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毒白

空の眼と泥人形

作者: 弥寛

健康かどうか、ということはその人を見るための大切な指標である。

女性なら、体そのものが健康であっても、肌や髪がそうであるかを見られる。本来健康であればそれらもおのずと美しくなるからである。

ケアしなくても死なないにしても、やはり気を遣うにこしたことはないだろうと、私は今日も化粧水の順番を吟味する。


しかしながら、健康と引き換えに手に入る美しさもある。髪は長く伸ばしていればいずれ枝毛になり、毛先だけを切るか、潔く短くすることを余儀なくされる人も少なくない。また、長い髪は本人にとって煩わしかったりもする。本来の色と異なる色に染めようものなら激しく傷み、頭皮すら傷付けることになるだろう。

誰かが決めた美しさよりも自分が求める美しさに身を染める人もいる。雑誌に載るほど流行るスカートの長さや形よりも自分の身体に合うもの、職場の男性が理想とする髪の色よりも自分をより美しく親しみやすく見せる色を選ぶ人は多くの人が思っているよりも多く、「個性的」だと言われる。

個性の源泉とは何か。

私が思うにそれは、激しい抑圧と豊かな感受性があって初めて生まれるものだと思う。

厳しく抑えつけられ、周りを注意深く見つめ、時に歪み、時に縺れ、そうしていくつかの拗れたものが成す形は唯一無二の、その人だけのものである。

それを如何に隠し、如何に見せるかはそれまでに学んできていて、だからこそ華として咲くことができる。その危うさと力強さと秘めたる狂気の複雑さは見る者を圧倒する。


有り合わせのものをそれらしく組み合わせただけの個性には弱点が多い。おそらくそれを、多くの人が「痛々しい」と形容するのだろう。そうして我が身を見せたいがために浅ましい主張を続ける者たちは冷ややかな目に晒され、いつしか自滅し、灰のように消えて忘れられる。

あくまで彼らは、その身を費やし、削り、研ぎ澄ますことをしない健康体そのものだからこそ、分かり易すぎるからこそ、飽きられてしまうのだから。


個性とは不健康なものである。だからこそそれを追い求める者は次第に窶れ、より繊細になっていく。その美しさを感じられる者だけがそれを愛することができるのだろう。

指を差してはならない。

石を投げてはならない。

そんな前時代的な行いは、今や廃れるべき悪以外の何物でもない。


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