3
カーブを曲がりきると、一段と潮風がきつくなる。
唇をきりりと結び直して、私は目を見開いた。覚えのある岩場が目前に迫る。
補整されたコンクリートの堤防に手をついて、岩場の先の広がる海と対峙した。穏やかに揺れ動く紺碧の絨緞に身を乗り出し、そこにあるはずの息づかいを探す。
一見何もない。だがそれは突然のことだった。青く澄んだ視界の一点に影が差したかと思うと、それが勢い良く盛り上がり、水面にその姿を現わした。
思わず声をあげる。
「潤!」
目が合うと彼は微かに頷いたように見えた。身体を逸らせてまた潜り込み、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
そして岩場に手をつき這い上がると、その場にぺたんと座りこんだ。
「あーちくしょっ。あとちょっとやったのに!」
タオルを目深にかぶり、背中を上下させながら激しくうなだれる。
「何? 何があとちょっとなの」
コンクリに両肘をついて私は尋ねた。
「ここ、この岩場な、けっこう深くてな。ずっと潜ってったらこの岩場が大きく窪んどって、さらに深くなっとる。六十メートルくらいはあるんかな。その手前まではいつも行けるんやけど……」
そこで言葉を切って、潤は激しく頭を揺すった。
「……っ。絶対明日は行ってやる」
タオルを放り出して黒い瞳を海に向けた。悔しそうな口調とは裏腹に、彼の唇は挑戦的に歪んでいた。瞳が海を捕らえて離さない。
「明日は行けるよ」
心からそう思って私は口に出す。この微笑ましさは私の日常に定着しているものだった。なんだってできる可能性を秘めている子どもたちに、ずっとくるまれているから。
だからそれは嘘ではない。潤ならきっとできると強く思う。私には不可能かもしれないけれど。
指折り四つ分、余計な道を歩いてしまった私には。
「ね、今日はもう終わり?」
夕暮れが迫った空を見上げる。潤がぶっきらぼうに頷く。
「今日も夕日がきっと綺麗でしょうね」
「そうやな」
潤がウィンドブレーカーに腕を通す。そのすべてのしぐさを私が穏やかに見つめる。
潤は毎朝本土の高校に船で通っている。そして帰ってくると海に潜った。この岩場はこの島のいわば素潜りスポットで、時折中学生たちが混ざることもあったが、大抵は潤ひとりの居場所だった。彼は毎日ここで飽きることなく潜り続け、私は彼と出会ってからこの二週間、仕事が終わる夕暮れ時にこの場所に立ち寄るようになった。潤は今日のように早く上がることもあれば、私など目にも入らないとでも言うかのように暗くなるまで潜る日もあった。私はいつだってその姿をなんとはなしに眺めるようになった。それははるかに遠い光景で、到底私の近づけるものではなかった。
けれど海から上がった潤は普通の少年だった。初対面で私が緊張しきっていたときのことを、彼はこう語ってくれた。あんときはオレも驚いたんだよ。振り返ったらこっちをじっと見よる奴がおって、あんたみたいな歳の女なんか島じゃ滅多に見かけんし、なんかふわふわした恰好しとったし―――。
照れ臭さを隠すように言葉を濁す彼の顔が微かに赤くなったのが、自分のことはとりあえず棚に上げて、たまらなくおかしかった。もちろん私は少しでも年上の貫禄を見せつけるためにひとしきり笑ってやった。
「そんなに笑うなっ」
突き放すようにそう言って潤は立ち上がり、そのまま私に背を向けた。その自由さや歳相応に少し尖っているところが私は気に入った。彼に会うことが徐々に楽しくなりはじめた。
この気持ちを、どう表せばいいのかはわからない。
ただ間違いなく言えることは、これは「恋」という感情ではない。どう考えても歳が違い過ぎる。二十歳と二四歳ならありえても、十六歳と二十歳では無理がある。
それでもこの奇妙な楽しさを味わいたくて、私はこの不可思議な関係をしばらく黙認することにした。下手に名付けなどして失うはめに陥りたくなかった。