アリス
エスコート・・・・だったのかな、これ。
目の前にそびえる、それはもう大きな扉を呆然と見上げながら私は思った。
何しろ、騎士さんの手を握り返した瞬間、ここに飛んでいたのだ。
「今、あれ・・・・?あれ?」
・・・・なんかまたデジャブ。気のせいかな。
「どうかしました?」
無邪気に私の顔を覗き込んでくる、他の“トランプ兵”とはどこか違う“彼”。
私のリアクションがおもしろいみたいだ。この野郎。
「・・・なんでもないです」
・・・この世界で起きることでいちいち悩んだって時間の無駄だ。それがここ数日で学んだ教訓。
だからもう聞かないことにする。聞いてもどうせ理解できないだろうし。
「そうですかー」
ふふ、と笑って彼は体勢を戻す。
・・・馬鹿にしてるわけではないんだろうけど、なんか腹立つ。
「あ、ここを開ければもう陛下がいらっしゃるわけなんだけど・・・」
・・・・・・。
・・・・・ってえええええええええ!!!!???
「え、え、、え・・・でも心の準備が・・・!」
「大丈夫大丈夫。陛下は理解してらっしゃるから」
いやいや私ができてないって言ってるのに・・・。
そんな私の思惑を無視して、騎士さんは扉に手をかける。
「でも、私こんな格好だし、なんて言えば・・・・!」
「あはは。律儀ないい子だね。・・・でも大丈夫。陛下は理解してらっしゃるし、君もすぐにそうなるよ」
「それ、どういう・・・」
ことですか。
そう言おうとした私の言葉は彼が扉を開けた音に遮られた。
ああああ、待ってって言ってるのに・・・。
ぎいいいいい、と軋む音がしてゆっくりその部屋が開く。
──いや、部屋なんて言ったら失礼だこんな広くて綺麗なとこ。
・・・屋内なのに、外みたいに明るい。
一番奥の壁には色も鮮やかなステンドグラスが張られていて、光が差し込んだところが七色に輝いている。
足を踏み入れると、軽やかな音が部屋──じゃなくて、広間中に響き渡った。大理石によく似ているけど、ぜんぜん違う材質の違うものみたい。
・・・まあ総括していうと、教会みたいな感じだろうか。
そして、扉からまっすぐ続く赤いじゅうたんの先にある、豪華な玉座。
誰か、座ってる──
「御苦労、“エース”よ」鈴が転がるみたいな、可愛らしい声。
隣で騎士さん──“エース”がうやうやしくお辞儀するのを感じながら・・・私は声の主を確認した。
「そして──お初にお目にかかることになるのう、“レイ”」
フリルとレースに包まれた、“女王”。
ふんわりとした金髪のツインテールにキラキラ光る冠をちょこんと乗せた、ゴシック調のドレスをまとった、まるで人形みたいに愛らしい――
女の子が、そこにいた。
「・・・・・・!」
・・・・・・あんな可愛い子が“女王”・・・?
王女様じゃなくて?
「何をそんなに驚いておる?――まぎれもなく、このわらわが“女王”じゃ」
いつの間にか、玉座が目の前にある。――違う、私達が移動したのか。
「噂には聞いておったが、まだ若いのう・・・。さすが、“零”というだけあるな」
・・・自分よりずっと年下の子に「若い」と言われるなんて心外だ。
それに今のは、・・・・ひょっとして馬鹿にされたんだろうか。
それにしても、こうやって近くで見ると段差の上にある玉座は思ってたより大きく、豪華だ。
そして、その玉座に座って私達を見下ろす“女王”。
彼女は、見ただけだとまだ10歳くらいの女の子に見える。・・・こんな綺麗な10歳、見たことないけど。
彼女は、大きな目を細めて私を見る。
「浮かない顔をしておるな。言うてみよ」
・・・ああ、顔に出てたのか。
聞きたいことなら、ありすぎて解らない。
この世界の何から何まで、私の理解を超えたものばかりなのだから。
まあでも、そんな質問の山からリストアップして、重要な順でランキングをつけていくとしたら。
「この“世界”は、なんなんですか?」
見事一位に輝いた質問。
やっぱりシレンの下手・・・じゃないつたない説明じゃいろいろ解決できない部分が多すぎる。
「私はなんでこんなとこにいるんですか。シレンはなんで入れないんですか。あなたは一体何者なんですか私は――」
そうやって私は質問をまくしたてる。
考えなくても、口から次から次へと質問が沸いてくる。
そんな私の様子に、隣の“エース”はきょとんとして私のほうを向いて、女王様は一瞬とても驚いたようだった。
「わ・・・・わかったわかった。そちの気持ちはよくわかる。だが、・・・もう少し落ち着いてみよ、話はそれからじゃ」
