からなんか近づいてきた。
かさり・・・。かさり。
かなり遠くにいるせいか、おっきいのかちっさいのかよく解らない。
ただ、体が身体が真っ白、ていうことは解った。
・・・あれ、私いつのまに止まったんだろう。
足を動かそうとしても、何故か一向に動こうとしない。
「え、嘘・・・」
急に不安になり、背後を振り向くと・・・
さっきの彼はいなくなっていた。
というより、背後はすっぽりと現れた穴のような闇があるだけ。
空の色もおかしい。
紫色の雲が、異常に早く流れていく。
「いや・・・何これ・・・」
怖い。
恐る恐る首を元の位置に戻す。
「――――!!!!!」
さっきまであんなに遠くにいたはずの白い身体が、私を見下ろしていた。
かなり大きい。
3つの首に、眼があるべきところは窪んでのっぺりとしている。
大きな裂けた口は巨大な牙が並んでて、誰にやられたのかわからないけど、鉄線で縫い止められていた。それが、その化け物のイレギュラーさを更に強調していた・・・
明らかに、私を食べようとしている。
化け物が、縫い止められた、血に染まった鉄線の隙間から舌を出し、私に迫る。
もうダメだ。こんな訳の分かんない奴に食べられて、私死んじゃうんだ。
ぐにゃりと膝が曲がり、座り込む。
化け物が限界まで口を開けたときだった。
「伏せろ!!」
そんな声が聞こえた―――