女王と猫
扉が開け放たれて、広間に入ってきたのは、見慣れた顔だった。
長いくるくる跳ねた黒髪、深紅のマントをまとったそのヒト。
見間違えようがない。私が“この世界”で毎日見てた顔。
シレンが、そこにいた。
あれ、なんで?
入ってこられないはずじゃ・・・
女王様と“エース”の姿を認めて、可笑しそうに笑うと、シレンは赤い絨毯をまっすぐに歩いてくる。
・・・女王様は何も言わない。何をするでもない。
“エース”も、自分の弟子が突然現れたのに無反応だ。
「どうされたんですか、2人とも?」
2人から少し離れた場所で立ち止まり、シレンはきょとんとした。
「陛下が玉座から離れてるの、珍しいですね。“エース”もなんでぼーっとしてるんです」
「・・・お前こそ、何をしにきた?」
女王様が口を開いた。――重くて、低い声。
へ?と首を傾げるシレン。
きっ、と女王様はシレンを睨み、畳み掛けるように言った。
「わらわはお前をこの城に入れるなと“10番目”に命じた。故に、今ここにお前はいてはならぬのだ」
「でも、話したら入れてくれましたよ。俺が“いつも通り”だって、ね」
その言葉に、女王様は目を剥き声を荒げて怒鳴った。
「そんなに忌まわしい“獣”の臭いをさせておいて、何が平常と申すか、“猫”ぉっ!!!!」
そのあまりの剣幕に、私は飛び上がりそうになる。
広間中に声が響き、怒りが木霊した。
・・・それにしても、猫・・・って何のことなんだろう。
私がしゃがみこんだまま考えている間にも、女王様の怒りは続く。
「ふざけおって・・・わらわをどれだけ侮辱すれば気が済む!?何故入れた!?もしや“10番目”を殺したか!!」
「・・・殺しちゃいませんよ、陛下」
怒りに燃える女王様に対して、あまりにも静かなシレン。
その口が、にやりと歪められた。
ただそれだけだったけど、私にとっては劇的な変化だった。
「──黙ってもらっただけだよ。まあ当分目覚めはしないだろうけど」
「・・・・・・!」
軽いその言葉に、女王様が憎憎しげにシレンをにらみ付ける。
「・・・シレン、やっぱり君は・・・」
“エース”がぽつりと、悲痛そうに呟いた。
弟子に何が起こっているか、全て把握しているかのような口調。
「―“猫”。全くその通り」
それに気づいてるのか、気づいていないのか。笑みを絶やさず、シレンが応える。
誰・・・?
あそこで、笑ってるのは、誰?
「鈴なんて厄介な鎖をくれたせいでこっちに全然出てこられなかった。迷惑な話だよ」
やれやれ、と言いたげに肩をすくめる“シレン”。
ここで、私の体の中にわだかまっていた違和感は最高潮に達していた。
──違和感なんてものじゃない。これは・・・
「・・・“アリス”は、渡さぬぞ」
地を這うような、女王様の怒りが広間を揺らしている。
そんな風に感じて、私はくらくらした。
ついでに、ここで“アリス”が出てくるのにも少し驚いた。
・・・何か関係あるんだろうか。
「渡せるものか、貴様のような獣に・・・!」
「・・・・・・利用するだけしといて、後は捨てるのか?」
静かな声。
いつのまにか、“シレン”から笑みが消えている。
ぎくりと、女王様が一瞬身を引いた。
金色の瞳が爛々と輝いて──
「俺から“アリス”を奪うつもりなら、それ相応のリスクを払ってもらわないと」
──その刹那。
“シレン”が腰の剣を抜いて、斜めに構えると女王様に向かって疾りだした。
「「!!!!」」
“エース”も剣を抜き、女王様を守ろうと動く。
だけど・・・・・・・・・間に合わない・・・っ!!
見てられなくなって、目を閉じかけた時。
ぎいんっ!と、金属と金属が触れ合う鈍い、でも澄んだ音がした。
・・・・今の音、は・・・?