女王様は取り繕うようにして、私の質問を遮る。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・おち、つけ。
──・・・そうだ、落ち着こう。
そうして、私は深呼吸を始めた。
「・・・ものわかりがよくて助かるわ。さて、落ち着いたかな?」
女王様が、どこかほっとした口調で言った。何をそんな安堵してるんだろう。まあいいか。
私は最後に大きく息を吐き終わると、再び玉座の方に視線を上げた。
「・・・すいません、取り乱しました・・・」
「それが普通だよ。今までよくパニックにならなかったもんだ」
“エース”が労わる様な声を出した。
ぱにっく・・・。
「“エース”、余計な事を言うんじゃない」
咎める女王様。
・・・なんだか、よくわからない。
“エース”のどんな言葉が余計だったのか、2人が何を言っているのか。
「・・・・・・・・・あ」
ぐらりと世界が揺れた、気がした。
急に、ここ数日でおきた出来事が私の脳内でぐるぐると目まぐるしく渦を巻き始める。
──しろいくうかん、ゆがんだせんりつ、あのこのこえ
──ねずみ、わたしのかみ、まっくろなかげ、とうめいなたに
──「ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと」
──あいたかったよ ぼくの
「レイっ・・・・・・!!!!」
私はがっ、と現実に掴み戻された。
焦点の合わない目を無理やり動かして、くずおれた私の肩を揺さぶっている人物を見る。
──女王様だ。
大きな目にいっぱい涙をためて、潤んだ瞳で私の顔を見つめている。
・・・か、可愛い。
・・・いやいや私は馬鹿か。
「じょ・・・女王さま・・・?」
どうしたのだろう。
それに、今のは、何・・・?
「・・・君は少しずつこの世界に染まりつつある。──いや、戻りつつある、といったほうがいいかな」
唐突に、“エース”が静かに言った。
私は、涙を拭おうともせず私の方を掴んで俯いている女王様から目を離し、“エース”に目線を向けた。
兜で隠れた顔からは表情は読み取れない。それでも、どこか深刻な雰囲気を漂わせているのは解った。
「戻りつつ・・・って、どういうことなんですか」
なんだか自分の声がふらふらして頼りない。お腹に力が入らない。
さっきの妙な白昼夢のせいだろうか。
「最近まで君はちゃんと“向こう”──“君が今まで住んでいた場所”の住人だった。だけど、“この世界”にいることによって君は着実に“この世界”の住人に還りつつある」
「・・・言ってることがよく、わからないです・・・」
「よく聞いて。君は、さっき聞こえないはずのもの、見えないはずのものを見た。それらは全部“この世界”での君の記憶だ。紛れもなく、ね」
・・・そんなはずが、ない。この人は何を言ってるんだろう。
“こっち”にきたのは初めてで、それも変な白い鴉に無理やりさらわれるようにして、なのだ。
私が認識している以外の記憶なんて、あるわけがない。
わたしは このせかいを しらない
「君は“この世界”の関係者であり、そして欠くことのできない人物なんだ」
あいたかったよ ぼくの アリス
「君は絶対的な、かつとても脆い力を持っている」
なんで ぼくを おいて いったの?
「君は、かつて“この世界”でこう呼ばれていた──」
ぼくの ぼくの ぼくの ぼく だけの
「「“アリス”」」
俯いていた女王様が突然顔を上げた。
目は若干充血していたけど、顔つきはもとの威厳ある表情に戻っている。
「・・・レイ、わらわの後ろに下がっておれ。“エース”、アリスを頼む」
「え、え、え」
展開についていけなくて、私はうろたえた。“エース”が私の腕をとって立ち上がらせる。
「さー、行きましょうかアリス?」
「私はアリスじゃな・・・・」
急いで反論しようとすると、急に腕を引っ張られる。
よろめきながらついていくと、玉座の後ろにしゃがませられた。
「こことじっとしててくださいねー」
人差し指を私の口に添えて、すぐに女王様の傍らに戻る“エース”。・・・わけわかんない。
「ちょ、なんでこ、ん、な・・・・・・・・・・?」
続きの言葉は口から出てこなかった。
ぱくぱくと、息漏れの音だけ吐く。
・・・なんか、された。
あのノーテンキ騎士・・・。後でみてろ!
しばらく、沈黙と張り詰めた空気が広間中に満たされていた。
誰も、動かない。
女王様が何か感じ取ったように、“エース”もなにか感づいたようだったけど・・・。
その時だった。
──ふいに、広間の扉が開いた。