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 久し振りに晴れ間が見えた日、太陽を見て海へ行こうと決意した。去年の夏の終わりのバーゲンで買っていたミュールをおろした。足にしっくりくる感触が優しくて勇気づけられた。女の子で良かった。こんな小さなことひとつでこんなに元気になれる。

 潤はいないかもしれない。いなくても別にいい。いたって一向に構わない。噂がなんだ。平成生まれがそんなことでへこたれるもんか。私は今日どうしてもここの夕焼けが見たいんだ。

 足取りもよく港の前を通り過ぎた。ゆるいカーブを歩いて岩場へと向かう。いい靴は持ち主をいい場所へと連れていってくれるとかいうヨーロッパの諺を思い出した。この一歩は幸せへと続いているのだろうか。

 いつのまにか足取りが波のリズムと同じになっていた。心地良くそれを刻んでいると、岩場の前のコンクリに子どもの姿が見えた。そのまま私が近づいていくにつれて、歌声がはっきりと聞こえてくるようになった。

「うーみーはひろいーな、おおきーいなー、つーきはのぼるーしひはしずーむー」

 赤いブラウスにグレイのジャンパースカート姿の小さな女の子が海に向かって小さな声で歌っていた。

「ミクちゃん?」

 私は小さな背中に呼び掛けた。彼女が振り向く。島の子にしては色の白い、ショートカットに丸顔の女の子は、まぎれもなく保育所にいるミクちゃんだった。

「せんせい」

 か細い声が私のもとに届く。彼女はとてもおとなしい優しい女の子だ。

「ミクちゃんどうしたの、お母さんは?」

「おうち……」

 小さな唇が震える。

「ひとりできたの?」

 彼女は素早く首を振り「じゅんにいちゃんときたの」と答えた。

「じゅんにいちゃん?」

 その時、大きな息継ぎの音が岩場の先から聞こえた。見ると、潤が海から顔を出している。

「潤っ」

 私が呼びかけると、潤は「おうっ」と言いながら片手をあげて見せた。久々に見る彼は、相も変わらず海に染まっていた。それを見て少し悲しい気分に襲われた。私がいない間も、彼はここで波の音とともに自分だけの時間を刻んでいたのかもしれない。私の気持ちなど考えもしないで。

 しかし、心のどこかでほっとしたのも事実だった。そのまままた潜っていこうとする彼を捕まえる。

「ねぇ、潤ってミクちゃんのお兄さんだったの?」

「あぁ、そいつオレの姪。姉貴の子どもや」

 そうなの?とミクちゃんに聞くと、彼女もこくんと頷いた。たしかに、よく考えてみれば二人の名字は違う。そしてよくよく見ると、髪の生え際とか黒くて大きな瞳とか、似ている部分がみつかる。

 ちょっと目を離した隙に潤の姿はもう波の中に消えていた。

「ミクちゃん、よくここにくるの?」

 私は彼女の隣に腰をおろした。

「ちょっとまえから、潤にいちゃんと来よる。潤にいちゃんが来いって言ったけん」

 彼女はコンクリに丁寧に並べた小石を指先でいじりながら言った。

「でも潤にいちゃん潜ってばっかりでつまらん。ちっとも遊んでくれんの」

 彼女のつたない言葉で不意にからくりが解けた。ミクちゃんを連れてここへ来る潤、退屈している彼女を放っておいてひたすら潜ることを繰り返す姿、そして訳もわからずつきあわされ、居ることだけを義務付けられた少女。今までの二人の様子が手に取るようにわかってぐっと胸が締めつけられた。潤も、あのくだらない噂を気にしていたのだ。

「そっか」

 私の口元が笑っていた。なるほど、高校生にしてはよく考えた。

「ミクちゃん、お歌、歌おっか」

 私は彼女の顔を覗き込んでから海に目を向けた。今日は波も穏やかだ。潤はまだ上がってこない。

「うーみはひろいーな、おおきーいーなー」

 私の威勢のいい声とミクちゃんの細い声が、きつい潮の匂いに混じって海へと流れていく。二番まで歌い終わったところで、ようやく潤が顔を見せた。



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