鏡の向こう
そこはいつもの帰り道。
学校から帰宅するときに使う近道である裏道。
いつものように、赤い赤い夕日に照らされ影を落とす遊園地の廃墟。
少女が、廃墟の門の前で立ち止まった。
彼女の名前は狗鷺野 零。
学校指定のブレザーに、素っ気ない色のスクールバッグ。ストレートに背中を落ちる黒髪・・・まさに普通の女子高生、といった出で立ちである。
──友達はこの廃墟を、「なんだか薄気味悪い」と言って毛嫌いしているが、零はこの遊園地の残骸を眺めるのが好きだった。
赤く錆付いたコーヒーカップ、馬の何体かが横倒しになっているメリーゴーランド、硬く扉を閉じられた恐ろしい風貌のお化け屋敷、逆光で黒くそびえる観覧車、かつてたくさんの人々がアトラクションを回るために歩き回った園内。
まるでこの遊園地だけ時間が止まっているかのように感じたから。
この違和感が好きで仕方がなかった。
「・・・・・・?」
ぼー・・・としていた零の脳が突然思考を取り戻した。
いつもと変わりないはずの遊園地の廃墟の風景に、見慣れないものをみたからだ。
門の上に、奇妙な・・・・・・鴉?
その鴉は、『鴉の定義は黒である』という、零の常識をまるで無視しているかのように真っ白な姿だった。
なんとか禿げているのだと思いたいが、染みひとつないまっさらな羽。
そしてその頭には嘴であろう、やはり白い突起と、白い紙にインクを落としたかのようにぽつり、小さな赤い点が二つ。──目だ。
なぜそれを鴉と認識したのか自分でも不思議なくらい、零の知っている鴉とは程遠い姿をしている。
「・・・、あ、れ・・・?」
さらに零はゴシゴシと目をこすった。ありえないものを見たように思ったからだ。
その鴉の首には、大きな金鎖の懐中時計がぶら下がっている。
壊れているのか長針も短針も12の文字を指し、偽りの12時を知らせていた。
─ばさっ
「!!!」
突然鴉が翼を広げ、園内へ飛び去った。
夕日に照らされ、懐中時計が鈍く光を放つ。
途端、つられたように零は錆びた門をくぐり鴉の後を追っていた。
固く閉じられていたはずの門の鍵が、何故か開いていたことを疑問に思うこともせずに・・・・・・
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
奇妙な鴉は迷うことなく園内を飛び、ある建物の中に入っていった。
息切れを整えるために建物に入る前に立ち止まり、身体を折って膝に手を付く。
しばらく経った後、顔を上げて建物を見上げた。
『The world of mirror』
朽ちてツタが絡みついた看板に、気取ったような大きな書体でそう書いてある。恐らくこのアトラクションの名前だろう。
開いたままの扉をくぐり、零はむせ返るような埃と湿気た臭いに顔をしかめた。
廃墟なのだから当然といえば当然だが、ずいぶん暗い。
内部は壁と言う壁に鏡が張り巡らされており、そのうえ迷路になっているようだった。
どこを向いても自分、自分自分・・・・。方向がまったくわからなくなる。
だが、迷うことなく零は鏡の迷宮を進んでいく。
(・・・・・・私、ここに来たことないのに・・・)
なのに、足はまるでこの場所を熟知しているかのように、前に・・・動く。
そのうち、零は立ち止まった。
妙に開けていて、薄明かりが前方に遠く見えることからここが出口に近いことがわかる。
床にも、壁にも、天井にも、ところどころ割れたりしているが鏡が隙間なく張られ、自分がどこにいるのかわからなくなるような錯覚を受ける。
その鏡の広間に、あの鴉がいた。
零を見つめ、逃げようともせず静かにたたずんでいる。
ふと、聴こえる旋律。
──赤い眼と白い身体♪
「・・・へ?」
脳が急激に冷える感覚が身体中を支配する。
なんで私はこんなところに・・・あの変なカラスは何!?
さっきなんで思いつかなかったんだろう。おかしすぎるじゃない。
──白兎が、貴方を呼んでいる♪
・・・なんかすごく嫌な予感がする。
ここから逃げなきゃ、そうだよ逃げなきゃ。
なのに足は凍りついたように動かない。
──鈴が転んで紅いリボンがその身を飾る♪
「・・・いやっ・・・・やめて・・・・・!!」
なおも聴こえる鴉の唄。
聴きたくない。
──アリス、時が貴方を望むなら
──取り残された貴方は何を望む?
──鏡は貴方だけを映す
──僕もまた同じように
「お願い・・・!もう・・・っ!」
『貴方だけを──』
ぱりん。
ガラスが割れる透明な音が響く。
鴉の姿が、零の身体が、破裂した光に呑み込まれた──
【登場人物】
☆狗鷺野 零
17歳、高校生。
親はおらず、一人暮らし。
そんな境遇もあってかしっかりしているが、幽霊などに耐性がなくそういう系はそれとなく拒絶したがる。
だが順応性は割と高め。また、若干口が悪い。
10歳のころの記憶が曖昧である。