目を細めて、玉座から再び覗き込むと──
「・・・・助かった、“キング”、“クイーン”」
その場に、ヒトが増えていた。
ヒト・・・というか、例によって“トランプ”。
それも、2人。一方は背が高くガタイが良くて、全身金色の鎧だ。
もう一方は“エース”と同じくらいの身長で、なんだか華奢なつくりの、いわゆるピンクゴールドの鎧。
2人とも剣を構えていて、その前には赤い水溜りができている。
その中に倒れこむ人物を見て、私は頭を殴られた気分だった。
シレンが、倒れている。
・・・なら、あの赤いのは。
「いえ。これが我等の使命であります故」
・・・多分、“クイーン”だと思う方が静かに応えた。研ぎ澄まされた、刃の切っ先みたいに清廉な声。
「・・・陛下。“猫”の始末はいかに・・・?」
次は金色の“キング”。力強くて重鈍な響きの声。
・・・いや、そんなことどうでもいい。私の目は一点に集中していた。
焦りと、なんだかよくわからない感情が体を支配していた。だから、この時の私が何を考えていたのか後になって思い出そうとしてもよく覚えていない。
シレンが、死んじゃう。
早く・・・呼ばなきゃ。
・・・なんで、あのヒト達はあんなに平然としてるの?
シレンが死んじゃうのに・・・!
「・・・もはや猶予は持てぬ。・・・“殺せ”」
「は」
「・・・・・!!」
“キング”が、剣を振り上げた。
シレンは意識を失っているのか、ピクリとも動かない。
猶予がないのは私の方だった。
「・・・やめっ・・・・、やめてえええええええ!!!!!」
私は玉座から飛び出して、泣き喚きながら倒れたシレンと“キング”の間に立ちふさがった。
「!」
“キング”は突然現れた私にひどくうろたえたようだった。指示を求めるように女王様の方に首だけ向ける。
女王様が、焦ったような声で必死に私に叫ぶ。
「レイ、何しておる!?早くそこから・・・」
「ばかばかばかばかばか!!!!!女王様なんか嫌い大っ嫌い!!なんでシレンを殺そうとするの!?ひどいよこんなの!!!!」
・・・みたいなことを言ったと思う。多分。よく覚えてない。
でも、それを聞いて女王様はずいぶんショックを受けたようだった。“キング”と同じくらいうろたえて、ぱくぱくと口を動かして次の言葉を探している。
「“それ”は・・・そちを騙しておるのじゃ、庇って良いことなど一つも・・・!」
「シ、シレンを殺すなら、私も殺してよ!そうすればいいじゃない!!」
「れ、レイ・・・」
私の剣幕に相当気おされてしまった様子の女王様は、それ以上何も言い募ろうとしなかった。また、その目に涙が溢れ始める。
でもそんなことどうでも良かった。
私はスカートや靴が汚れるのも気にせず、血溜りに膝をつくとシレンの上半身を抱き起こした。
震えて芯の通らない指で脈を取ろうとしたけど、全然わからない。
しかたなく口元に耳を持っていくと、小さく息をする音がした。──まだ、生きてる。
少し安心して、私はシレンの傷を探す。
血が止まってるのか止まってないのかよく解らなかった。・・・でも、何されたらこんな血が・・・
出来るだけ自分を冷静に保たせて傷を探すと、シレンの服の胸の部分がX字に裂けているのが解った。
傷を直接見る勇気がなかったので、止血の確認ができない。
ただその間、ずっとシレンの名前を呼んでいた。
何回呼んだか解らないくらい、シレンの名前を呼んだ。
お願い、神様・・・!シレンを死なせないで・・・!
「まだ、呼吸はあるんだね」
ふいに聞こえた声。
顔を上げると、“エース”が目の前にしゃがみ込んでいた。
しばらくシレンを観察していた“エース”だったけど、ゆっくり顔を上げて私と目線を――果たしてあってるんだろうか――合わせた。
「大丈夫。君の大切なシレンは死なせたりしない」
そう告げる“エース”。その言葉を咎めるように、今までしゃくりあげている女王様をなだめていた“クイーン”が顔を上げた。
「“エース”。勝手なことを言うのでは─」
「すぐに医療術士を呼ぶから、“アリス”、君は少し眠ろうか。疲れてるだろう」
“クイーン”の言葉をまるで聞いていなかったかのように無視して、私に諭すように語りかけてくる。
・・・眠る?
こんな非常時にこのヒトは何を言っているんだろう。
「そんな、私シレンと一緒に、」
「精神を落ち着けて。その後でならいくらでも一緒にいればいい」
「でも――」
なおも言い募ろうとした私に業を煮やしたのか。
「ごめんね」
という言葉と共に、“エース”が手刀を私の首筋に浴びせた。
軽い衝撃がきた瞬間、私の意識はどこかに飛んでいた――