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「どうよ、田舎の生活は」
冗談めかした笑いを含ませて、電話口の親友、美希は明るい声で尋ねた。彼女は保育科の同窓生で、卒業後は保育関係に進まず、親戚のコネで印刷会社の事務職に就いている。典型的なOLだ。
「そうね、まぁまぁね」
まんざらでもない私の言葉に、美希は何事かを感じ取ったのか、「何、なんかいいことあったの?」と、さらに詰め寄ってきた。
私はなんの臆面もなく潤のことを話した。あの素直さ、綺麗さ、そして歳相応のひねくれたところは、誰かに自慢したいくらい希少な存在だ。
話を聞いた美希は「ふぅん」と相槌を打ちながらも、電話の先でにんまりと笑った。もちろん、見えはしないのだけど、にんまりと形容するに相応しい笑いだと私は確信した。
「なーんだ、けっこうおいしいことになってんのねぇ、安心したわ」
「どういう意味よ」
彼女の感想には二つの疑問が混ざっていた。何がおいしくて、なぜ安心したのか。
「だってかわいい男の子と毎日逢引してんでしょぉ、それがおいしい」
「あ、逢引って何それ。そんなの死語だよ。場末のバーのカラオケじゃあるまいし」
「それに、あんたもやっと前向きになったのかと思ってさ。それで安心」
「……」
私は返す言葉に詰まった。美希は短大時代の私の親友だ。私は彼女の様々な行動をつぶさに見てきたし、彼女は私の身に起きたことすべてを知っている。
そう、彼のことも。
「……違う、そんなんじゃない」
そこまで思い出して私は静かに首を振った。
「“そんなんじゃない”って、何が?」
苛立つような声が即座に返ってくる。
「だから潤はそんなんじゃないし、私もそんなつもりはないし。だいたい、私たち幾つだと思ってるの。もういい大人だよ? やっていいことと悪いことの区別くらいつくでしょ」
「……変わらないよね、そんなふうに冷静なとこ」
ぽつん、と途切れるような呟きが、私の耳の奥を突いた。
「あんたはさ、そうやって少し引いて物事を見て、時折鋭いとこ突いてくるのよね。オーバーヒート気味の私をよく押しとどめてくれてた。それがあんたの良さなんだろうけど、でもね、せっかく正しいこと見通せても、そうやって見てるだけで行動に移さないんじゃなんにもならないんだよ? 石橋を叩くのはいいとしても、叩き過ぎて橋を壊しちゃったら元も子もないでしょう?」
美希の言葉は正論だと、私の「冷静」な部分が判断していた。そうなのだ、正しい情報を持っていても、ただ手をこまねいて見ているだけでは幸せにはなれない。それどころか、チャンスは自分の指をすり抜けていくだけ。
見透かされたようで気持ちに収集がつかないまま、今度は私の方が苛立たし気に声を強めた。
「とにかく、違うものは違うの、この話、おしまいね」
彼女の言いたいことはわかっている。
それでも、今の私には当てはまらないこと。
そうやってとにかく落ち着けて、穏やかに電話を切った。
途端に静寂が私の部屋に降りてくる。
息を整えながら、私は枕元の本に手を伸ばした。ネットで見つけたブックサイトに注文して届いたばかりのミステリー小説だ。幸い明日はお休み、今日は心置きなく夜更かしできる。
そう思いながらそっとページをめくった。どうかするとざわつき始める心の内を無理矢理に押しとどめる。
これは違う、私には関係ない、彼のときも、そう思っていたのではなかったか―――。
そんな空恐ろしい記憶も、やがてはページの中に埋もれた数々の謎やたまらないスリルに呆気無く飲み込まれていった。